友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。
あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
(マタイによる福音書第20章 )
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主がやとい主として労働者をご自分のぶどう園にやとう話である。
この場合主はあくまで労働者との契約を大切にする。
労働者はこのぶどう園で何時間働いても一日一デナリの契約を主ご自身としたのである。だから「わたしはBさんより一時間多く働きこれこれの業績を残しました。だから一デナリ以上の報酬をください」とは言えないのだ。明らかに主ご自身との契約違反だ。
ここにわたしは「すべてのいのちは平等」という主の思想を見る。
ぶどう園は全宇宙である。そして雇われた労働者はすべてのいのちである。あのいのちは尊いとかこのいのちは尊くないという思想は主ご自身の頭の中にはまったくないのである。各いのちはその与えられた個性を全うして生きることが求められる。一日一デナリの契約とはこのことである。主はいのちをご自分のいのちより大切に思っていてくださる。全宇宙のすべてのいのちをだ。
このひとつひとつのいのちは主十字架によってあがなわれた。そして復活のいのちが与えられている。
いのちは永遠なるものとして創造されている。
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