そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシャ語を使う
ユダヤ人たちがヘブル語を使うユダヤ人たちに対して
苦情を申し立てた。
彼らのうちのやもめたちが毎日配給でなおざりにされていた
からである。
(使徒の働き 第6章 1節 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
原始教会では献金のなかからちゃんとそれらを平等に分けて食べさせていた。
原始共産制とも言えるものである。
彼らにとっては生かされるか死ぬかの問題であった。
集めたものはみな平等に分けて使うとはほんとうにすばらしいことである。
神の教会にふさわしいとわたしは思う。
上記引用聖句ではやもめたちもその配給を受けていたのである。
主のお考えになったような「教会」であったのである。
なんとかなしいことに現代の教会とは全くと言っていいほど違うのであろうか?
現代の教会はもう一度いや何度でも「主のお考えになった教会」を目指すべく
「聖書」から学んでほしい。
主に栄光がありますように。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
↓:配給
にほんブログ村