今年は本当に何十年ぶりに紅白歌合戦をオンタイムで見た。正直言って演出のレベルの低さにとても驚いてしまった。バックの装置、踊りが歌の内容、情感とはほとんどが合っていないように見えた。ただ、歌手自体のレベルは一時から比べるとかなりよくなってきているし、見かけだけの歌い手は日本でも通用しなくなってきてるのだなと少しうれしい思いを持った。ニューヨークで見る音楽番組(といっても日本のような番組はほとんどない)の歌い手のレベルがあまりにも高いので、以前は比較すら出来なかったのだが、日本もここ数年でかなりレベルアップしてきている様に思う。
ミャンマー、ビルマと言った方が正しいのかも知れないが、で長井さんは殺害された。空になった自宅から自作の録音テープがでてきた。部屋に無造作におかれたマーチンのギターにはまだ無造作にカポがつけられたままであった。彼はミャンマーの情勢を知るとすぐにミャンマーに飛び死を覚悟の取材を続けた、取材による情報の国外への流失を阻止しようとするミャンマーの軍事組織に彼は殺害されたと思う。彼が世の中から根絶をしたい物は『エイズ』、『偽札』、『金権』であったと友人が語っていた。同じ、フォークソングを愛する人間として、放映された番組の最後に流された長井さんの歌を聴いて、彼の心の優しさをしっかりと感じる事ができた、自分を含めた多くのフォークシンガーは生温い反戦を歌にしながら、反面、美味しい食べ物、住居、そして高価な車に乗り、自分の生活を楽しんでいる。しかし長井さんは、命を掛けて、エイズにかかった子供達を真剣に助け、権力の合間で苦しんでいる、アフガニスタン、イラク、そしてビルマと必死の取材を行い、なかなか取り上げてくれない日本のテレビ局に情報を提供して来たのである。その合間の多分唯一の彼の楽しみがギターを弾いて音楽を演奏する事だったのかも知れない。。本当に考えさせられるドキュメントだった。
NHKのバンドコンテストで,若者に混じって知り合いの人が入ったバンドが特別賞をもらっているのを偶然テレビで見た。若者が多い中で決してうまい演奏ではなかったが、本当にバンドを楽しんでいるのがよくわかる演奏だった。正直言って僕も長年やってきたギターの演奏も、これから先、決して飛躍的上達を期待することは出来ない。しかし、まとまりや構成によって上手くなったように聞かせることは出来る。また、演奏者が楽しんでいる様子を聞いている人たちが同様に楽しむことも出来る。健康上も、精神衛生上もきっと言いに違いないと思いながら、テレビの画面に見入ってしまった。
好きな物の一つにお酒があります。その昔NYには吟醸酒などと言う酒が存在しない時の話です。日本の割烹で飲ませてもらった『船中八策』と言うお酒を気に入り、そのお店で一升瓶を一本けてもらいNYに持ち帰り、NYの友人達とお酒の会を今はなくなった5番街の大型の和食店で催したのが酒会のきっかけでした。その後15年近く酒会は続いて、その間、日本に行くたびに誰かがお酒を抱えて持って来てくれました。名前はすべては覚えていませんが、かなり美味しいお酒を沢山飲ませてもらいました。醸造酒から純米第吟醸酒にいたるまで、一本一本アレダコレだと品評会の様に騒いだのを思い出します。最近は日本から冷蔵便で送られてくるので、美味しいお酒が沢山出回り、その上に焼酎ブームでお酒をじっくりと楽しむ事も少なくなって来てしまいました。焼酎とお酒の違いは何となくリズムの違いの様に感じます。熱燗を小さなおちょこでちょびちょびと飲むあの時間が本来のお酒の楽しみ方なのかなと思ったりしています。だんだんとスピードの速い時代になって行くのが、ついて行けない僕には少しつらい様に感じます。。
先日、東京にて久しぶりにフォークバンドのライブ活動を行った。会場は300人足らずのこじんまりとした会場であったが、PAはかなりしっかりとして安心して演奏が出来た。今回は無線のイヤーホーンによるモニターを各自つけての演奏に挑戦、思ったよりも好結果に皆満足している。今回のライブは10曲、40分と過去最長の演奏で、進行表を見ながらの演奏となった。参加バンドはベンチャーズと和製ポップのバンド、少し高年齢なジャズバンド、お話のとても楽しいクラシック歌手、それに民謡と和太鼓であったが、それぞれが個性豊かで楽しかった。特に民謡は歌い手の巧みな節回し、力強い三味線、尺八と日本の音楽の原点の様な気がして聞き入ってしまった。洋楽はどうも表面的すぎて何となく深みが足らない様に感じた。。これは自分達の音楽に大しても同様である。ただ、若者達がどうとるかは別問題かも知れないが!
久しぶりにギターを取り出し、2台のギターの音の違いを聞いてみた。前回は一台の弦が古かったこともあり、マーチンのD-35がダントツにD-28よりも良い音がしていたが、今回はD-28に新しい弦を張っての検証である。D-35は68年製のモデルでブラジリアンローズウッドが使われた貴重なモデルである。D-28は70年のモデルでインディアンローズウッドが使われている。音量は間違いなくD-35のほうが大きいく柔らかな女性的な音がする。一歩のD-28はどちらかというと少し固めの男性的な音がする、ピッキングで思い切りがんがんと弾くブルーグラス音楽にぴったり合っているような気がする。一方のD-35はフィンガリング奏法のフォース系の音楽に合っているようだ。
団塊の世代がリタイアーの年となり昔成し遂げなかった夢を追いかけて、高級な楽器を買い入れたり、途中であきらめなければならなかったバンド活動を復活したりして、人生の残りを楽しもうとしているように見受けられる。ライブハウスもいたるところに出来毎日のようにバンドの演奏を聞くことが出来る、そのほとんどは元プロのバンドか、元プロに近かったバンドがほとんどのように思う。レベルも毎年どんどん向上していて、アマチュアとは到底いえないようなバンドも多い。スポーツは昔しやっていても体力が衰えると着いていけなくなるが、音楽は逆に昔より上手くなっていることが有り得るのである。そういう、僕もその復活組の一人であるが、あれもこれもと欲張りすぎて、何がなんだかわからなく演奏してる自分が怖い。。
世の中にはすごいと感じるギター弾きはたくさんいいるが、僕が凄いと感じたのはブルースギターのStevie Ray Vaughanである。この人のライブをテレビで見かけたとき演奏が終わるまで声も出せずに釘付けにされてしまった。。何が凄いというと、ギターを弾くのに感性と手指先とが一つとなって、その間には思考とかいった一切の障害がなく演奏が出来る特技を持っているプレーヤーということだろうか。エリッククラプトンがある日、車を運転中に流れてきたブルースのギターを聞いてその速さに思わず車を止めて聞き入ってしまい、すぐその後、誰が弾いているのかを調べさせたら、それがこのStevie Ray Vaughanだったとクラプトンが昔話しているのをテレビで見たことがある。それ以来、非常に親しい関係になり、クラプトンが薬の世界から回復したように、Stevie Ray Vaughanもクラプトンの助けをかりながら薬の世界から奇跡的な回復をし、本格的な演奏活動を開始した矢先の1990年8月27日に突然その36年の生涯の幕をおろしてしまった。生きていたらそろそろ50台半ばになって、きっと渋いブルースギターが聴けただろうなとセンチメンタルになっている。。
友人が一本のギターを持って来た、荷物が多いので日本に持ち帰って欲しいとの依頼である。ギターは1968年製のマーチンのD-35と言うモデルだ。この頃のほとんどのマーチンのギター特有の現象でピックガード(黒いプラスチックの板)がギターのボディーから剥がれて来てはいるが、それ以外は非常に良いコンディションだ。昔、今はいない友人に頼まれてNYから買って帰ったのも同モデルのギターだったのを思い出す。このギターはハカランダと呼ばれるブラジルのローズウッドでボディが作られているのだが、木材に輸出規制がかかり1970年からは原料不足で生産が出来なくなった材料を使っている、この時期には既に材料不足が起こって来たため、ボディーの背面の板を3枚の板で作り上げている。3枚にする事によって音が優しくなるという利点もあるのだが、実際は材料不足の解消の為と考えられる。僕が買って帰ったD-35はもう少し音が大きかった様に思うが、それは、表面の板を薄くしているからだと思っていた。この68年のモデルはしっかりとした重みがあり最近の同種類とは板の厚みが違っている様に感じた。1900年初期のD-28を以前楽器屋で弾いた事があったが、これは又別格の物で、重さが新しい楽器の半分くらいに感じた。板が長年の間にゆっくりと乾燥し、軽くなった物だと思うが、出る音の量は逆に倍くらいある様に感じた。残念ながらギターに関しては新し技術で改良されよくなったトップモデルは少ない様に思う。。
いつも日本の番組を見ていて不思議に思う事は、どの番組を見てもお笑い系芸人とうまい日本語を話す外人タレントが沢山出演している事だと思う。アメリカのどの番組を見てもお笑い芸人と英語が喋れる程度のタレントがテレビに出ているで見る事は見た事がない、良く漫談師がタレント、あるいは俳優として出てくる事はあるが、ニュースや諸々の番組に顔を出す事は少ない様に思う。僕は決して漫才師を馬鹿にするつもりは全くないのだが、テレビに出る芸人さんのほとんどにタレントの持ち主と感じる人はほとんどいない様に思える。アメリカの芸人はどんなに下っ端でも最低2-3種類の得意な物がなければ仕事にはありつける事がない。例えば、歌がうまくても、それに匹敵する踊りが踊れたり、何か楽器でプロ並みの演奏が出来たりと多才である。今の日本のタレント呼ばれる人たちにある芸とは一体何なのだろうか?おもしろおかしくはなせるのは芸ではなくただ単なる話術でしかない。それに一喜一憂する聴衆にも何か淋しい物がある。藤原紀香と陣内智則の披露宴のテレビ番組に最高49%の人が見る事自体異常だと思えてならない。。一度、詳しく調べてみたい物である。。