この一年間の間に彼女をテーマにした放送を何度か見る機会があった。その中で強く感じた事は、音楽に対する愛情と娘に対する愛情だった。それらを全うする為に最後まで病気と戦い続け、決してあきらめる事をしなかった彼女にエールを送りたい。普通の人ならとっくの昔に、人生をあきらめてしまっていたかも知れない、しかし彼女は死の直線までミュージシャンであり、母であった。僕にも早期発見で助かった友人もいるし、手遅れでなくなった友人の妻もいる。わずかな検診のタイミングで生死が分かれるのも知った。特に若い人の癌は進行も早く、それによって残された人たちへの影響も多大である。早期発見を徹底していってもらいたい。
久しぶりのコンサートが神戸で開催された。10年ぶりに7名のメンバーが集まって最後のコンサートに参加した。それぞれは今は全く異なった人生を送り,それぞれが異なった苦労をして今に至っているのだろうが、音楽を演奏する時はそれらを忘れて一つの目的に集中することが出来る。これが、音楽の楽しさであり、やめれない原因でもある。プロの場合は、楽しさ以前にプロとしての技術が伴わなければならない、また音楽が仕事である限りは生活の手段でもある訳で、好きなことを言って通用する物ではない。アマの音楽の楽しみは、逆にプロには味わえない物なのかも知れないと思っている。その、アマの特権を多いに楽しむことが出来たコンサートだったと思っている。今後もいろいろな形で生涯音楽を楽しめたらと思っている。
「大統領として最も準備できていなかったことは」。そんな問いに、ブッシュ氏は「私は戦争に対する心構えができていなかった。戦争を予期していなかった」と回答。イラク戦争について「多くの人がフセインを排除する理由に大量破壊兵器を挙げていた。政権の人間だけでなく、多くの議員もそうだった」などと釈明し、「情報が違っていたら、と思う」と語った。
なんと言う言い訳なのだろう?この戦争で何人の人が殺されたと思っているのだろうか?アメリカでは軍人が何人死んだかがメインの話題になっているが、それとは比較できない何万、何十万もの人が死んでいっているのを彼はわかっているのだろうか?
用意が出来ていない戦争を間違った情報を元にぶっぱじめ、間違った情報とわかった後もやめる事なく進めてきたのは誰なのだろうか?この話を聞いて本当に腹が煮えくり返るほど腹が立っている。こんな人間が大統領になった事自体信じられない。
なんと言う言い訳なのだろう?この戦争で何人の人が殺されたと思っているのだろうか?アメリカでは軍人が何人死んだかがメインの話題になっているが、それとは比較できない何万、何十万もの人が死んでいっているのを彼はわかっているのだろうか?
用意が出来ていない戦争を間違った情報を元にぶっぱじめ、間違った情報とわかった後もやめる事なく進めてきたのは誰なのだろうか?この話を聞いて本当に腹が煮えくり返るほど腹が立っている。こんな人間が大統領になった事自体信じられない。
バンドを組んでいるが、バンドとしてまとまって演奏するのは非常に難しい。特にアマチュアのレベルはプロと違ってドングリの背比べみたいなところがある。少しでも力量がみたないプレーヤーがいるとバラバラになてしまう。プロは、それぞれが一人で2時間の演奏をして聴衆を魅了できる実力の持ち主が最低基準と僕は考えている。それに比べてアマチュアはお互い助け合ってで漸く演奏が出来るのが現実である。従って、人の演奏が非常に気になる。。まずは、ソロ演奏で30分くらいは出来るところまで個人のレベルを持っていかなければ、頑張っても人を引きつける演奏をすることは出来ないような気がしてならない。
小室氏の音楽は決して僕にとっては心地の良い音楽ではなかったし、それほど大騒ぎするような現象ではないとは思っていたが、今回の逮捕で何か「かわいそう!」という気がしてならない。今回の問題に対して彼自身は真摯に受け取っているようだし、彼の作り出した問題点をしっかり理解しているように感じる。それよりももっと大きな問題は、彼のようなアーティストに群がる金儲けだけの目的しか持たないハイエナ軍団である。彼らは食べれるだけ食べたつくした後に知らん顔をして消えていってしまう。そういう輩がうようよしていることである。小室氏の周りにいた人間はほとんど(すべてではないとは思うが!)がそういった人間の集まりであったのではないかと疑ってしまう。彼は本当にクリエータであろうとしたのかもしれない、又それ以上の何者でもなかったのである。以前このブログ記事で書いた様に、クリエートする人間は、本当に信頼できるマネージャーを見つける事が成功の秘訣であると書いたのと重複するが、その通りだと思われる。
週末は久しぶりのライブで歌った。中々人前で歌う機会がないので小さなライブハウスでも刺激になるものだ。30分のステージ2回の予定だったが、実際には45分を2回になってしまった。ライブの良さはいつも練習で一人で歌ったり、練習でメンバーと音を合わせるのと違って、聞き手が目の前にいているので、少なくとも一生懸命相手に歌を聴いてもらおうとするし、相手の反応を見ながら歌う事が出来る良さがある。余り、頑張って練習で歌たうのは余り好きでない僕に取って、ライブは本当に音楽を楽しめる一時なのかも知れない。
8ヶ月の拘束の後無事に開放された中村さんに対し、高村大臣は苦言を申し上げると一言付け加えた。無事な生還がもっとも大事な問題であり、拉致被害者を無事に取り戻すことが国としての責任であり、8ヶ月も時間を費やしたことに、本来なら謝罪をすべき立場の人間が何故か苦言を呈する、これが今の政府の横柄な態度をすべて表しているような気がする。国は「一市民を助けてやった。」のであってそれが国の責任とは考えていないのである。
ギターの話が続きますが、僕は昔からサムピックというプラスティックの親指につけるピックを使ってギターを弾きます。鉄弦の張られたアコースティックギターを指で弾くときに使われます。音がしっかりとすること、クラシックギターの演奏のように親指を立てずに弾くことができ便利な道具です。これにも色々なこだわりがあり、硬さ、大きさによってギターの音色も色々と変わります。基本的にはやわらかい原意はやわらかいピックを固い弦には硬いピックを使います。人によってはナイロン弦にもこのサムピックを使う人もいます。ベンチャーズというエレキギターの神様のようなプレーヤーのノーキーエドワーズさんが作ったサムピックは独特な形をした柔らかーいピックです。僕も12弦ギターをトレモロで弾く時に愛用しています。
ギターと言う楽器は扱いやすそうで、中々上達に時間がかかるものである。他の楽器もそうなのかもしれないが、16歳からギターを引き出していまだに満足な演奏が出来ないのは、才能のなさか?、努力の不足か?僕はギターでもアコースティックと呼ばれる電気の付いていない楽器を演奏している。エレキギターは余り弾いた事がない。決してロックミュージックが嫌いなわけではないが、弾く機会が少なかったのと、演奏する音楽がそういった音楽ではなかったからかもしれない。
音楽には隔てがないと僕は思っているが、各個人の趣味がはっきりと出てくるように思う。僕が演奏する、フォークソングは60年代のカバーだし、ブルーグラスも同様に60年代のリバイバルである。最近ようやくクラプトンの曲を演奏しだしたが、やっぱりアコースティックギターをフューチャーした曲を選んでしまう。基本的には演奏者と聴く人との間の感情、意思の伝達が目的なのでその手段は伝わる限り何でも良いのだとは思う。しかしその手段で聴く人の興味をそそることが出来るのかも知れない。
音楽には隔てがないと僕は思っているが、各個人の趣味がはっきりと出てくるように思う。僕が演奏する、フォークソングは60年代のカバーだし、ブルーグラスも同様に60年代のリバイバルである。最近ようやくクラプトンの曲を演奏しだしたが、やっぱりアコースティックギターをフューチャーした曲を選んでしまう。基本的には演奏者と聴く人との間の感情、意思の伝達が目的なのでその手段は伝わる限り何でも良いのだとは思う。しかしその手段で聴く人の興味をそそることが出来るのかも知れない。
道路事業を守る為に、歌を作り、ミュージカルを公演する。。その為に多くの税金が費やされて行く、アロマセラピィーやマッサージチェアー等は子供のレベルであるが、こういった芸術(やってる連中を考えるとそのレベルではないと思うが!)を使ってPRし同調をえようとする姑息な考えは許しがたい物がある。音楽はヒットラーを初め多くの暴君の煽動活動の一端を担って来た事が多いと同時に、反戦運動の様に全く逆の立場から自然発生する事もある。芸術という世界を考えるにいつも体制に迎合せず、しっかりとした目標をもって発言して行く事が大事だと思う。