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ニューヨークデザイン情報

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尾崎豊の放送をみて、、

2010年11月13日 | 音楽
尾崎豊の演奏は彼が亡くなってから聴いた。その歌の内容と悲痛な叫び声は色々な人たちの心の中に今でもしみ込んでいる。彼の当初のライブの映像を見て、日常の尾崎からステージの尾崎への大きな変貌を垣間見る事が出来た様な気がする。彼のライブは彼が尾崎豊になりきるところから始まる様な気がする。それはステージの尾崎が本物か、ステージをおりた尾崎が本物かはどちらでも良い事である。彼の歌への執念がステージで100%表現出来ればそれで良いのである。悲しかったのは、亡くなる直前の映像で彼が必死で歌う『I Love You』をファンが一緒になって歌う録画があったが、その違和感がどうしてもなっとく出来なかった、その歌声は歌詞の内容とは異なって、清々しい汚れを知らない声だった、歌っている尾崎にとってそれがどのように感じられたのか、、とても興味がある。尾崎の悲痛な叫びも、聴衆にとってはアイドル以外の何者でもなかったのだろうか?『軋むベッドの、、、』と一緒に歌っている若い女性達の声からは悲痛感のかけらも感じる事が出来なかった。。

ヤングタウンの生みの親

2010年10月27日 | 音楽
関西で60年台、70年台に若者に絶対的な影響力を持ったラジオ番組『ヤングタウン』の生みの親であり、育ての親でもある「大ナベ」さんが75歳の若さでなくなった。末期がんである事は薄々聞いてはいたが、やはり亡くなったと聞くと、自分の青春が終わった様なとても寂しい気がしてならない。「大ナベ」さんとの出会いはかなり早い時代からで、僕がまだ高校生の時からだった、丁度1967年頃かも知れない、まだ斉藤勉さんが司会をしているときの事であった。桂三枝さんが初めてヤンタンに出た時もバンドとして出ていたのを覚えている。思い返してみると色々な事があったし、色々な事を教えてもらった。70年に入ってすぐにバンド活動を終え、アメリカに渡ってしまったのでその後のヤンタンの創成期の事は全く知らないが、チンペイだとかさんまとか数多くのスターが誕生して行った大阪の旗艦番組であったことは間違いがない。でもそれを作り上げた「大ナベさん」の最後は他のスタート比較すると寂しい気がする。でもプロデューサーとはそういった仕事なのかも知れない。。

音楽活動

2010年10月04日 | 音楽
このところライブが続いている。練習とライブとは正直言って全く異なるもので、思った以上の力が出るのがライブ演奏である。ただ練習のしすぎて本番に声を枯らしてしまうところがアマチュアの弱さなのかも知れない。練習で力を入れないで本番で力を充分に発揮出来ればこれ程楽な事はがないのだ。。楽器の練習は手が少し痛くなる程度で何とかなるのだが、如何せん声はそういうわけには行かない、つぶれた声が回復するにはそこそこの時間も必要となる。。声に一番良くないのはお酒とタバコなのだがどうしても酒をついつい飲んで歌ってしまう、、それがまた声を潰してしまう原因ともなっているのは重々承知しているのだが、、『わかっちゃいるけど、やめられねー!』

玉置浩二のライブ

2010年09月14日 | 音楽
彼の歌は昔からとても好きでスローバラードもロックの曲にしても、いつも『艶っぽい』いい感じで唱っている。色々とスキャンダルの多い人生のようだが、最近益々加熱しているようで、それも販売促進活動の一つかと思っていた。しかし、先日のライブ演奏途中での逃避行動の報道を聞いてとても残念に思った。僕以外にも多くの人が彼の才能を評価し支えて来たはずである、その人たちに自分の都合で演奏を中断、バンドメンバーもステージをおりてしまうなど、どう考えてもあり得ない話である。多分間違いなくドラッグが絡んでいると思うが、そのところは当然公表出来ないので、楽器とか自分の調子とかいった理由にするに決まっている。アル中でない限り少々のお酒ではそこまでの状況にはならない、、これはライブを経験している人ならすぐにわかるし、僕の知人は酒を飲んで演奏中に、走り回る子供に向かって怒鳴った事もあるが、それもアルコール依存度の高い人だったからと言う事もあった。今、薬物で汚染された芸能界が再び大脚光をあびるような予感がしてならない。

木村充揮のライブ

2010年05月17日 | 音楽
木村充揮のライブを聴きに行った。場所は阿佐ヶ谷のロフトAという小さな小屋であった。ソールドアウトという会場は床スペースが全く見当たらない程に席が(と言っても小さな丸椅子)が敷き詰められていた。2ローカルバンドの演奏の後にバーボンの水割りが入ったグラスを片手に登場、酒を飲む時間、タバコを吸う時間と歌う時間がほぼ同じ様なペースで淡々と歌うマイペースな木村さん。僕は昔一枚のCDを友達からもらった、その演奏/歌の重みに深い感動を受けたのだが、それが憂歌団だった。木村充揮がボーカル、中村貫太郎がギーターという日本語でブルースを歌たう特異なバンドだった。解散後、ソロ活動をしていたが、このところまた、活発に演奏活動を再開している。彼のしゃがれた声は声帯ではなく食道を使って歌っている様にさえ感じる、それは綺麗ごとの歌の世界とは全く違った世界である。人生の歌、恋愛の歌どれをとっても説得力があり、感動を与えてる。彼を越える日本人ブルースシンガーはいまだに僕は聞いた事がない。。結局ステージでは5杯のバーボンの水割りを飲み干し、10本程のタバコを吸いきった!体を壊さないでまだまだ頑張ってほしいミュージシャンである!

三越劇場

2010年03月16日 | 音楽
三越劇場で友人の舞台が会ったので観に行って来た。久しぶりの三越百貨店だったが、中央の吹き抜けには度肝を抜かれた。ちゃんと見たのは何十年も前の事なのでびっくりしてしまった。以前、この中央に置かれている天女(まごころと読むらしい)の作家佐藤玄々についてコメントを書いたが、カラフルな作品はその大きな吹き抜けの空間にぴったりとマッチしている。これだけのダイナミックなスペースはもうどこにも無いのではと思う程に迫力があった。その当時の建築技術のすべてを掛けて作られた建物なのだなーと、つくづく関心させられてしまった。劇場もどちら下というとドイツ的な装飾の内装で天井にはすばらしいステンドグラスがはめ込まれていた。時代を超えた優れた作品はしっかりと残してもらいたい物である。今、絶滅の危機にさらされている百貨店の本来の姿がここに見られる様な気がしてならない。

ギター発掘

2010年03月04日 | 音楽
仕事で中古の家具/装飾品を売る店に立ち寄った際に、何気なく天井からつられている8本程のクラシックギターに目が止まった。早速、木目が気に入った2本を予約し仕事が終わった後で再訪問、どちらもひどいチューニングと腐った弦で音はぼろぼろだったが、なかなかいい雰囲気のギターだったので早速値段交渉、一本3850円の所を2本で6050円で決着、包装してもらい持ち帰った。一本は「穂高」という銘柄で105番と言う番号が付いている。ネットで検索するとどうもモーリスの初期のギターの様である。もう一本は矢入貞雄さんが1970年に作ったSY-12Aというモデルだった。どちらこきれいに磨いてブリッジ等の弦高の調整をして、新しい弦を張るとなんと3000円とは思えない音を出すではないか!これからも中古ショップを歩き回るのではと思う様な思いがけない掘り出し物だった。

大貫妙子さんの歌

2010年01月26日 | 音楽
週末の夜、BSを何気なく聞きながらうとうととしていたら、ささやく様な歌声が僕の体のなかに心地よい響きをかなえながら入り込んで来た。気がついてテレビを見ると大貫さんのライブの録画放送だった。その歌声とバックの演奏が本当に心を癒してくれるのがわかった。今まで彼女の事は全く知らなかったが、アコースティックライブと銘打って長年コンサートを続けているとの事、又、提供する楽曲も数多く本当に実力のある音楽家だと知った。是非ともライブの音を生で聞いてみたいと思った。

加藤和彦の死

2009年10月17日 | 音楽
本日長野にて加藤和彦さんが無くなったという放送をNHKのニュースでたった今知った。思えば1967年だっただろうか?あるコンサートで神戸に来てライブに出たのを聞いた事があったが、丁度自費で作ったLPがヒットして、端田宣彦が新しく加わった直後のライブであった、まだ練習が出来ていない中の演奏だったが、加藤さんの歌声がとても優しい響きを持っていたのを覚えている。その後、フォーククルーセダーズは一躍全国区で一躍有名になってしまい。コマーシャルベースに乗ってしまった感があった。。その後、北山は医者になるべく大学院に端田は新たなバンドで『花嫁』でスターへ、加藤はその後サディスティックミカバンドでロックの世界へとがそれぞれ旅立っていった。その中でも音楽性で一番優れていたのが加藤和彦であった。

マリーさん亡くなる。。

2009年09月18日 | 音楽
peter,paul and maryのマリーさんが亡くなったニュースを昨日のラジオ放送で聞いた。思うと彼らの音楽とは45年近い付き合いとなっている。高校生の時に憧れたフォークグループである。金髪の長い髪の毛を振りかざして歌う長身のその姿は、皆のあこがれの的でもあった。。その彼女が近年病気になって次第に太り始め、昔の面影が亡くなった事に、冷酷な人たちは厳しい声を投げかけていた。。その後、脊髄の移植を受けて、音楽活動を復活していたが、今年のツアーが始まる直前に彼女の参加が中止され、ピーターとポールだけのライブとなった事を聞いていた。ある意味では、こうなる結果を予測はしていたが、残念な事である。彼女の低音はこのトリオの一番の武器でもあり、個性でもあると以前ポールが言っていたが、僕もその通りだど思っている。マリーさん抜きにPPMは存在しなかったかも知れない。マリーさんの冥福を心から祈ります。。