ロマン派詩人はニュートン流の近代科学を好まなかった。ウィリアム・ブレイクは海底で下を向くニュートンの姿を描き、彼の科学を自分の神秘主義的世界から排除しようとしたし、キーツはニュートンの物理学は虹を解体させてしまうと批判した。著者はブレイク、キーツ、ロレンス、イェイツといった英文学の詩人たちが科学を批判したということを受けつつ、実際は詩と科学は共存し得ることを主張する。科学は詩的な想像力を抑圧するものではなく、むしろつくりだすものである。著者は科学が起すセンス・オブ・ワンダーを重視し、それを科学に興味のない人々へ伝えようとする。彼は自身の役割をカール・セーガンに近いものだと考えているようだ。
著者は一見「科学的」な様態をしている擬似科学への批判を怠らない。著者はまず『スタートレック』のような子ども向けのSFを否定する。そしてハーバート・スペンサーの社会進化論、テイヤール・ド・シャルダンの神学的な科学を一刀両断するとき、彼の文才はその高みを見せる。スペンサーやシャルダンの疑似科学ほどではないが、著者はスティーヴン・J・グールドの進化論に対しても真実を曇らせてしまうものだという認識を持っている。
グールドは先カンブリア時代の化石を研究することによって、生物が断続的に進化し得るということを明らかにしようとした。グールドは生物の漸次的進化性を重視したダーウィンの考え方の一部を修正することによって、先カンブリアの生物の進化の真相を探ろうとしたのである。しかしドーキンスはグールドの断続平衡説は、小進化と大進化を峻別でき得るという考えに基づいているということを指摘し、その2つの差は必ずしも明らかでないということを喝破する。グールドは文才があるがゆえに、多くの読者を魅了してしまうが、その文才はかえって有害であると著者は考えているようだ(しかし文才ということに関しては、ドーキンスの方が一枚上手に思えるが)。著者はグールドの論敵であるサイモン・コンウェイ・モリスの論を支持している。
著者は一見「科学的」な様態をしている擬似科学への批判を怠らない。著者はまず『スタートレック』のような子ども向けのSFを否定する。そしてハーバート・スペンサーの社会進化論、テイヤール・ド・シャルダンの神学的な科学を一刀両断するとき、彼の文才はその高みを見せる。スペンサーやシャルダンの疑似科学ほどではないが、著者はスティーヴン・J・グールドの進化論に対しても真実を曇らせてしまうものだという認識を持っている。
グールドは先カンブリア時代の化石を研究することによって、生物が断続的に進化し得るということを明らかにしようとした。グールドは生物の漸次的進化性を重視したダーウィンの考え方の一部を修正することによって、先カンブリアの生物の進化の真相を探ろうとしたのである。しかしドーキンスはグールドの断続平衡説は、小進化と大進化を峻別でき得るという考えに基づいているということを指摘し、その2つの差は必ずしも明らかでないということを喝破する。グールドは文才があるがゆえに、多くの読者を魅了してしまうが、その文才はかえって有害であると著者は考えているようだ(しかし文才ということに関しては、ドーキンスの方が一枚上手に思えるが)。著者はグールドの論敵であるサイモン・コンウェイ・モリスの論を支持している。