origenesの日記

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蔀勇造『シェバの女王 伝説の変容と歴史との交錯』(山川出版社)

2008-05-05 16:05:20 | Weblog
旧約聖書「列王記」においては、イスラエルのソロモン王を訪ねてきたとされるシェバの女王。彼女はヨーロッパにおいては西アジア出身とされてきたが、一方でアフリカ出身だとするような説もあった。特にエチオピアにおいては、アフリカ出身のシェバの女王が民族的なアイデンティティの拠り所ととされてきたという。
元々1世紀ユダヤの教会史家ヨセウスは、シェバの女王をアフリカ・南アラビア(今でいうイエメン)双方の要素を含むものと考えた。シェバの女王をアフリカ出身だとする説はやがてはエチオピアの14世紀の建国神話『ケブラ・ナガスト』(王たちの栄光)に繋がっていく。20世紀エチオピアのラスタファリ運動も、このシェバの女王アフリカ出身説に基づいている。ラスタファリの人々にとって、エチオピアとはシェバの女王の国であり、聖櫃の眠る国であった。そしてハイエ・セラシエ帝は神に選ばれた皇帝なのである。
一方でユダヤ教徒は歴史の中でシェバの女王を、夢魔リリスと結びつけ、恐ろしい女性と見なした。キリスト教徒はシェバの女王をユダヤ教徒に比べて肯定的に見なした。19世紀ヨーロッパではシェバの女王はオリエンタリズムと結び付けられ、ノディエやネルヴァルの文学作品を生み出すこととなる。
私はシェバの女王というと、ヘンデルのオラトリオの「シェバの女王」の入場を思い出すが、このオラトリオにおいてはアラビア説とアフリカ説が折衷されているという。

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