origenesの日記

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リップマン『世論』(岩波文庫)

2008-01-21 20:48:00 | Weblog
ウォルター・リップマンほど、「アメリカの大知識人」という呼称が相応しい人はなかなかいないだろう。
ハーヴァード大学では詩人T・S・エリオットや『世界を揺るがした十日間』のジョン・リードと同期で、当時ハーヴァードに講師で来ていたイギリスの政治学者グレハム・ウォーラスから強い影響を受ける。25歳で処女作を発表後、実務にも関わり、ウィルソンの14ヶ条の実に8ヶ条はリップマンが作成したもと言われる。第二次世界大戦後も、第一級の論客として活躍し、ジョンソン大統領がベトナム戦争を主導したときには、彼の政策を徹底的に批判し、その論争の様子は「リップマン戦争」とまで呼ばれた。
この『世論』(よろん)はリップマンが第一次世界大戦後の1922年に発表した代表作で(ジョイスの『ユリシーズ』と同年だ)、彼は20世紀においては、民主主義の基盤となる国民の世論が、マス・メディアの圧倒的な影響力の下にあることを指摘した。この著書の中でリップマンは、今では一般的な用語として流通している「ステレオタイプ」という概念を提示した。アメリカ合衆国の人々は、実際にメキシコに行ったことはなくても、メキシコの様子を想像することができる。その原因として、リップマンはマス・メディアである新聞や雑誌を上げ、このようなマス・メディアによって人々は様々な国や人種のステレオタイプを形成してしまっているということを指摘した。しかし、別にこのステレオタイプは現代人だけが持っているものではない。リップマンは、有名なアリストテレスの奴隷制度擁護論を例に出し、この中でいかにアリストテレスが奴隷に対するステレオタイプに囚われているかを暴いている。
リップマン曰く、ステレオタイプは理性の力に先行するものであるという。だからこそ、ステレオタイプを打ち破るのは、優れた理性判断を行うことが可能な者であっても、決して易しいことではないのだろう。
リップマンがこの著書を書いた1922年に、人々はメディアの力によって「擬似環境」の中にいたのだとしたら、21世紀に入った現在、その擬似環境の力はますます増大してきているのではないか。マス・メディアは最早、新聞や雑誌だけではない。テレヴィジョンを経て、インターネットという新たなメディア情報の手段が、人々の生活や知覚のあり方を変えつつある。従来のステレオタイプの強化が進むとともに、新たなステレオタイプが多様なメディアの力によって生まれつつある。この著書の持つ重要性は少しも衰えていない。現代において、ますます「ステレオタイプ」や「擬似環境」は支配的になってきている。
ちなみに、あまり大きな声では言えないけれども、ボードリヤールの「湾岸戦争は起こらなかった」(サイードに批判された)という発言は、リップマンのこの考えから一歩も先に進んでいないと思う。

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