【人生をひらく東洋思想からの伝言】
第94回
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」(吉田松陰)
(私の身がたとえ武蔵の地で朽ちてしまったとしても、大和魂だけはこの世に留めておきたい。)
吉田松陰先生は、天保元年(1830年)8月4日に生まれ、
安政6年(1859年)10月27日、江戸伝馬町の獄で処刑され、29年2ヵ月の生涯を閉じました。
今回ご紹介させていただくのは、松陰先生の遺書となった
『留魂録(りゅうこんろく)』の書き出しの歌であります。
松陰先生が 生きた時代背景は、激動の時代を生きていました。
欧米列強が日本の植民地化を企図し、武力をもって迫っていました。
このような状況下で、徳川幕府は なす術もなく権威を失墜し、
国内は対立抗争が激化し、日本全体が混乱の中で揺れていました。
そのような中で、松陰先生は当時の全国の若い志士の心と魂に火をつけ、
新しい時代を切り拓く流れを生み出していきました。
今の時代は、敗戦後の教育によって、本来持っている日本人としての大和魂は、
かなり失われていきました。様々な状況においても絶望的な状況だからこそ、
新たな可能性も沢山立ち上がっているようにも感じます。
本来の日本人が持っている大和魂としての底力、そしてその在り方を思い出して
発揮していく時が来たようにも感じます。
皆さんで、ともに力を発揮し、ともに支え合いながらこの困難な状況を乗り越えていきましょう。
参考文献
『吉田松陰一日一言』川口雅昭編 致知出版社
広隆寺 弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)