大玉村社協ブログ 

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小木曽先生を囲んでの勉強会実施報告

2015年09月06日 17時03分26秒 | 大玉村社協

現在9月6日17時10分、大玉村は雨模様です。

ここ数日天気が良かったのですが、いよいよ降ってきてしまいましたね。

そして週間予報を見ているとこれからしばらくは雨マークが続くようです。

しばらく太陽とはおさらばか、とちょっと気分的に落ち込んでおりますが、落ち込んでばかりもいられません。

なぜかと言いますと、本日(9月6日)大玉村に来ていただいてすでに3年目になる、カウンセラーで親学アドバイザー、

それ以外にも多数肩書をもっていらっしゃる小木曽道子先生にお越しいただき、非常に有意義なお話を聴くことが出来たためです。

小木曽先生のお話の中身を書く前に、本日は12時から勉強会が始まりましたので、

まずは腹が減っては勉強会は出来ぬ、ということで

参加者全員で昼食に舌鼓。

その後大玉村社会福祉協議会の浅和会長より主催者あいさつをいただいて、小木曽先生を囲んでの勉強会開始です。

本日のテーマは「ダメージからのリカバリー」。

非常に広いテーマですが、人間生きていれば誰しも楽しい事ばかりではありません。それこそ今日の雨天のように晴れの日ばかりではなく、曇りの日も雪の日も、様々な天気の日があるように、辛いことがあったり、悲しいことがあったりしますね。

釈迦も人間は生まれてきた瞬間から、老いること、病になること、死ぬことの4つの苦しみがあるよ、と仰っているように、生きるということは問題の山積みの中を進んでいくようなものなのかもしれません。

しかし昔読んだスヌーピーの本の中に「どんな問題も逃げ切れないほど大きかったり、難しかったりはしない」というセリフがありました。

というわけで、本日小木曽先生がお話くださった内容の一部をこのブログをご覧になってくださっている皆様にお伝えさせていただきます。

上記のように嫌なことがあったり、問題に直面したりした時に、悩んでいる人は嫌なことを心の中で実際以上に嫌なことにしてしまう。

それはなぜかと言えば、心の整理が出来ていないからだそうです。心の整理とは悩みの実態を知り、明確にすることで、悩みの実態を自分で把握できていないからこそ実際以上に大きくとらえてしまったり、実像よりも想像によって、より複雑化させてしまっているんですね。

ですから、きちんと自分の中でできる、できないの判断をして、自分の変えられる部分は変えて、変えられないものは受け入れる、または断るということが必要になってきます。現実を直視して、嫌なことがあっても1つ1つ乗り越えれる姿勢があれば、困難なことに直面しても進んでいけますよね。

でもこの現実を直視する、ってなかなか難しいです。

例えば自分は「~でなければならない」もしくは、他人は「~するべき」という考え方をしている方はいませんか。

こういう枠を作ってしまうと、考え方も生き方も窮屈です。

また周囲の誰にでも好かれようと八方美人でいるのも疲れますよね。きっと八方美人の仮面の下の素顔は疲弊しているかもしれません。

更に思い込みによって苦しみを自分から作ったりしていませんか。

「自分は〇〇なダメな人間です」という〇〇に言葉を自分なりに当てはめてください、と言ったら皆さんはどんな言葉を当てはめますかね。

きっと何パターンも言葉が出てくるはずです。これは小木曽先生ではなく、このブログを書いている私は〇〇には、「やらなければいけないことをついつい後回しにしてしまう」というのが真っ先に出てきましたが、それ以外にも〇〇にあてはまる言葉がマイナンバー制度に対する批判のように次々に出てきましたが、皆さんはいかがでしょうか。

でもこの〇〇について、「〇〇な時もある」というように考えてみたらどうでしょうか。

確かに私はやらなければいけないことをついつい後回しにしてしまいますが、よく考えてみると、いつもそうだというわけではありません。

ですから「私はやらなければいけないことをついつい後回しにしてしまう時もある」というように、柔軟なとらえ方をすると肩ひじを張って疲れるまで頑張ったりしなくてもよくなります。

そして数年前のドラマで「やられたらやりかえす!」というセリフが流行りましたが、やりかえすのではなく「許す」ことも必要になってきます。

他人によって受けたダメージはそのダメージを与えた相手に返したくなるかもしれません。

しかしその負の連鎖はお互いに傷つくだけです。

どこかで断ち切らなくてはなりません。

もし許せないとしたら、それは①過去に傷ついた思い出がトラウマになっている、②自分を縛る刷り込みによって出来たルール、③ダメな自分への嫌悪感や劣等感、④許されていないという罪悪感や思い込みが背景にあるのかもしれません。

でもそもそも考え方、判断基準の元になる「常識」。この常識が合えば気が合う、常識が合わなければお互いにダメージを与えあう、ということになるのかもしれませんが、この常識とはその人の持つ考え方の集積であって、それぞれの常識に良いも悪いもなく、もちろんスタンダードでもありません。だからこの常識に縛られ、バランスを崩すようになると、様々な不調につながって、生きづらさにもつながっていくのかもしれません。

鬼平犯科帳の長谷川平蔵の言葉に「人間とは妙な生き物よ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く。心を許しあう友をだまして、その心を傷つけまいとする」というものがありましたが、悪いことだけが起こる人生なんてなく、逆に良いことだけが起こる人生もありません。だからこそ、清濁全てを飲み込んで、うまくいかなくてもいい、チャレンジして失敗してもいい、タブーを破って痛い目にあってもいいというように、覚悟ができるようになると、結果が成功でも失敗だったとしても、自分自身が豊かになるのかもしれません。長谷川平蔵も大人になってからは鬼の平蔵として江戸一帯の盗賊に恐れられる存在ですが、幼少時代には本所の鉄と呼ばれ、悪行にも手を染めて、とふり幅があるからこそ、って鬼平のことはいくらファンだからと言ってもほどほどにしておかないといけませんね。

ダメージを受けることは誰にでもあっても、それを自分の中でどのようにとらえて、どのように咀嚼できるか、その時の解釈にどれだけ幅を持たせることが出来るのか、が上手くダメージと付き合っていく、つまりリカバリーのコツかもしれません。

当人の内面はこのような過程でダメージを受けたとして、そのリカバリーがなされるとして、ここからは現在子育て中の方に是非読んでもらいたいのですが、人間心理には4つの減点があり、信号無視で1点、一時停止で1点と減点される、ということではなく(本来は原点と変換されるべきところが減点で変換されたので、ついつい悪乗りです)、①望まれた、大切な子どもであること、②私の愛すべき子どもであること、③スキンシップ、④食べ物、という4つが十分に満たされて育つと、成長過程で自分は愛されて育ったという実感が子どもの中にも育まれ、自分と言うものをもって健全に育つそうです。でもこれが満たされないと、依存することによる甘えや劣等感による甘えが生まれてしまうそうです。

ですから現在子育てをされている方は上記①から③までがしっかりと子どもに伝わるように接して、④にも気をつけながら子育てをしてくださいね。 

というような話を(余計な引用はこのブログを書いている私が勝手に差し込んだものです)、具体的な事例を交えて小木曽先生からお話していただきました。

その後はワークショップということで、本日の勉強会参加者一人一人ずつ今日の学びを受けての発表をしたのですが、そちらも活発な意見と先生の温かい受容と的確なアドバイスがあったのですが、そちらは個人的な問題を多分に含むので割愛させていただきます。

またまたスヌーピーのセリフからの引用になってしまいますが、「同じことを考えても夜中の3時と翌日の昼とじゃ答えが違ってくるよね」というような言葉がありました。夜中にはいやなことを想像以上に大きくして、実際よりもより困難な問題に見えてしまうことがありますが、次の日になって改めて考えてみると、急に立ちはだかる問題が大したことのないような問題に思えたり、解決策がパッと思い浮かぶことがあります。

だからこそ、きちんと現実を直視して、自分の中で解釈や妥協点の幅を持って、度量の広い人になっていきたいものですね。

というわけで、本来であれば難しいテーマを小木曽先生は噛み砕いて分かりやすくお話してくださったのですが、私の拙い文章力ではそれを十全に伝えるのは無理なのですが、せめて一部でもこのブログをお読みの皆さんに伝わったら嬉しく思います。

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