大きな樹の下で。

大きな樹のようなヒトになりたい。
みんなの憩いの場となる樹のような、
心の広い、
でっかいヒトに。

うそとほんと。

2006-03-18 18:45:29 | Weblog
定食屋で、いつもと同じやつを頼んだら
いつもはない豆腐がありました。

あ、こいつはサービス?と思いきや、
一緒に食べていた先輩が一言。

「廃棄なんじゃない?」

まぁ、いつも廃棄を食べてますから、大丈夫ですけど?


言葉ってのは
疑おうと思ったら、いくらでも疑うことができる。
気持ちってやつを、言葉にしてるんだから、
それって100%ではないわけで、
さらに送信者と受信者がいるわけだから、
ちゃんと伝わる保証なんてない。

そもそも、
嘘だって言えるわけで、
相手が本当に「おいしい」と思っているかどうかなんて、
単純に相手が笑って「おいしい」と言ったから
絶対そうってわけでもないでしょう。

まぁ、でも、
相当猜疑心の強い人間じゃない限り、
ある程度は漠然と相手の言葉を信じて生活すると思います。

さて。

「だって、おまえはこう言ったじゃないか!」

「確かにそう言ったけど、本当は(以下略)!」

こーゆー展開。
皆さん、体験としてあるんじゃないでしょうか?

口ではそう言ったけど、みたいなね。
あまのじゃくになって、口では「きらい」と言ってしまうだとか、
わざと意地悪なことを言ってしまうだとか、
ついつい強がってしまうだとか。

ありますよねぇ?

うーん、される側としては、
それに気を遣いだしたら
しんどいこと、この上ないですけどね
orz

僕の中で、それが「思いやり」ならば、
きっと気持ちよく相手と接することができるんだろうけど。


こんなこと言いながら、
本当はこう思っているんだろうな。
本当は気にしてるんだろうな。
本当はいやなんだろうな。


考え出したらきりがないし、おかしくなっちまいそうです。



いっそのこと、すべて吐き出してくれ。
嫌ってくれてかまわないから。

表面的な意味と、それとは不一致な本音、
その存在に気が付かなかったら良いのにな。
たしかに、
その存在には気がついてしまうのです。


サトラレって映画がありましたけど、
サトリになってみたいって思うことがあります。

でも、
他人の本音なんてもんが脳に流れ込んできたら
僕はすぐに気がおかしくなるだろうな。