大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

大牟田・早鐘眼鏡橋の石材や技術

2015年03月30日 19時49分13秒 | 日記


まっちゃんよりコメント
辛苦了!(*^▽^*)

お二人とも、お疲れ様でした。
せっかくゴールしたのに、ご褒美はなかったんですね。
私は、早鐘踏切の前を、20年間通っていましたが、近くで見学する機会なんてありませんでしたよ。良かったですね~。

N:まっちゃんコメントありがとう!確かにラッキー!でした。次の機会に、一緒しましょう!

この橋が跨ぐのは大牟田川の上流です。小さな清流であったことも嬉しかったです。時代が200年余経過すると下流では七色川といわれるような汚染川になったんですからね。

  解説掲示板  上から見下ろした眼鏡橋

掲示板には「早鐘眼鏡橋 昭和45年6月17日指定(国指定重要文化財)」の解説があります。

「早鐘眼鏡橋は、三池藩が延宝2(1674)年に早鐘池の用水を通すために、大牟田川にかけた石造りアーチ型水路橋で、この様式では我が国で一番古いものです。橋の上には三方が板石で作られた深さ33cm、幅45cmの用水路が設けられており、早鐘池のある東のほうから、村々のある西の田へとこの水路を通って水は流れていました。農業生産工場のため、中国から伝えられた新しい技術を応用し、導入した先人の知恵と工夫は称賛に値するものといえます。 この橋は長さは11.2m、幅3.15mで、石材は凝灰岩が使用されています。 平成8年3月 大牟田市教育委員会」

と書かれてあります。

<現地観光ボランティア>さんのお話では、まず早鐘池という人工池が作られ、その水を流す早鐘眼鏡橋が築かれたそうです。

<土木遺産in九州>によりますと

*「石材は大牟田市櫟野地方に産出する阿蘇溶結凝灰岩で、櫟野には櫟野石工」と呼ばれる技術集団がいたことが推察されています。

*「眼鏡橋は中国僧黙子如定によって寛永11年(1634)長崎にはじめてかけられ、やがて全国に広がったものです。この新しい橋の様式を、いち早く三池藩がかんがい工事に利用したことは、藩の産業開発についての熱意と研究の旺盛さがうかがわれると同時に、その優秀な土木技術は今も高く評価されています。」とあります。

*この「橋の北方約12kmの三池町には、江戸時代末期に築造された『陣屋眼鏡橋』が今も残っています。」

~玉名荒尾から柳川にのびる三池街道は、眼鏡橋、灌漑石垣の遺構が多く、<石造りロード>と評してもいいんじゃない?と思います。

<大牟田 まち歩きツアー・コース紹介>によりますと

*「1889(明治22)年月に熊本県西部を襲ったマグニチュード6.3(推定)の『熊本地震』で早鐘池が漏水し、その役目を終えた。」とありました。

 


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