大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

「哲さんとの活動 漫画とエッセーで」

2023年04月17日 05時22分14秒 | 日記

 「アフガニスタンで人道支援に尽くした中村哲医師(享年73歳)と共に、現地で活動した元ワーカーの杉山大二朗さん(47)=福岡県福津市=が2月、中村医師の姿をエッセーと漫画で描いた回想録を出版」されたそうです。
 「杉山さんは関東の大学を卒業後、定職に就かず、広告や資格の教本にイラストや漫画を描いたり、アルバイトをしたりしていた。創作に行き詰まり、海外を放浪するようになった20代後半、中村医師が現地代表を務めた福岡市の非政府組織(NGO)〈ペシャワール会〉の存在を知り、ワーカーに志願。05年にアフガンに渡った」とのことです。「待っていたのは、葛藤の毎日」だったそうです。「医療支援事業では、不十分な設備で幼い子どもたちが命の危険にさらされる現実に打ちひしがれた。無断で仕事を抜け出す現地スタッフの指導に悩み、本で学んだ知識をそのまま農業支援に生かそうとして、現場の彼らの反感も買った。そんな時、中村医師が繰り返し口にしたのは『われわれはいつか去る身。彼らの文化や風習を尊重しなさい』」と言われたそうです。「自分の中に潜む傲慢さに気付かされた」と杉山さん話されています。
 「現地の治安の悪化で11年に帰国し、中村医師が亡くなったことを機に3年近くをかけて書き進めた回想記」を出版されたそうです。
 「4月から杉山さんは、母校の東海大福岡高(福岡県宗像市)で教員としての新たな一歩を踏み出」されるそうです。「生徒たちには中村医師が好んだことば『一隅を照らす』を伝えようと思ってる」そうです。
 写真では杉山さんが書かれた本『仁義ある戦い』の表紙が紹介されています。「険しい表情が印象的」と評されていますが、別の週刊誌に杉山さんは「用水路の建設現場、中でも重機に乗っている時の中村先生は、歯を食いしばり、にらみつけるような目で川を見ていた。すごい集中力で、何時間も休憩なしで働いていた。」と話されています。〜アフガン現地の厳しい実態が伝わってきます。
(下:2023年3月31日 西日本新聞-山口新太郎「アフガンでの6年 哲さんとの活動 漫画とエッセーで福津市の杉山さん出版 3年かけ回想記に」より)


 


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