おお~すずしい・・・昨日青空ながら風花の舞う一日になって今日も緩まず。冷たい風を感じてふと大昔、父が借りてきた本を読んだことを思い出します。
記憶に残っているのは、以下のようなことだったと思います。
その昔、海に面した寒村があった。
限界集落というのは意味が違うけど、生きるか死ぬか・・そんな意味での“限界集落“。
耕すに土地は痩せ、漁労は当てにならない。獲れても荷捌きのできない辺地。
春先には蓆を浮かべ、寄ってきたサンマなどをつかみ取りにするという素朴な漁が描写される。・・零細だ。
そんな集落が俄かに潤うときがある。
冬、海が荒れだすと塩を焼く。もちろん製塩ではあるが、本当の目的は・・沖の船は風よけにその火を頼りに集落に向かう。
集落の直前は、連続した暗礁地帯、たちまち座礁する。
ここに集落の者は殺到する。船員が生き残っていることもあるだろう。しかし、すべてにおいて“何事も無かった”が求められるのである。船も取り壊す。証拠が残ってはならない。
間違って藩の御用船だったりしたらなおさら・・
米俵、酒、砂糖・・その他この地で得られるはずがありえないお宝の数々である。
このお宝をもたらすものを集落の者は“お船さま”と呼ぶ。そして書いたとおりもはや特定できない“おめぐみ”以外、決して実体があってはならない来福である。
そんな集落にあるとき、珍奇なお船さまが流れ着いた。
これといって積み荷がなく、あばたのある多数の死体があった。それらは一様に赤い服を着ていた。
赤い服はなかなか上質な生地である。訝しみながらも集落に配分された。
・・・それからである。ポツンと体調を壊す者が出た。それは日を追って増えた。
集落は奇病に覆われることとなった・・・
結末はどうだったのかは記憶にない。病気の名は“もがさ”。主人公の意中の少女も感染した。・・タイトルは確か「破船」ではなかったか・・?
現在に帰って・・ 塩焼きをせずとも多くのお船さま、お飛行機さま、地上に上がってお列車さまからおバスさままで様々な往来がある。
そして“赤い服”を着ていないとの保証などはない。
災厄もひとつずつきてくれれば何とかなるような気もするけど、どうも一時にって感じになってきてるかな~
一個人、なんともできない。できることまずは手洗い、うがい、暴飲暴食を避け快眠かな・・
騒々しい世界、社会になってきたな〜 晴れても曇っても嵐。