晴れて、14℃ぐらいです。静かな日曜日。私は、殆ど毎日が日曜日みたいな
ものです。そうなると何をしたらよいかと、迷ってしまう人が多いとか。
幸い、私は外での仕事もありますが、部屋にいても退屈することは無いですね。
辛いことは一切ないです。本を読んでいれば何時の間にか夢の世界に行けるし、
録画も見きれないくらい溜まってしまっているし。あ、これは決して自慢を
しているわけではなく、まあその程度で退屈はせずに済んでいます。
朝の畑ですが、一面これは雪ではなくて霜柱です。もちろん、かなり寒いです。
その霜で真っ白な畑に行って、ミーちゃんはチーチーをするんだとばかりに、私を
畑に連れ出すのです。平気なんですね。寒くないようです。
私がサンダルを履いて外に出ないと、いつまでもこちらを見て待っていますから、
しかたがない。寒いのを我慢して付き合わなければなりません。
何故かしつけもしないのに、きちんと土を掘って簡易トイレをつくって、そこに
チーチーするのですから、それは感心します。きちんと土をかぶせておしまいに
しますから、それもエライ。
時には気晴らしに外出します。行き先はリクエストに応えて運転手になります。
と言いつつ、私の方が楽しんでいたりすることも多々ありますね。
あそこは嫌いだとか、そっちの方が良いとか言うような好みなどは強くない
し、行って見ると面白いものを見ることがあるし、また「グッとアイディア
だな~」と思えるものがあったりすることもありますから、それは楽しいです。
おいしいものが食べられることもあるし・・・。
いつも、そういう良いことがあるわけではありませんが、時々あるから楽しいの
でしょうね。大げさに言うと非日常的なことを楽しむといういことになるかと
思います。
コタツで、本を読みながら居眠りをしてしまうのも悪くはありませんが、やはり
外に出ることが心身ともに良いことと思いますね。これで、出た先で汗をかく
くらいの歩きとか山登りをするようなことがあれば、なお良いのでしょうが。
晴の日は明るくてイイナと思います。あまり連続して晴が続くと、埃っぽくなったり、
乾燥しすぎたりして、ちょっと心配になりますが。
今日はちょっと寒いなと感じます。先ほど温度計を見たところ11℃弱ぐらいでした。
幸い、風が無いくらいなので、ゾクゾクとはしませんし、外に出る「勇気」などは
必要ないです。
家の裏にある林の下草を少しずつ刈っています。何せ草だけ生えているのでは
なくて、林ですから太いのやら細いのやらが生えていますから、それらを避けて
刈って居るわけなので、気配りがたいへんです。
「ここに、この細い木が生えているけど、これが太くなってしまうと邪魔になる」と
思える物は刈り払い機で伐ってしまうことが楽に出来ます。
邪魔と言うのは、木と木の間の空間が、将来は狭くなってしまい、下草を刈りにくく
なったり、歩く時にもぶつかってしまったりすることになりますから。
他人の山林の下草刈りを頼まれたわけではないので、出来る所までで構わないので
気楽なものです。刈り残しても、夏にジャングルのようになるわけでも無いし。
また、山林に頻繁に入って行く用事も無いし。ただ、茂りすぎることを多少緩和
できれば、と言う程度です。
先日、買ってきた刈り払い機が活躍しています。一発でエンジンがかかるのが気持
良いですね。これまでは、何度もなんども紐を引っ張ってかけていました。
仕舞いには息が切れてしまいます。そうなっても、やっぱり千円や二千円で買える
ものではないので、できるだけ使いたいものです。それも、もう限界に達したので
変えたわけです。
何せ、エンジンをスタートさせる紐を何度となく引っ張り、息がきれるほどに
なっても、草一本刈り取れない状態ではね~~~~。
仕事の前に疲れてしまいます。
そういう時には、 裏山椎(うらやましい)な~と思いますね。
とは言っても、一日に何か体を動かすのは良いことと思っていますが、運動だけ
ではなく、何か体を使う仕事をすれば、運動の代りにもなることもありますから、
体に良いと思って、ある程度の時間、割くことが出来れば進んでやることにして
います。
晴れで午後5時頃が10℃でした。夕方になってくるとやっぱり寒くなり、さらに
暗くなると本当に寒いです。当然の話ですが。
大洗と言う海辺の町のお茶屋さんにお茶を買いに行きました。
お茶を買いに行くのも、私にはちょっとしたドライブを兼ねてです。気ばらし
ですね。他に何処かに行くこともありませんでした。
我が家でも茶の葉を摘んだことがあったのですが、乾燥装置がないし手間も
かかるので、そのお茶屋さんに頼んでいたのですが、乾燥代がかかるし、三人や
四人で積むのでは手間も時間もそれなりにかかるのでやめにしました。今は
買ったお茶を味わっています。
夜 景
今もその頃のお茶の木の列がいくつがありますが、畑との境など区切りの役割を
果たしているくらいです。区切りが無くても良いのですが。根絶やしにする必要も
ないし。
他人の畑との境に近いところにあったお茶の木の長い列は、根から掘り起こして
無くしましたが、木は大根のような根は無いのですが、かなりしっかりしていて、
なかなか掘り起こすのが大変だったです。
取りあげる程の大仕事ではないのですが、あれやこれやとちょっとした用事が
あった程度で、今日は作業着に着替えてするような仕事はしませんでした。
それでも、私としてはこまめに雑用はしたと思っています。
風がちょっと気になったのですが、日向に椅子を出して日光浴をしながら本を
読みました。日向に少しこだわったのは、体のためにせっかくの良い日差しを
浴びるのもたまには良いだろうと思ったからです。 しかし、読書と言うのは
すぐに眠くなるものですね。風邪をひくと困りますから、眠くなってきたら
立ち上がっては座るのを数回繰り返して眠気を吹き飛ばしながら読みました。
ページはなかなか進みません。日本の歴史に関するもので、今読んでいるところは
平安時代は摂関政治のあたりを読んでいます。紫式部の「源氏物語」が出てきます。
日本の誇る全く初期のころの、いわゆる長編小説ですね。私は源氏物語は、最初の
頃は古文で書かれた物を読みました。辞書で言葉の意味を確認したりして、時間を
かけて読んだのですが、そのうちにじれったくなり、現代文に訳したものにして
しまいました。気が焦ったからですね。いま思うと、最後まで古文のままのを
読めば良かったです。
晴れたのですが気温は8℃で、外へ出ると早く家に戻りたいと思うくらい寒いと
感じます。弱いですが、風も吹いているので、なおさら寒く感じます。裏山の
草刈を少しばかりしました。
古くなって思うように動かなくなった刈り払い機は、いろいろと調整しましたが、
とうとう駄目なので、新しいものにしたと言う話しを先日しましが、やっぱり
新しいものは違います。もちろん一回でエンジンがかかって、気持ち良く仕事が
できました。ですが、その調子に乗って、やり過ぎると疲れてしまうので、ほど
ほどにしました。もう若い頃のように、しゃにむに出来る年でも無いので、自分で
気付いて制限しないと、あとでドッと疲れがでますから注意しなければなりません。
外出の場合、必ずしもマスク着用にこだわらないようなことになってきたよう
です。今まで我慢をして、外出も加減していた人も、やや安心して気ばらしが
出来るようになって、多少ホッとしている人が多くなるでしょうね。気が緩み
すぎると要注意でしょうけどね。
ところが、今日のニュースによると、今度は鳥インフルエンザだとか。多摩動物
公園では5年ぶりに休園なのだそうです。
いつの時代になっても人は、と言うより「生き物は」と言った方が良いかも知れ
ませんが、病気からは縁を切れないものです。
あるレストランで・・・木にこのような物が吊してありました
先日起きたトルコ・シリアでの大地震は死者が4万人を越えたとか。石作りの
家が崩れて下に閉じ込められてしまった人の救出がたいへんなようです。
閉じ込められた人が救助隊に助けられるシーンを見るとホッとします。
地震は、阪神大震災で日本も近頃大変な経験をしたわけですが、私なりの見方
では、今度の地震で、日本との違いは火事になったシーンを放送しないこと
です。火事は無かったのか少なかったのか。日本の場合はかなり火災が起った
シーンをやっていましたね。これも家の構造の違いなのでしょうか。
昨夜は雨になったようで、明け方に庭が濡れていたので、分かりました。
雪にならず良かったです。降雨は少量だったらしいですが、道路は凍ることもな
かったようで、これが雪でしたら、早朝は踏み固められて、ツルツルに滑ったこと
でしょう。
その後は晴れて、さほどは風がなく、比較的過ごし安いです。気温は11℃程度
です。少し風があります。
石油を供給に時々来ます。石油は主に風呂とストーブに使います。
3~4km程度ですが、久しぶりに自転車に乗りました。今日は電動アシスト
なので、車体が重いですから、運動になりました。
坂道は無かったので、一度も電源はいれず、全行程を自力で走りました。自然に
思い出すのは火野正平のハーハーと息を切らすシーンです。私も少々ハーハー
しました。
途中、知り合いに出会い、彼はウォーキングでしたが、ちょっと雑談。互いに
一休みが出来て、おまけに気晴らしになったわけです。
自転車でも歩きでも、目の前を見飽きた田舎の風景が通り過ぎて行くだけですが、
自然にいろいろなことを考えたり、思い出したりして、そういう時間やチャンスが
あるのも、「歩くのは退屈で仕方が無い」という気持にさせないものです。
午前中は、親類の人が奥さんと二人で来てくれました。母の従兄弟にあたる人
ですが、面白いことに私より年下です。
昔は、何人も子供がいたので、一番上の子と一番下では親子ほど年が離れた
兄弟ということもあったわけですから、”私より年下の母の従兄弟” というのも
あり得るわけです。
彼が持ってきて見せてくれた、祖先たちの写った写真
子供の頃は、同じ市内なのですが、ずっと離れた遠い所に住んでいたので、あまり
会えなかったのですが、それでも小っちゃい頃から何度か我が家に遊びにきていた
ので、大人になってからはしばらく間が開きましたが、その頃の慣れた付き合いを
互いに温存して来ているので、「やあ、しばらく」と言う感じで、世間話や親類の
誰々さんがどうした、こうした。という話しが出たり、愉しい時間でした。