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腰椎椎間板ヘルニアの手術についても掲載しています。

腰椎椎間板ヘルニア 手術について その10 手術後24時間、48時間

2012-06-02 23:27:08 | 腰椎手術

【手術終了~手術後24時間】
5月10日

医「麦雄さん、麦雄さーん」
私「ん? はいはい」
医「終わりましたよ」
私「今、何時?」
看「11:30ですよ」
私「あー、お疲れさまでした」

以上のやり取りは手術終了後、私が麻酔から覚めた時のものだが、私の感覚では「あー、気が遠くなってきた…」と話をした直後である。
麻酔で眠っている間の時間経過の感覚や痛みの感覚は全くなく、夢も見ていない。確かに腰の辺りに手術前にはなかった手術創の痛みがあったので、手術終了は認識できたのだが、狐につつまれた気分だった。
いつの間にか私の病室(6人部屋)から手術室に私のベッドが運び込まれており、このベッドに寝かせられていた。
顔には酸素マスク。左腕には点滴。右腕には事前に採血していた自己血を戻すための点滴。右手人さし指に血中酸素濃度のセンサー。両足の裏にはエコノミークラス症候群を防止するためのポンプ(足の裏を圧迫したり弛めたりする)。腰からはドレイン。おちん●んからは排尿管。

全く身動きできない状態のまま病棟の面会謝絶部屋(個室)に運び込まれた。ここで母と対面。ついてきた主治医が母に対し手術が問題なく終了したこと、出血量は約80ccで済んだこと、輸血の必要はないが自己血なので体に戻すために点滴していることなどを説明した。

美人看護士が1時間毎に病室に来て、体温、血圧、心拍数、ドレインで排出される体内からの出血や体液の重量を計測し、尿を捨ててくれたのだが…。
13時の見回りのとき、美人看護士が私の異変に気が付いた。「麦雄さん、傷が痛いでしょ。さっきよりも眉間にしわをよせて苦しそう。痛み止め持って来るね」。
私は母と話をしていたので、自分では気付いていなかったが、言われてみると確かに痛い。
そして美人看護士が持参した痛み止めは…、何と坐薬。人生初の坐薬は美人看護士さんからでした。手馴れた手つきでT字帯を外され、ひょいと片足を持ち上げられ、肛門に狙いを定めてプスリ。恥ずかしくて穴があったら入りたい気分だった。こんな思いをするなら男の看護士から処置された方がましだよ。
痛み止めは効き始め、1時間後には痛みも落ち着いた。自己血戻しの点滴は程なく終了。

夕方、母は帰宅。何か美味いものでも食べたい気分だったが、手術当日は引き続き絶飲絶食だった。暇で身動きもできないので眠ろうと思ったが、痛み止めで傷の痛みは完全に消えるわけではなく、酸素マスクが鬱陶しく、足に装着されたポンプの圧迫による不快感、またポンプそのものの音(ブイーーーーン)がうるさくて眠れない。


エコノミークラス症候群防止のためのポンプと装具

18:20頃、痛み止めが切れてきたらしく傷が痛くなってきた。だんだんと痛みが強くなり、自然にうめき声が出て止まらなくなってきた。19時にナースコールで看護士を呼ぶと、昼間の美人看護士は勤務時間終了で帰宅しており、夜間番のスキンヘッドに黒縁眼鏡の男性看護士がやってきた。
男に肛門をさらけ出すなんて…、助けてっ、うわーーーーっ。やっぱり恥ずかしくても女性看護士の方がいいや。

この痛み止めの坐薬は効力が6時間のようだ。投与されてからしっかりと効くまで1時間かかるので、次は夜中の0時にお願いしよう。と思っていたのだがそうは問屋が卸さなかった。

5月11日

日付変わって0時過ぎ、予想通りじわじわと痛みが強まり始めたのでナースコール。深夜番はとても可愛らしい看護士だった。が、「麦雄さん、この痛み止めは6時間以上間を空けないと投与できないんです」。可愛くない。
やはり痛みはぐんぐんと激しくなり、再びうめき声が出て止まらなくなってきた。1時にこの看護士から痛み止めを投与してもらった。

10日朝の起床が6:30だったので、薬が効いて痛みが落ち着いてくると眠くなってきた。しかし、眠りに落ちかける絶妙なタイミングで足のポンプが作動して目が覚めてしまう。
結局、ほとんど眠ることができなかった。

7:00  4回目の痛み止め坐薬を再びとても可愛らしい看護士から投与してもらった。痛み自体は前日よりは僅かに軽くなった感じだが、まだ痛み止めなしでは耐え切れない。

7:30  待望の食事がやってきた。電動ベッドを動かし、頭を20度くらい起こした状態での食事なので食べにくい。量も全然足りず3分で平らげてしまったが、約36時間ぶりの飲食はとても嬉しかった。また、この時点で右手人さし指に付いていた血中酸素濃度センサーは外された。

10:00  看護士と実習の男性学生2名がやって来て、面会謝絶部屋から元の6人部屋に移動することになった。この時点で酸素マスクが外れ、口の周りの鬱陶しさから開放された。


手術部位に挿し込まれたドレインを通じて体内から排出される血液と体液

10:30  医師の回診。ドレインから排出された血液・体液の量を見て、翌日に抜き取ることになった。つまり、それまでは歩行できず寝たきり。つまり、もう一晩足のポンプに悩まされるということだ。

【手術後24時間~48時間】

左手の点滴はずっと続いている。

12:00  手術後、ずっと仰向けの姿勢で寝ていたため、尾骨周辺が痺れて感覚がなくなってきた。看護士に訴えると大きな枕を用意され、これに左半身をあずけて体勢を変えることができた。体勢は自力で変えられないので看護士が手伝ってくれたが、傷の痛みのため、涙を流しながらの作業だった。

13:00  痛み止めの効果が切れる頃だが、痛みの具合はそれほど強くなく、薬は求めなかった。母と妹が見舞いに来た。人と話をしているとリラックスでき、痛みも感じない。妹は私の暇つぶしに漫画本などを持参したが、大きくて分厚いため、重くて持てない。手術前なら持てたのだが、手術後は背筋が使えないため、体が著しく不自由になる。

15:00  膀胱が張り詰めているように感じられナースコール。やってきたのは昨日の初坐薬の美人看護士だった。排尿管につながっている尿瓶に尿が全くたまっていないとのこと。排尿管の具合が良くないようだが、おちん●んに挿し直すと苦痛を伴うため、美人看護士曰く「抜き取りましょう」。この美人看護士、昨日は肛門、今日はおちん●ん。もうどうにでもして。これ以降、尿は尿瓶で出すこととなったが、仰向けに寝た不自然な格好で排出することとなり、なかなか出なくて困った。

15:30  母と妹は帰宅。母の証言によると、妹は私の自宅に上がりこみ、冷蔵庫に入れていたおやつや、本棚に入れていた漫画(全11巻)すべてを持ち帰りやがった。

16:00  どうも熱っぽく感じられた。体温を測ると39.0℃ありナースコール。美人看護士がやって来て有無を言わせず熱冷ましの坐薬。手術後5日間、高熱が続いたのだが、主治医曰く「大怪我を負ったのと同じ状態だから体が反応して熱を出している。正常な反応なので気にしなくて良い」。

夜は足のポンプが邪魔で、あまり眠ることができなかった。

5月12日

10:00  医師の回診。ドレインが抜き取られた。すぐにスキンヘッドの男性看護士がやって来て体拭き。続いて歩行器が用意され、立ち上がり歩行練習。

点滴が刺さったままなので、管がわずらわしい。また、手術創の縫い目が引っ張られるような感じで筆舌に尽くしがたい痛さ。ベッドに寝た状態から立ち上がるまでに10分かかった。体を起こした時点でコルセットを装着する。

そのまま歩行器でトイレに行ったが、点滴棒が歩行器に取り付けられているため、車椅子用の大きなトイレに歩行器と共に入った。トイレでは洋式便器に座るときや立ち上がるときに傷から激痛が走り、脂汗を流しながらの荒行だった。また、傷の痛みのために力むことができず、大便がなかなか出なかった。


腰椎椎間板ヘルニア 手術について その9 手術前夜から直前まで

2012-06-02 10:43:09 | 腰椎手術

私は体毛が薄いので必要なかったが、濃い人は手術部位周辺を除毛されるらしい。
前日の夕方、看護士がやって来て、サージカルストッキングとT字帯を持って行った。手術室の担当看護士に渡しておくとのこと。また、手術後はしばらく起き上がれないため、このときに寝たままうがいをする練習をした。
手術に備え腹を空にするため、前夜の就寝前に下剤を服用した。また、日付の変わる0時以降は絶飲絶食である。
下剤服用後、すぐに腹がゴロゴロと騒ぎ出すわけではなく、普通に眠り、翌朝は快便だった。仮に当日朝になっても便通がなければ、浣腸で強引に抜き出される。

手術は9時の予定だが、起床は6時半頃だった。食事が停められているため暇だったが、看護士が来て「しばらく体を拭くこともシャワーを浴びることもできなくなるから、今のうちにシャワーをどうぞ」と優しいお言葉。7時からシャワーを浴びた。

8:40  実家から出てきて私の家に泊まっていた母が病室に到着。
8:50  看護士が私のベッドに迎えに来て、車椅子で手術室に向かった。母も付き添い。
8:54  手術エリアに入る。ここから先は家族も立入禁止となるため、母は病棟に戻った。
8:55  手術室が並ぶ区画の手前にある待機部屋に到着。この病院の手術は朝9時から一斉に始まるため、待機部屋は多数の患者、医師、看護士でごった返していた。手術室担当看護士が体温と血圧を測定。
8:58  執刀する主治医、麻酔医が待機部屋に到着。
      医「麦雄さん、おはようございます。眠れましたか? 今日はよろしく!」
      私「おはようございます。快眠でしたよ。こちらこそよろしく!」
9:00  待機していた患者達が続々と手術室へ。私は随分奥の部屋だった。手術室は広く、小学校の教室くらいの広さがあった。

車椅子から手術台の横にある簡易ベッドに移されると、麻酔医が左腕に点滴の針を刺した。看護士はサージカルストッキングを両足に装着。心電図をとるためのセンサーが体のあちこちに貼り付けられたり、総勢5~6名で私はいじられ放題。
医師が手術同意書、輸血同意書、麻酔同意書、私の氏名、年齢、性別、患部、術式を声に出して確認。
そして顔面に酸素マスクを近付けられ、「深呼吸してくださいねー」。深呼吸しているうちに麻酔医が点滴管に枝分かれの管を取り付け、「●●(麻酔薬の名称?)100mlいきまーす」。
10秒くらいで急に意識が薄らいできて、私は「あー、気が遠くなってきた…」