インテリアの書

文字を「書く」のではなく「表現」する

違う、を面白がる

2012年11月20日 | インテリアの書
                  激しい「雨」 (半紙)


えっと、教室は月2回、濃厚な? 時間を過ごしておりますが、
更新がなかなか追いつかず~でございまして。

ちょっとづつ内容が変化しつつではありますが、皆様とコミュニケーションをとりながら
一緒に試行錯誤しつつ、楽しく勉強しつつ作品も作っていきたいと思っています。

基本は、集漢木簡千字文の臨書をやっています。
まずは参考手本などはお渡しせず、それぞれが原本とじっくり対話をして自分の目、心で感じで書く。

というのも、どこかの会に所属していらはる方がいらしたり、それぞれの世界を持っていたりするので
それぞれの「書なり」(書の身なり)はそのままに。
私ごときの書風を押し付けたりはいたしませぬ 

おもしろいなぁと思ったのは、たとえば画仙紙の使い方の話。
横作品が書きたいとおっしゃるTさんに、

沙於里: 半切を縦横に切って4枚にして、それを横にして書かれては?
Tさん:  え?そしたら紙の目が縦になって、それはだめなんじゃないですか? (ん?横かな?)
沙於里: え?そんな話、初めて聞きました~。
Tさん:  目が変わると墨の入り方も違ってくるし・・
沙於里: へ~そうなんですか。。。

ってな感じにお互い、え~ へ~ ほ~ ってこともあったりして 

なんていうか、お習字とか、古典を学ぶ上では、それも大事にしなきゃいけない部分なのかもしれないけれど
表現という場面では、決まりごとも正しいもないわけで。
当たり前の方法に安心していては、びっくらするような感激にも出逢えないというか。

別の書道教室では、柿沼康二氏の前々回の番組で、はたきで文字を書くことにどうも納得がいかない・・と
おっしゃる方がいたんだけど 

それは、納得がいかなくてもいいのでして。
表現も、生きることも、答えはひとつじゃない、とにかくやってみればいいってこと 

たとえば、僕はあれは好きじゃない、やっぱりきちんとした楷書とかが書きたい、
そう確認できたのなら、それもめっけもん。
柿沼さんも嬉しいんじゃないかなと 

いつもと違うことをする、違うことをしている人を面白がる。
それが、表現すること、生きることの楽しみなんじゃないかな、と思うなり 

さて、なんだか話が長くなりましたが、最初の画像は「雨」。
筆を叩きつけるようにして、バンバンバンと。

一瞬、教室に静か~な空気が漂って、
「点は4つじゃなくてもいいんですね?」
「えっと、表現としては有りかな、と思います」 

ついでに、この日書いた「陽」の文字の習作を3つ。
直線、文字の解体、余白を意識しながら。








「陽」の文字で、何体(何種)書けますか?