こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
夏期講習真っただ中です。毎日溶けてしまいそうな暑さが続いていますが、生徒たちはこの暑さの中、頑張って塾に来てくれ、一生懸命ですので、私も夏バテせず気合を入れて頑張っていこうと思っています。
「自己肯定感」という言葉はよく耳にしますね。言葉通り、自分を肯定する気持ちのことですが、学校でもこの「自己肯定感」を高めていくことを重要な教育の柱としています。なぜならば、自己肯定感が低いと「自分はダメな人間だ。何もできない人間だ」と思ってしまい、自分の将来や人生を明るいものと考えることができず、何に対してもやる気を出すことができないからです。子どもには、もっと自分の将来や人生を楽しいものと考えてほしいという思いから、このような方針を進めているのです。
私の塾でも、「自分は勉強できないんだ。どうせやってもできないし」と勉強を諦めてしまっている子たちに対しては、とにかくどの科目のどんな勉強でもいいから、自力で解けるようになるものを1つでも作ってあげることを目標としています。解けるようになれば、そこから「自分もできる!」という自信と喜びが生まれ、勉強に対して少しずつ前向きな気持ちになってきます。そしてテストの点数でも、宿題でもなんでもいいから目標を立てて、それに向かって努力し、それを達成することでさらに充実感を得られるという、いい流れができます。ある程度勉強に自信を持っている子に対しても同様に、さらに自信を深めることができるような目標を設定し学力面はもちろんですがメンタル面にも重きを置いた指導を心がけています。
そういう意味では、こうしてそれぞれの学力や状況に応じた指導を行い、それぞれの目標を作って頑張ってもらうという指導法は決して間違っていないと思いますし、私も続けていきたいと思っています。
ですが、これだけで満足してはいけないですし、こればかり目指すのは危険だと思います。
これまで述べてきたものは、厳密には「自己肯定感」ではなく「自己達成感」だと思います。「自己肯定感」というのは「今の自分でいいんだ」「自分は存在していてもいいんだ」「自分は価値のある人間だ」と自分を大切に思ったり、ありのままの自分を受け入れることができる気持ちです。
一般的に不登校になっている子どもの多くは自己肯定感が低く、「他者と比べて自分はダメな人間だ、価値のない人間だ」と思ってしまっています。育ってきた環境・勉強の能力・社会性など、たくさんの原因はあるのでしょうが、その1つに「達成感を追い求めすぎた」ことが考えられます。
「やればできるんだ」「頑張ったら達成できるんだ」「努力した後の充実感を経験してほしい」という考えを生徒に押し付けすぎる面があると思います。同じ課題を与えても、能力も違うし、なにもかも違うわけですから、それを達成できる子もいれば、できない子もいます。クラスのほとんどができていることを自分だけができないとなるとその子はどんな気持ちになるでしょうか。
学校という場所はいやでも他者と比較してしまう場所です。「自分は自分、他人は他人」なんてある程度の年齢になって思えることであって、子どもの時期にはそんなことは難しいですよね。実際、大人になっても他人と比較して生きている人も多いのではないでしょうか。社会的な地位や収入などを他人と比較して落ち込んでいるという話はよく聞きます。他人をライバル視して、自分を発奮させる材料になればいいのですが、そうじゃない場合はそんなことをしても無駄だとわかっていてもしてしまうのでしょうね。
子ども社会は、どこにいてもそればかりです。学校では当然多くの同級生に囲まれて生活しているわけですから、比較対象は山ほどいます。家に帰っても、兄弟や親せき、友だちなどと比べられたり、塾でもクラブでも勉強以外のことでも比較されます。「負けないぞ!」という気持ちでさらに頑張れる子もいれば、「みんなすごいなあ。自分は何もできないや」と落ち込んでしまう子もいます。
問題なのは、子どもたちに競争をさせることではなく、学校などの子どもたちを取り巻く環境が過度の競争を与えてしまっていることや、自己肯定感を失ってしまった子どもたちのサポートができていないことだと思います。ある程度の競争は必要でしょうし、向上心や自信にもつながります。ですがその反面、まだ10代の子どもたちが「自分はなにもできない人間だ」「自分は生きる価値がない」などと思っていることは悲しすぎますし、彼らをサポートする体制が整っていない社会は間違っています。彼らに対して「学校に来ないと成績がつけられないから、高校進学したいのだったら少しでも来なさい」というのは、さらに追い詰めることになってしまいます。
まだ初期の段階ならそういった対処は間違っていないと思いますが、そこまで思いつめた子どもというのは、栓のない浴槽と同じなのです。自己肯定感がゼロの状態で、いくら水を注いでも、どんどん水が抜けていき少しも水がたまらないのです。
「達成感」「努力」確かに大切です。ただ前提として、子どもには能力の差や、得意不得意分野があることをしっかり理解したうえで、その方針を決めなければなりません。大人の一方的な押し付けによって、苦しんでいる子どもがいることを忘れてはいけません。
学校では難しいことでしょうから、すくなくとも塾では子どもたち全員に「自己達成感」を感じてもらい、その延長線上に自己肯定感を高めていくことができるような、そんな場所を目指していこうと思っています。
ONE-SのHP
夏期講習真っただ中です。毎日溶けてしまいそうな暑さが続いていますが、生徒たちはこの暑さの中、頑張って塾に来てくれ、一生懸命ですので、私も夏バテせず気合を入れて頑張っていこうと思っています。
「自己肯定感」という言葉はよく耳にしますね。言葉通り、自分を肯定する気持ちのことですが、学校でもこの「自己肯定感」を高めていくことを重要な教育の柱としています。なぜならば、自己肯定感が低いと「自分はダメな人間だ。何もできない人間だ」と思ってしまい、自分の将来や人生を明るいものと考えることができず、何に対してもやる気を出すことができないからです。子どもには、もっと自分の将来や人生を楽しいものと考えてほしいという思いから、このような方針を進めているのです。
私の塾でも、「自分は勉強できないんだ。どうせやってもできないし」と勉強を諦めてしまっている子たちに対しては、とにかくどの科目のどんな勉強でもいいから、自力で解けるようになるものを1つでも作ってあげることを目標としています。解けるようになれば、そこから「自分もできる!」という自信と喜びが生まれ、勉強に対して少しずつ前向きな気持ちになってきます。そしてテストの点数でも、宿題でもなんでもいいから目標を立てて、それに向かって努力し、それを達成することでさらに充実感を得られるという、いい流れができます。ある程度勉強に自信を持っている子に対しても同様に、さらに自信を深めることができるような目標を設定し学力面はもちろんですがメンタル面にも重きを置いた指導を心がけています。
そういう意味では、こうしてそれぞれの学力や状況に応じた指導を行い、それぞれの目標を作って頑張ってもらうという指導法は決して間違っていないと思いますし、私も続けていきたいと思っています。
ですが、これだけで満足してはいけないですし、こればかり目指すのは危険だと思います。
これまで述べてきたものは、厳密には「自己肯定感」ではなく「自己達成感」だと思います。「自己肯定感」というのは「今の自分でいいんだ」「自分は存在していてもいいんだ」「自分は価値のある人間だ」と自分を大切に思ったり、ありのままの自分を受け入れることができる気持ちです。
一般的に不登校になっている子どもの多くは自己肯定感が低く、「他者と比べて自分はダメな人間だ、価値のない人間だ」と思ってしまっています。育ってきた環境・勉強の能力・社会性など、たくさんの原因はあるのでしょうが、その1つに「達成感を追い求めすぎた」ことが考えられます。
「やればできるんだ」「頑張ったら達成できるんだ」「努力した後の充実感を経験してほしい」という考えを生徒に押し付けすぎる面があると思います。同じ課題を与えても、能力も違うし、なにもかも違うわけですから、それを達成できる子もいれば、できない子もいます。クラスのほとんどができていることを自分だけができないとなるとその子はどんな気持ちになるでしょうか。
学校という場所はいやでも他者と比較してしまう場所です。「自分は自分、他人は他人」なんてある程度の年齢になって思えることであって、子どもの時期にはそんなことは難しいですよね。実際、大人になっても他人と比較して生きている人も多いのではないでしょうか。社会的な地位や収入などを他人と比較して落ち込んでいるという話はよく聞きます。他人をライバル視して、自分を発奮させる材料になればいいのですが、そうじゃない場合はそんなことをしても無駄だとわかっていてもしてしまうのでしょうね。
子ども社会は、どこにいてもそればかりです。学校では当然多くの同級生に囲まれて生活しているわけですから、比較対象は山ほどいます。家に帰っても、兄弟や親せき、友だちなどと比べられたり、塾でもクラブでも勉強以外のことでも比較されます。「負けないぞ!」という気持ちでさらに頑張れる子もいれば、「みんなすごいなあ。自分は何もできないや」と落ち込んでしまう子もいます。
問題なのは、子どもたちに競争をさせることではなく、学校などの子どもたちを取り巻く環境が過度の競争を与えてしまっていることや、自己肯定感を失ってしまった子どもたちのサポートができていないことだと思います。ある程度の競争は必要でしょうし、向上心や自信にもつながります。ですがその反面、まだ10代の子どもたちが「自分はなにもできない人間だ」「自分は生きる価値がない」などと思っていることは悲しすぎますし、彼らをサポートする体制が整っていない社会は間違っています。彼らに対して「学校に来ないと成績がつけられないから、高校進学したいのだったら少しでも来なさい」というのは、さらに追い詰めることになってしまいます。
まだ初期の段階ならそういった対処は間違っていないと思いますが、そこまで思いつめた子どもというのは、栓のない浴槽と同じなのです。自己肯定感がゼロの状態で、いくら水を注いでも、どんどん水が抜けていき少しも水がたまらないのです。
「達成感」「努力」確かに大切です。ただ前提として、子どもには能力の差や、得意不得意分野があることをしっかり理解したうえで、その方針を決めなければなりません。大人の一方的な押し付けによって、苦しんでいる子どもがいることを忘れてはいけません。
学校では難しいことでしょうから、すくなくとも塾では子どもたち全員に「自己達成感」を感じてもらい、その延長線上に自己肯定感を高めていくことができるような、そんな場所を目指していこうと思っています。
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