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個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

大学無償化について

2017-09-12 11:20:47 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

昨日、久しぶりに大学時代の夢を見ました。その夢とは、以前このブログでも書きましたように、数ヵ月に1回見る夢で、その内容は「ああ、明日試験や。この試験合格しないと単位が足らずに卒業でけへん。どうしよう」というものです。卒業してから20年以上経過しているのに、まだこんな夢を見るというのは、よっぽど苦しんだんでしょうね。この夢を見るたびに、本当に卒業できているのか不安になってしまいます(笑)

私の情けない大学時代の話は、いったん置いといて、大学無償化の問題を考えていきます。現在、国公立の大学で授業料が約50万円、私立大学で約100万円。学部によってはもっと必要になることもあります。入学料も合わせると、さらに大きな金額になりますので、どこの家庭でも簡単に払えるというものではありませんよね。こうした学費を、奨学金制度を利用して支払っている学生は多くいます。有難い制度であるのは間違いないのですが、奨学金は返さないといけないわけで、国公立大の4年間の授業料をすべて奨学金で払った場合、約200万、私立大学や大学院までいった場合はそれ以上、400万~500万になることもあります。大学を卒業して社会に出た瞬間に、何百万もの借金を背負ってスタートしなければならないのですから、それは大きなプレッシャーであり負担になります。

もちろん、大学へ進学するのは自由であり、大学は自分への投資であるのだから、回収できる自信のあるものだけが奨学金を借りて進学すればいいという意見もあります。それは、もっともな意見なのですが、この投資はリスクが大きいです。社会に出て10年以上で、ある程度知識や経験がある人ではなく、まだ社会に出る前の若者には厳しすぎないでしょうか。

社会全体として、最近では「せめて高校は出てた方が」ではなく、「大学くらいは出とかないと」という風潮になっているなかで、学費はどんどん上がり、子どもの負担は増すばかりです。

そこで議論されているのは、大学の無償化です。大阪では数年前から高校無償化が実現し、細かい条件はあるものの、家計の負担はずいぶんと減ったと思います。それを大学まで無償化されるとなると、さらに大学進学がしやすくなりますので、基本的にはぜひ実現してほしいと思っています。

ただ、問題点は一律にする必要があるかどうかという点です。特に大学に関しては厳しい基準を設けるべきだと思っています。

大学と言ってもいろいろあり、中には中学校の授業かと間違えるほどレベルの低い授業をしている大学もあります。学びなおしという点ではそういう場も必要でしょうが、それは大学でする必要はないと思っています。厳しい言い方をすれば、大学生になる年齢で中学校で勉強するような学びなおしの勉強をしなければならない子は、勉強が向いていないか、勉強することから逃げてサボっていたかどちらかです。真面目に勉強してきたにもかかわらず、それぐらいの学力になるということは大学に行ったからといって学力が上がるわけでもないのですから、別の道を探した方が絶対にいいと思います。勉強ができなかってもいいじゃないですか、いくらでも他の能力が発揮できることなんて見つかるはずです。そしてサボっていた子については、厳しいですが自業自得です。周りが真面目に勉強している時間を、好き勝手自由に過ごしてきた代償なんですから、学びなおしたいのであれば自費で頑張るべきです。そして私が本当に言いたいのは、もし本気で大学で勉強したいというのなら、塾でも予備校でも通って必死で勉強して、より勉強の環境の整った大学に行ってほしいということです。基本的に大学が最終学歴となります。就職においてもここが重要になってきます。ですから、学びなおしのために大学に行くのではなく、そういうのは大学に入る前にしっかり勉強して、そして大学では自分の本当にしたい勉強、そして社会に出たときに武器となる勉強をすべきだと思います。そうでない学校を無償化する価値はあまりないように思います。

では偏差値の高い大学なら無償化にすればいいのかというと、そうではありません。割合的には偏差値の高い大学ほど意欲の高い学生は多いでしょう。ですが、ここでも全員を無償化にするというのは反対です。なぜなら、私のようにある程度のレベルの大学に行っていても、やる気も何もない学生がいるからです。学校の授業よりも、アルバイトや遊びを優先し、何をしに大学に行っているのかもわからず、結局大学4年間で学んだことなんてほとんど何もありませんでした。学費を払ってくれた両親には本当に申し訳ないと思っています。当時の私に無料で大学へ通わせるなんてことは絶対にしてはいけません。

ですから、大学のレベルで基準を設けることは必要でしょう。また、学生それぞれに基準を設けることも必要だと思います。学生時代の私のように遊んでばかりいる学生に大切な税金を投入するわけにはいきません。それならば、もっといい使い道があるはずです。偏差値〇〇以上の大学は無償化とかではなく、とにかく大学へは勉強することを目的としている学生、あるいは大学に限らず私は専門学校でもいいと思っているんです。大学で中途半端な勉強をするよりは、専門学校でより質の高い勉強をできるような職種もあると思います。そうして、自分の夢に向かって一生懸命頑張っている若者を応援しない世の中なんて残念すぎます。進学にお金がかかりすぎるからあきらめようという若者はかなりの数いると思います。それではだめです。若者が夢を実現しやすい環境、夢を持てる環境を作ってあげることが大人の責任です。頑張っている子ども、真面目に生きている子どもが損をしないような、そんな社会を目指し大学無償化を決めていってもらえればと思います。

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平等って何を平等にするんだろうか

2017-09-05 11:59:55 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

夏期講習も終わり通常授業にもどりましたが、まだまだ暑い日が続き生徒たちも大変です。

なんとかすべての生徒の夏休みの宿題を全部提出することができ、まずはホッとしております。
何度も書いていますが、特に中学生の夏休みの宿題を全員同じものにするという制度はなんとかならないでしょうか。問題集というのは、自分の学力にあった問題をするから効果があるもので、そうでなければ時間の無駄になってしまいます。小学生に高校の問題集を宿題としてやらせて、「わからないところは答えを全部写してくるんだぞ」なんてことはしませんよね。なぜなら、それがまったくの無駄になるということがわかっているからです。

それと同じようなことが中学校でおこなわれています。中学生になると、学力の差は小学生の低学年とは比べ物にならないくらい大きくなっています。中学3年生ならもっとです。大阪では、公立高校も私立高校もちょっと検索すれば偏差値の高い順の一覧表が出てきますよね。これだけ大きな学力の差があるのに、すべての生徒に同じ宿題をやらせるなんて、効率が悪すぎるというか、何のための宿題なのか理解に苦しみます。

平等という言葉は素晴らしいのですが、それがおかしな方向にいってしまうと大きな不平等を生む原因にもなってしまいます。

すべての子どもが平等に、教育を受ける機会を与えられるということは、当然ですが大賛成です。世界にはまだまだ学校がない国も多い中で、このように多くのことを学べる場があるのはとても素敵でありがたいですよね。小学校に入学して、みんなが読み書きできて、計算できるようになっていくというのはすごくいいことです。ですが気をつけなければならないのは、こうして全員が同じスピードで同じ授業をすることによって、なんらかの理由でそこから離れてしまった子どもや、ついていけない子どもをフォローする体制が整ってないことです。1ヵ月でも授業から離れることになった場合、もとに戻るのはとてもしんどいことなんです。

また、小学校の高学年や中学生になると大きな学力差が生まれているにもかかわらず、全員が同じ授業を受けます。真ん中の学力の子どもに合わせて授業するのが一般的でしょうが、学力の高い子どもにとっては退屈な授業でしかなく、逆に低い生徒にとってはほとんど理解できず、ただノートを写しているだけになっています。平均的な学力の子どもが多かった昔ならまだ通用したのですが、これだけ二極化が進んでいる現状では、いったいだれが得をする授業なのか、おそらく全員が損をする授業(先生にとっても)になっています。学校の授業の位置づけが「つまらないことであっても、黙って耐えて聞き続けること」という忍耐力を養う目的であるならばいいのですが、そうではなく「学力」を目的としているのであれば、今の学校の授業は完全に時代遅れになっています。学力の高い子どもは、学校の授業に期待などしていなく、塾の授業に頼りきっています。学力の低い生徒は、わからないものを、ただ聞くだけという拷問のような授業を受け続けています。

学ぶ機会を平等に与えることが目的ならば、今の制度ではそれを与えることができていません。なぜなら、「学ぶこと」ができていないからです。ただ授業を受けているだけなのです。

クラス分けもせずに、問題集も全員同じものをさせるのが平等だと考えているのなら、そんな平等はなくせばいいと思います。

どうしてクラス分けや問題集に差をつけることがいけないことなのでしょう? いじめにつながる? 自己肯定感を持てない子どもが増える? いえ、そんな価値観を植え付けているのは、私たち大人ではないでしょうか。テストで良い点数をとること、偏差値の高い高校や大学に合格すること、それがすべてのような感覚で、子どもと接していないでしょうか。子どもに勉強させるためであっても、そういう接し方をしてしまうと、子どもは影響されやすいので、学力の低い子を下に見てしまったり、自分が勉強できないことに必要以上に劣等感を抱いてしまうのです。今の学校教育では、いわゆるエリート、優秀な人材も育ちにくいはずです。それは国としては大きな損失です。また、勉強に劣等感を抱いてしまった子どもは自分の人生を明るく見れずに、消去法的な考え方の選択をするようにもなります。これも大きな損失です。

中学を卒業すると、すぐに不平等な社会になります。高校・大学は偏差値でランク分けされ、働き始めても給料も違えば、仕事の内容も異なり、平等とは無縁の世界になります。でも、それが自然なのではないでしょうか。高校や大学などの勉強に関しては、得意・不得意があります。勉強の適性が優れた子どもは、頑張ってその道を自信もって進んでいけばいいんです。そうではない子どもたちも、まったく自信を失うことなく、自分のしたいことや自分の力が生かせるものを選んでいけばいいのです。どっちが上や下なんてものはないのです。それぞれが異なった人間なのですから、できることや、やりたいこと、目指すもの、求めるもの、すべて違っていて当たり前なんです。それらをお互いが認め合う社会こそ、私たちが目指す社会だと思います。

ですから、形だけの、うわべだけの平等を学校教育に持ちこむのではなく、不平等であることをおそれずに伝えて、そのうえで多様な価値観を持てるように導いていくことこそが学校で行える真の教育ではないでしょうか。
この話については、もう少し書きたいこともありますが、長くなりましたので別の機会にしますね。

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相談される立場として

2017-08-31 13:20:03 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

不登校やひきこもり、成績や勉強の方法のことなど、悩みを持たれいる方はたくさんいますし、そういった問題に対して相談できる場所も増えています。もちろん私も、できるだけ多くの人の悩み事や苦しんでいることの相談に乗ることで、共に考え共に探していきながら、少しでも楽になってほしいな、少しでも役に立てればと思っています。そのためにも、私自身まだまだたくさんのことを学び、経験していかなければなりません。

私が相談されたときに気をつけていることはいくつかありますが、その中の1つとして「政治的な発言はしない」というものがあります。

これまで実際に教育相談などをされてきた方々とお話させていただく機会が何度かありましたが、その中にはすぐに「政治が悪いから」「〇〇党があかんから」という人もいました。相談されたときの答えとして、政治のせいにするのはとても簡単で楽なのですが、相談者はそんな答えを必要としていないのです。

実際に、私もおかしいと思った教育制度や学校の先生の指導の仕方に対して批判はしますし、不満は山ほどあります。しかし、それは特定の政党のやり方のすべてが間違っているのではなく、現在の教育制度も「良いものもあるし、悪いものもある」のです。ですから、相談者が「学校でこんなことがありまして、そこから学校に行きたがらないのです」と言ったとして、それに対して「〇〇の政治が悪いから。こんなことでまともな教育ができるはずがない」なんて言ってはだめなんです。

もちろん私も政治に無関心なわけではありませんし、それぞれの政治的な問題に対しても自分の意見はあります。ですが、それと教育相談はまったく別なものです。「政治が悪いから」と広くとらえすぎると個々の細かい問題が全く見えてこなかったり、気づかなかったりしてしまいます。

「先生と相性が悪いようで、学校に行きたがりません」「学力が低く、授業もわからないのに先生は何もしてくれなくて困っている」「いじめられているみたいなんです。学校には言いましたが特に何もしてくれません」「理由はわからないのですが、ずっと不登校なんです」など相談内容はさまざまです。先生に問題があるかもしれないし、学校全体の体質のせいかもしれません。また、もしかすると本人や家族に何か問題があるかもしれません。そういったいろんなケースがある問題を「政治が悪いから」の一言で終わらせることができるはずもありませんし、それを相談者に伝えなくても、そういう気持ちでいるかぎりは根本的な解決の道は見つかりません。

以前のブログでも書きましたが、子どもを指導するときに、「偏らない柔軟な頭であること」に気をつけています。相談されるときも同じです。物事を偏った見方をしてしまうと本質が見えにくくなり、何を聞いても〇〇が悪いという決めつけた考え方になってしまいます。子どもたちや相談に来られる方は、私を信用して私を頼りにしてくれているのです。しかも、子どもにしろ保護者の方にしろ必死なんです。そういった必死な気持ちに応えるためにも、まずは私自身がいろんな周りの意見に左右されずに、いつもニュートラルな頭と立場で自分を磨いていきたいと思っています。

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負の連鎖

2017-08-05 15:08:01 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

先日は「知らない」ことについての話をしましたが、今回もそこから生まれる問題について書いていきます。

「万引き」をした子どもがいたとします。私たちは「万引き」が犯罪であり、いけないことと知っていますが、もしこの子どもが「万引き」をすることがいけないことだと教えてもらっていなかったらどうでしょう? 私は子どもではなく、それを教えていない保護者に責任があると思います。法律には詳しくないため、正しいことはわかりませんが「万引き」がいけないことだと知らなかったわけですから、少なくとも子どもに責任はないと思います。

「万引き」をいけないことだと教えていない家庭はほとんどないでしょうが、それでは「先生に暴言を吐いてはいけない」「友達をいじめてはいけない」「授業中は立ち歩かず静かにする」「宿題はきちんとする」などはどうでしょうか。これらを教えていない家庭となると「万引き」の場合と比べて、ずっと増えるはずです。授業中に騒いだり、同級生や先生に暴力をふるったり、いわゆる問題のある子どもに対しては、「ホンマ最近の子どもはあかんよな」という声をよく聞きますが、正確には「最近の一部の親は子どもに教えなければならいことを教えていない」のです。ではどうして、子どもに教えないのでしょうか。それは、その親も教えてもらっていないからです。

ほぼ例外なく、人は家族の影響を受けて育ちます。生活の面で、各家庭のルールは存在しますよね。たとえば、私の家庭ではバスタオルだけでなく普通のタオルも家族それぞれが自分のタオルを持っていて、共有のタオルというものがありません。ずっとそれが当たり前だと思っていたのですが、友人などに聞いてみると家族みんなで同じタオルを使う家庭の方が多いことにビックリしました。子どもにとっては、特に10歳ごろまでは、やはり家庭がその子の常識になるのです。

ですから、大切なことを教えてもらっていない子どもは、学校でもそれがいけないこととは思わずに、いろんな悪さをします。それを先生に注意されても何が悪いのかわかっていません。そこできちんと先生が子どもに教えてあげることができればいいのですが、以前と違って学校ではそういうことができる環境がだんだんと崩れてしまっています。

貧困家庭が大きな社会問題となっていますが、よく負の連鎖をどこかでとめないといけないと言われます。貧困家庭の子どもは、経済的な理由で塾などにもいけませんし、勉強できるような環境ではないことが多いです。そうなると社会に出てもなかなか就職できずにさらに経済的に厳しくなるというのが負の連鎖です。もちろんそういった面はありますが、私は貧困というのは経済的なものよりも、知識の貧困が問題だと思います。

貧困家庭といっとっても、それこそさまざまなケースがありますので、すべてに当てはまるものではありません。ですから、ここでは誰もが聞いたことのあるケースについて話します。10代、特に16~19歳頃に結婚するのも最近では珍しくなくなりましたね。ですがこのケースの多くは貧困家庭になっているのです。考えてみれば当たり前のことで、子どもを育てるには、まずお金が必要です。10代の夫婦ですと、貯蓄はほとんどないでしょうし、まだどちらか一方は学生で就労すらしていないかもしれません。そして往々にして離婚して、シングルマザーになったりします。誤解のないように言っておきますが、私はシングルマザーを否定しているわけでもなく、離婚はだめだと言っているのでもなく、ただ無計画性を問題にしているのです。何が問題かというと結婚した当事者同士は、自分たちの選んだ道だから、それがたとえ苦しい道であっても逃げ出さずに頑張らないといけませんが、生まれてくる子どもが、適切な子育てをされず成長してしまうと、さまざまな面で不利になり苦しい生活になってしまう可能性が高いです。生まれた瞬間から、子どもの運命が決まってしまっているような、これが負の連鎖ですね。しかも下の世代にいくごとに悪化していきます。

どうしてこのようなことが起きるのかを一言でいえば「知識の貧困」です。子どもを育てること、親になることがどれほど大変でどれほどの覚悟が必要なのかを知らないからなのです。

貧困家庭には経済的な援助は必要でしょう。しかし、この負の連鎖を食い止めたり、新たな貧困家庭を生み出さないためには、経済的な援助だけでなく、知識を与えてあげることこそが何よりも大切です。

各家庭で教えることができないものは学校で教えればいいのです。せっかくの義務教育なのですから、基本的には子ども全員に伝えることができる絶好の場所なのです。確かに算数や国語などの勉強も必要でしょうが、それと同じくらい、いや将来的にはもっと大切になってくるようなことをもっと授業に取り入れればいいんです。たとえば法律、刑法や民法など自分たちの暮らしと大きな接点がありますし、知っていた方がいいことがたくさんあります。無駄な知識を詰め込むよりも、よっぽど効果的だと思います。または、親になるということはどういうことか、子どもを育てるということはどういうことか。いろんなデータや統計なども合わせてはっきりと伝えればいいんです。厳しい現実を伝えることもせずに前に進めるはずもありません。子どものときから、勉強だけでなく、幅広い知識を与えてもらうことで、いろいろと考えることができ、より冷静な判断力や養われ責任感も強くなります。テストのための勉強だけでなく、人間として生きていくうえで大切なもの、それを教えるのは今は家庭ではなく学校でしなければならないと感じます。そうすることで必ず負の連鎖を断ち切ることができるはずです。

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形だけの「自己申告書」

2017-07-31 12:05:51 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

夏期講習が始まっていますが、ONE-Sではほどんどの生徒に夏休みの宿題を持ってきてもらっています。理由は2つで、1人での自主学習ではわからないところがでてくるので、そういう問題を教えていきたいことと、学校で出された宿題が子どもたちにとってベストな問題かどうかと言われたら、はっきりとNOと答えることができますので、学校の宿題を早く終わらせて本当にその生徒にとって必要な勉強をできるだけ早くしたいからです。

どの学校のどの学年も、各科目にワークがあり、さらに読書感想文であったり、作文であったり、副教科の課題がかなりの量あります。私が中学生だった頃、こんなにあったのかなあと思うほどの量ですので、宿題を渡された子どもたちのテンションが下がるのもわかります。最近では夏休みの宿題を代わりにしてくれるような仕事もあるようで、それはそれでビックリしますが時代の流れと言いますか、そういう需要があるということなんでしょうね。

夏休みは1ヵ月以上ありますので、その間遊んでばかりいるといけないので宿題を出す必要があります。それは子どもたちのために出すのです。それはよくわかりますが、以前からこのブログでも書いているように、せめて学力に合わせたワークを選んでもらえないたいなあ。3段階ほどでもいいので、あんな分厚いワークを何時間もかけてやらせるわけですから、少しでも効果がある宿題にしてあげてほしいです。学力に合っていない問題集をしたところで時間の無駄になることが多く、本当にもったいなく思います。公立中学校の限界なのかなと思いますが、なぜこれくらいのことができないのでしょうかね。そして副教科の課題も、まだ1,2年生はいいですが、受験生である3年生に何日もかかってしまうような宿題を出すのもどうかと思います。そんな時間があるなら、英単語の一つでも覚えたいという子どもはたくさんいますよね。そう考えると、夏休みの宿題の代行業に依頼するのもある意味納得ですね。

夏休みの宿題に対する不満はこれくらいにして(笑)、今回書きたかったのは「自己申告書」のことです。3年生の夏休みの宿題で「自己申告書」を出している学校もあります。

この「自己申告書」について簡単に説明します。
大阪の公立高校の入試では自己申告書というものを提出しなければなりません。年度によってテーマが変わることもありますが、「中学生活で何を経験し、何を学び、高校生活で何をしたいか」というものが多く、大学の推薦入試や就職試験などでも必要な志望動機や自己PRなどと思ってくださって大丈夫です。だいたい1500~2000字となるので中学生にとってはうまく書けない子も多いですが、自分の考えをまとめたり文章を構成していく技術を磨くにはいい練習にはなるでしょう。ですから、この自己申告書を宿題にしたり、受験の時に提出させたりすることはよいのですが、問題はこの自己申告書で合否が大きく変わってしまうことなのです。

大阪の入試制度に関しては何度も書いてきましたが、大阪では定員の90%までは学力テストと内申点の合計得点の高い生徒から決まっていきます。そして募集人員の残りの20%をボーダーゾーンとし、そこでは学力テストの得点に関係なく、「自己申告書」によって決まってしまうのです。各高校はアドミッションポリシーといって高校が求める「生徒像」を発表しています。そして自己申告書の内容がその高校のアドミッションポリシーに合う者を合格とするのです。ちょっと読んだだけでも問題だらけだとは思いませんか?

アドミッションポリシーに合うかどうかなんて、こんな「自己申告書」みたいなもんで判断できるわけがないでしょう。「自己申告書」は試験当日に書かされるのではなく、それこそこの夏休みの時期から書くことができます。学校によっては、何度も先生が添削をしてよりよいものになていきます。もっといえば、自分で「自己申告書」を書くのではなく、だれかほかの人に頼んで書いてもらうことも可能です。文章を書くのが上手な人に、アドミッションポリシーに合うような「自己申告書」を書いてもらえば、合格の確率がグッと上がります。

何を目的にこんなことをしているのか、さっぱりわかりません。子どもの負担になるし、添削する学校の先生も大変ですよね。「自己申告書」で何がわかるのでしょうか?生徒のことを知りたかったら、面接試験を何度もすればいいんです。民間企業に就職するときも何度も何度も面接する企業がありますよね。同じように、一度ではなく何度も面接をすればその子がどういう子かは少しはわかりますので、こんなわけのわからない「自己申告書」を書かせるよりはよっぽどいいです。

私がいろいろと入試制度に対して文句を言うのは、それが本当に子どもたちのためになると思って決めているのではないと思うからです。議論に議論を重ねて、より良い方法を見つける努力をしていないからです。今後もいろいろな方の意見を聞いたり、質問したり、あるいは発言させてもらったりして、少しでも入試の制度をよくしていきたいと思っています。

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