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個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

子どもは知りたがっているんです

2017-12-02 10:26:06 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

ニュースや新聞では毎日起きている事件を国民に伝えています。当然それらは、子どもたちにも届いていると私たちは思い込んでいますが、実際はそうではありません。世界情勢はもちろん、日本国内で起こっている様々な出来事を知らない子どもは数多く存在します。知らないというだけならそれほど問題ではないのですが、知らなかったから巻き込まれる事件、知っていれば回避できることはたくさんあるでしょうから、事件そのものを知って、何をすれば危険なのか、何をしてはいけないかという知識をしっかりと子どもに届くようにしなければなりません。

先日ある生徒が、「台風や地震などの災害が発生したときに、どのように行動したらいいのかわかれへん。」「なんで、出会い系みたいなもので知り合った、よくわからない人に会いに行く子がいるん?」「そういうことこそ、学校で教えたらなあかんのとちがう?」と言ってました。

おお!すごいな。私よりしっかりした考えを持ってるな。

うん、でもその通りですよね。自然災害やミサイルなど、数多くの危険があることは知っていますが、そのときの対処方法は知りませんもんね。とごに避難するべきか、どういったものを準備しておくべきか、どんな行動をするのが危険なのか。これって、人の命に関わることですので、最優先しなければいけないことです。それを伝えているのでしょうが、実際には耳に届いていない人はたくさんいます。その生徒が言ってました。「自分の身は自分で守らなあかんのやったら、その守り方を教えてほしい」と。このような災害のときに、英単語を知っていても何の役にも立たないのですから、学校でもっと力を入れて教えなければいけないですね。

まだスマホが普及する、ずいぶんと前のことです。私の友人に塾講師がいるのですが、その友人の受け持ってるクラスにいた女子生徒の話です。その子が友人の講師に「今度、30か40歳くらいの男の人と会うねん」と言ったそうです。危険を感じた友人はいろいろとその子から話を聞いたところ、出会い系サイトで知り合った人と会う約束をしたらしいのです。まず、中学生がそんなものを利用していることに驚きましたし、何より、その行為がいけないことだという認識がなく、友達と遊ぶような感覚で話していたらしいのです。友人はあわててその子の親に連絡したおかげで会うことをやめさせることができましたが、親は全く気づいていなかったため、本当に危ないところでした。出会い系サイトなどは利用したことがないので、実際にどれくらい危険なのかはよくわかりませんが、ただ常識的に考えて、中学生の女の子がネットで知り合った中年の男性と会うというのは、どう考えても不自然ですよね。

今ではスマホも普及したことで、こういった類の事件は増加しています。これも、子どもの知識不足が原因の1つです。確かに便利で楽しいことがいろいろできますが、逆に危険もたくさんあります。しかし、子どもはその危険性がわかっていなくて、楽しさの方ばかりに目がいってしまっています。なぜなら、だれからもその危険性を教えてもらっていないからなんですね。私たちが子どもの頃は「知らない人についていってはいけません」と家族や先生から教えてもらっていましたが、現在は犯罪も複雑に、より巧妙になってきていますので、親だけで伝えることは難しいでしょうし、その危険性をよくわかっていない大人もいると思います。いろんな点を考慮すれば、スマホの年齢制限がベストな方法だと思いますが、それは現実的に困難でしょう。しかし、これだけ普及し、しかもこれだけ多くの犯罪に巻き込まれている状況を放置していてはいけません。全員に同じ知識を与えるには、やはり学校で教えるのが良いのではないでしょうか。現在使用している子でも、これから使用する子であっても、何をしてはいけないか、何が危険なのかをしっかりと伝えることができるのは学校のはずです。

以前少し書きましたが、子育てについても同じです。子育ての方法を全く知らずに、まだ3歳くらいの子どもが虫歯だらけでボロボロになっていたり、適切なものを食べさせていなかったり、ずっとほったらかしにしているのが原因で言葉がうまく話せなかったり、そんな子どもがたくさんいます。子どもには何の罪もないのですが、小学校に入学する頃にはいろんな意味でハンディを背負ってしまいます。すべては親の無知によるものです。しかし、これもただ親が悪いというだけで終わらせていい問題ではありません。もちろん知ろうとしなかった姿勢には問題はありますが、そういったことをきちんと教えてくれる場がなかったのが問題です。

生きていくために必要な知識を教えてもらうのが義務教育の学校です。ですから、基本的な読み書きや計算などはもちろん大切ですが一方で、現在教えている勉強以外の知識も安全に、豊かに生きていくためには必要です。昔とは異なり、核家族化がすすみ、地域の繋がりはなくなり、様々なことを教えてもらう場がなくなりつつあります。だからこそ学校の役割は大きくなるのです。授業内容を見直し、子どもたちが社会に出てからも安心して暮らしていけるように学校が早急に変わっていく必要があると思います。

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監視するっていけないことでしょうか?

2017-11-16 11:02:17 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

生徒たちと話をしていると、よく出るのは学校の先生に対する悪口です。悪口と言っても、先生からこんなこと言われたというものが多くショックを受けたということを私に訴えているのです。

たとえば、「おまえ、これから毎日8時間勉強しなかったら高校どこも行かれへんぞ。俺も面倒みれんし」「じゃあ、何の勉強すればいいんですか?」「教科書の丸暗記や!」・・・・。これはひどくないですか? おそらく生徒のことを心配して、もっと勉強するように言ってくれたんだと思いますが、あまりにも無責任で何の効果もなく、まさに逆効果にしかならない言葉です。そもそも8時間の勉強なんてほとんどの中学生はできません。しかも勉強内容が教科書の丸暗記なんて。本当にこの生徒がこれを信じて、毎日睡眠時間を削って全教科の教科書を丸暗記していたらどうするつもりなんでしょうか?心配して声をかけるのなら、きちんと有効なアドバイスをしてあげてほしいもんです。普段どれくらい勉強していて、どの科目のどういう分野が苦手でなど何もわかっていないのに、このような無責任な言葉をかけるくらいなら何も言わない方がずっとマシです。

「おまえ、このままやったら、将来〇〇の職業しかでけへんぞ!」・・・これはもっとひどいですよね。まず特定の職業の人をこのようにバカにしたような言い方をするって教師である前に人としてどうかっていう話です。そんなに教師という職業は偉いのでしょうか?その職業の何を知ってるのでしょうか?

こういった子どもを傷つける暴言はよく私の耳にこれまでも入ってきています。毎回生徒と一緒にめっちゃ腹を立てています。

ですが注意しなければならないことがあります。それは、子どもたちからしか聞いていないということです。子どもたちが嘘を言っているわけではないでしょうが、先生の発言そのままではなく、大げさな表現に変えたりしている可能性もありますよね。子どもの一方的な言い分を聞いて「この教師は最低だ。教師の資格はないよ」などと判断するのは危険ですよね。そして、どういった状況でそういう言葉が出てきたのか、その背景や流れも重要になってきます。前後を考えずに、その言葉だけをピンポイントでとらえるのは、もっと危険です。

よく問題になる体罰もそうですね。私も体罰は基本的に反対ですが、どうして体罰を与えることになったのかという原因や、どの程度の体罰だったのかなどをより慎重に検証しなければなりません。

また逆に、生徒から先生への暴力や、授業妨害などの行為などに関しても、どの程度のもので、どういった流れで起きているのかが大切です。そのためにも、私は学校内に監視カメラなどの導入が必要だと思っています。

それは何かあった時の証拠になるというだけでなく、当然抑止力にもなりますし、その映像を見ることで先生も生徒も普段気づいていないことが見えて反省点も多いでしょうから、よりよい授業になる可能性が高いと思うのです。

スポーツにおいても、実際に自分のプレーを映像で見直し、修正していくことは当たり前になっていますよね。自分が頭の中で想像しているものと実際のプレーはずいぶんと異なっているんですね。

先生も「これはちょっと言いすぎてしまってるな」「この説明の仕方じゃ、生徒たちには伝わらんな」
生徒たちも「騒ぎすぎてるな」「他の子に迷惑をかけてしまっているな」
その保護者も「先生に怒られたのは、うちの子が悪かったからだ」などと映像を残すことでいろいろな問題が解決していきます。先生も委縮せずに堂々と授業や指導もできるようになるでしょうし、生徒たちもより真面目に授業を受けようとするでしょうし、保護者の方も子どもが学校でどんな様子なのかをみることもできるし、私にはいいことばかりのような気がします。

費用なども含めて反対する意見も多いでしょうが、これは結局真面目に指導しようとしている先生を守ることになりますし、真面目に勉強しようとしている子どもたちを守ることにもなるのです。私が中学生なら監視カメラのある学校にいきたいと思います。どれほど授業を妨害されて嫌な気分になったか、どれほどいじめの現場を見て恐怖を感じたか、どれほど理不尽な教師を見て怒りを感じたか。

全校設置するのは難しいでしょうから、試験的にいくつかの小・中学校で導入すればいいと思います。そして、校区で決めるのではなく、その学校に行きたいという子どもは行けるようにし、カメラのついてる学校なんて行きたくないという子どもは別の学校に行けるという選択制にすればいいのではないのでしょうか。それによって、また新たな問題が出てくるかもしれませんが、何も手を打たずにそのままにしておくのではなく、何か変化を加えていかなければいけないほど学校現場は危機的な状況です。大阪ではなくても、他の都道府県でも実施して、その成果や弊害などをまとめてくれないものかなー(他力本願ですいません(^_^;))

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現状維持というのは、ある意味安心ですが

2017-10-19 11:16:01 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

今週末に選挙があるので生徒と選挙権の話題になりました。ちょうど歴史の勉強をしていて、最初は納税額による制限選挙だったのが、普通選挙が実現し、戦後には女性にも選挙権が与えられ現在のような仕組みになったんだよ、という流れを説明いたところ「なんで、18歳以上というように、下は決まっているのに、上は決まってないん? 90歳までとかにはならへんの?」という質問をされました。

なるほど、確かにそうですね。国の方向性を決めることができる大切な権利ですから、さまざまな義務をはたすことができること、判断できる能力があることなどからこれまでは20歳以上という年齢がいわゆる「一人前」と認められる年齢だったのでしょう。それはとてもよく理解できますが、では20歳以上なら何歳でも権利があるというのは少し違和感がありますね。

悲しいですが、人は年齢とともにさまざまな能力が低下していきます。人の話を理解できなくなったり、冷静に物事を判断する能力ができなくなっていても選挙権を失うことはないのですね。だれか身近な人に言われるがままに投票している方もずいぶんも多いのではないでしょうか。

車の免許はもっと問題です。頻繁に高齢者の事故のニュースを見ます。車に乗っていても、「この車、フラフラして危ない運転してるなー」と思ってチラッと運転手を見ると高齢者の方ということが多いですね。いろいろな能力が衰えているにもかかわらず、免許の更新に行けば取り上げられることは基本的にはないのです。しかし車の事故は本人だけでなく、周りのまったく無関係な人たちを傷つけてしまうことが多いのですから、ここはもっと議論しなければいけないことだと思います。

日本では数年に1回、車の免許の更新に行きます。平日しか開かれないところも多いですので、みんな仕事や学校を休んだりして行きます。にもかかわらず、内容は、写真を撮って、毎回同じような映像を見せられて、毎回同じような講師の人の話を聞くだけです。なんの意味があるのでしょうね。

免許の更新時に実技の検査をされることもほとんどありません。本来ならば、交通違反や交通事故を多く起こしてる人や、ある年齢以上の人たちには、映像を見せるだけでなく、しっかり実技の検査をするべきですよね。そうして運転能力の低下している人を見つければ事故を未然に防げます。

高齢者といっても、まだまだ元気で、車の運転なんて楽にできる方もたくさんいます。ですから、◯◯歳以上の人は免許を取り上げますという方法ではなく、個々の能力で判断するべきですね。もちろん実技検査などを実施すると時間も費用もかかってしまいますが、事故や違反のない若い人たちの免許更新の期間をもっと長くするなど工夫すればやれないことはないはずです。それに、こういうことをきちんとしないと、制度が形だけで中身がスッカラカンになってしまいます。

前置きが長くなりましたが、立派に見えて、良さそうな制度でも、実は見た目だけよく中身が伴っていないことって多いんですよね。学校教育でも「すべての子どもたちに〜」「子どもたちの笑顔のために〜」などと立派な言葉が並んでいますが、実は子どもたちのためではなく、大人が都合のいい制度を作ってるだけです。制度がうまく機能していれば、今のようにとてつもない学力の二極化や、不登校生の増加、学級崩壊などこれほど多くの問題が出てこないはずです。

学力の問題だけ考えても、学校で勉強が理解できるようになったという子どもは、いったいどれくらいいるでしょうか?学力の高い子は、学校の授業よりも塾での授業に頼っています。偏差値の高い高校に合格するためには、学校の授業だけではとうてい通用しませんから。一方、学力の低い子にとっても学校の授業では理解できないので、同じく塾に行ってわからないところを自分のペースで教えてもらうことに頭に入っていきます。「学校とは勉強だけを教えるところではない」と言われますが、時間割を考えても勉強を教えることが第一の目的であることは明らかで、それが機能していないのだったら子どもたちは何をしに学校に行っているのでしょうか。

車の免許にしろ、学校教育にしろ、制度ができたのはずいぶん昔です。現在のような社会を想定して作った制度ではないはずです。作った当時はベストな制度であったとしても、時代の変化とともにベストではなくなってくるのです。「私たちはこの制度の中で生きてきて、それでうまくいったのだから、このままでいい」なんてのは、まったくナンセンスです。数十年前と現在とでは状況が全く違うのですから、制度を変えることが自然なんです。

いつの間にか私も45歳となり、大人の目線で物事を考える時間が多くなりました。しかし、子どもたちと話をすることで、子どもたちはどのように考えているのか、どんなことに不安を持っているのか、どうすればいいと思っているのかなどがわかるので、子どもの立場でも考えなければならないということを思い出させてくれます。ある意味、これからの教育を考えていくときに、一番必要なのは彼らの生の声かもしれません。

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真面目にしている子どもが被害を受けるのはどう考えてもおかしい

2017-10-05 11:23:44 | 教育問題
こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

先週ある高校で授業中に生徒が先生に暴行を加えている動画がネット上にあげられ、ここ最近テレビでも伝えられていますね。この動画を見て私の最初の感情は、怒りでした。そして、これが中学ではなく高校だったというのが驚きでした。

先生に蹴りを入れ続け、教室内は笑いに包まれ、ここは本当に学校なのかと。たまたま動画をとった生徒がいて拡散したから、このように大きな問題として取り上げられていますが、そうでなければこのような暴行はずっと続けられていたかもしれません。今回の件でわかったことは、こういったことは、この高校だけではなく、おそらく日本全国いたる学校で起こっている問題なんだと。それを社会全体が知ることができ、いまの教育現場というのはこんなんになってるんだ、じゃあどうにかしないといけないなという流れになるきっかけになるだけでもよかったと思います。

私の意見としては、ここまでの学級崩壊ではなくても、生徒が騒がしすきで授業が進まない・集中できないなどは、あちこちの学校で起こっているわけで、そうなったときに一番の被害者は、真面目に勉強したいと思っている生徒だということを考えて欲しいということです。

「学校には本当は行きたくない。授業もめちゃくちゃやし、ホンマ意味がない。でも内申点のために我慢して行くしかないねん」という子どもたちの声を何度も聞いてきました。学びたい子どもが学ぶことができない、学べるような環境になっていない場所なんて必要でしょうか?意欲のあった子どもも、毎日がそのような授業ですと、だんだんと「もう、どうでもいいや」となってしまい、授業中に寝てしまったりという悪循環に陥ります。

内申点ってなんでしょうか? 以前、学校教育に携わっている人に質問したところ「学級崩壊を防止するという側面もあるんです」という答えが返ってきました。でも、そんなことできないのです。めちゃくちゃしている子どもは、そもそも公立高校に行く気もなく、もっというなら高校進学する意志もない子が多いのですから、そのような生徒に対しては内申点なんてどうでもいいんですよね。

私も中学生時代、かなりヤンチャな学校に行っていたからよくわかります。先生は、一部のヤンチャな生徒にいいなりで、大人しく真面目な子に対しては、たまに暴力さえふるいました。私は内申点がほしいために、毎日毎日学校にいくのが嫌でしたが我慢して、「中学校さえ卒業したら、楽になれる」と自分に言い聞かせて耐えていました。思い出したくもない、悪夢のような3年間でした。

生徒の暴力・学級崩壊だけでなく、先生の生徒に対する体罰の問題も以前からよく聞きますよね。学校は閉鎖された場所で、学校には治外法権が認められているような、ある意味異常なところになりつつあります。

まずは学校のいたるところに監視カメラを設置するのはどうでしょうか? 何か事件が起こったときには、その経緯がしっかりわかりますので、その判断もしやすいですし、保護者の方々に授業の様子を見ていただくというのも、とても意味のあることだと思います。そして監視カメラを設置することで、抑止力がはたらきますよね。もちろん批判・反対はあるでしょうが、ここまで学校が崩壊しているのですから、大きな改革をしないといけないのではないでしょうか? 少子化にもかかわらず、不登校になる子どもは減らず、学力低下も止まりません。

指導力のある教師だったらこんな問題が起きない? そんな簡単な問題ではないと思いますし、仮にそうだったとしても、そんな素晴らしい教師をどうやって育てていくのでしょうか? 教師の力量というよりも学校のシステムの問題なんです。

授業中を妨害したり、暴力をふるっている子どもにもさまざまな事情があるのでしょう。その子たちの家庭環境やさまざまな背景は考えてあげなければいけませんし、そのサポートも必要です。ですが、だからといって好き放題させて、真面目に勉強したい子どもが被害者になることは絶対に間違っています。子どもたちが快適に過ごせる環境を整えてあげることこそが、一番大切なのではないでしょうか。

高校に入学するためには受験があります。偏差値が低い高校になればなるほど、勉強に真面目に取り組まない生徒が増加する傾向にあるのは認めざるを得ない事実です。ですが本当の問題は、そういう学校にだって、しっかりと勉強したいと思っている生徒もたくさんいるということです。一部のやる気のない、学校に何をしに行ってるのかもわからない生徒のせいで、学校全体がそういった目で見られ、今回の事件でも「偏差値の低い高校の無償化なんてやめるべきだ」という意見も多く見かけます。

私の今までの生徒の中でも、学力の低いおとなしい子は「高校には行きたいけど、僕が行ける高校は悪い子たちが多いから、それやったら高校に進学したくない」と悩んでいました。学力が低くたって、きちんとルールを守り、真面目に取り組んでいる子なんて山のようにいるんです。そういった子どもたちを学ばせてあげるようにすることが大切なんです。

教育現場で日常的に暴力行為がみられ、勉強したい子が勉強できない、ビクビクしながら過ごさなければならないなんて、あってはならないことですし、そういう学校ならまったく価値はありません。もう何年も前からのひずみが、どんどん大きくなり修復不可能なとことまできていると感じます。社会全体として「学校教育」について考えるときが来ています。

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早く手を打たないと、とんでもないことになる

2017-09-30 11:01:54 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

少し前になりますが、中学3年生の25%が教科書レベルの基本的な読解力が身についていないというニュースがありました。これまで、このブログでも書いてきたように、近年深刻な学力低下問題について心配していましたが、これは限られた地域だけでなく日本全国共通の問題になっているのだと改めて問題の大きさに気づきました。

これはおそらく教育現場にいる人間にしかわからないことですが、世間のみなさんが考えている以上に問題は深刻です。読解力というと、なにやら難しいように感じますが、簡単に言えば教科書を読んでも何を書いているのかわからないということです。

もちろん程度の差はありますが、中には数学の文章問題や社会の問題であっても、何を質問されているのかわからないというレベルの子どももたくさんいます。読解力と言うか、語彙力がなさすぎて何を書いているのかが理解できないのですね。

そもそも義務教育とは何のためにあるのでしょうか。まずは、国として国民が一定の水準を維持することで発展につながる。国家としてまとまって成長するためには、一定の基盤となる資質をもった国民を育成することが必要です。また、個人として考えた場合、人それぞれが人生をよりよく生きていく土台をつくるという意味もあります。よりよく生きていくというのは、いいかえれば社会で自立して生きていくことだとも言えます。

こうして考えた場合、義務教育を終えた時点で教科書レベルの文が理解できないというのは、国にとっても本人にとっても悪い影響しかなく、義務教育の本来の目的が達成されておらず、ただ9年間が終わりましたというだけになっているのです。

さらに問題なのは、このような状態の子どもであっても、高校に進学は十分できますし、大学にさえ合格することができるということなんです。高校や大学に行って、いったい何を学ぶというのでしょうか?義務教育の勉強がほとんど理解できていないまま、高校や大学に進学したとして、基礎学力が上がるはずもありません。時間だけが経過し、基礎学力のないまま社会に出ることになります。そこで困るのは、その本人でしょうし、結果的に国家の停滞にもつながります。

私が言いたいのは、学力の低い子どもは高校に行くなといっているわけでもなく、受験戦争という競争を煽っているわけでもありません。義務教育でしなければいけないことが、できなくなってきていることが明らかなんですから、一刻も早く改革をしなければいけないということです。そうしなければ、一番の被害者は子どもたちです。

義務教育の期間を9年間にする必要はあるでしょうか? 人にはそれぞれ得意不得意があります。義務教育の内容を6年間でマスターできる子もいれば、10年以上かかってしまう子もいます。でもそれでいいんじゃないでしょうか? 時間がかかってしまう子どもはいじめられますか? 「自分はできない人間だ」と落ち込んでしまいますか?

私はそうは思いません。それならば高校の偏差値なんか全部なくせばいいんです。現実に高校のランク一覧のようなものがある中で、「子どもに競争させるのはよくない」などと叫ぶのは無意味です。勉強ができない子どもが落ち込んだりしているとしたら、そういう価値観を与えている大人が原因です。

現在のように学力低下が問題になってから、もうずいぶんと時間が経過しています。大きな改革もしないまま、ほったらかしにした結果どうなったでしょう? 学力の二極化が進み、特に学力の低下がひどく、高校やさらに大学の授業でも信じられないほどレベルの低い授業をしている学校もあります。学級崩壊は当たり前のように起こり、小学校、中学校だけでなく、高校でも授業にならない学校もあります。そして日本の経済は良くなったでしょうか?国際競争に勝つことができているでしょうか?

今のシステムだと、最低限の水準に到達できない子どもが増えるだけでなく、優秀な人材も育ちにくくなっています。このままにしておくと、さらに10年後にはえらいことになるでしょう。何が小学校からの英語授業ですか、何がプログラミング授業ですか!もっと変えなくてはいけないことが山ほどあります。

まずは、社会に出て困らない最低限度の学力をしっかりと義務教育で身につけるようにすること(最低限度というのは議論が必要でしょうが)。何年かかってもそれを身につけるまでは卒業できないようにします。かわいそうではありません。身につけずに卒業させる方がかわいそうなんです。逆に早くマスターできた子どもは5年であっても義務教育は終了でいいんじゃないでしょうか。

義務教育を終えて、さらに勉強したい子どもが高校、そして大学に行く。学力が高くても低くても関係ありません。学びたいと思う子どもが進学すればいいのです。もう勉強はしたくないという子どもは、就職のための専門学校に行く。それを自由に選ばせてあげればいいんですよね。勉強をしたくもない、やる気もない子どもが高校や大学に行くから、学級崩壊が起こったりするんです。「いい仕事に就くためには大学くらいは卒業しないといけない」という幻想をはやく壊すべきです。すべての職業が大卒が有利なわけがありません。ましてや、ほぼ試験なしで合格できる大学卒がそこまで価値があるはずもありません。大学に進学せずに、専門学校で経験を積んだ人の方が採用されやすい職業もだんだんと増えてきています。

勉強をしたい子どもには、義務教育を終えてもしっかり支援する。もっともっと勉強しやすい環境を作ってあげる。そうではない子どもには、無理に勉強させるのではなく、別の道に行くことも教えてあげる。大学に進学することがすべてで、そうしなければ負け組になるという風潮ができていますが、絶対にそんなことはありません。そういった間違った考え方を子どもに押し付けてはいけません。日本の大学の数は約800もあります。1990年代と比較しても300校ほど増加しています。少子化が進んでいる中、これは異常な数字だと思います。「とりあえず大学だけは」という流れの中で増加しているのでしょうが、当然質も低下しますし、すべての大学を支援するというのはあまりにもリスクが大きいと感じます。

偏差値の高い高校や大学に進学したいという生徒の気持ちは素晴らしく、私も全力でその実現のために指導しています。一方、なんとか学校の勉強についていきたいと頑張っている生徒の気持ちも同じくらい素晴らしく、同じく全力で指導しています。一生懸命頑張っているという面ではどちらも同じくらい素晴らしいのであって、学力が高いからとか低いからとか関係ないんです。問題は今の文科省の教育方針ですと、どの子どもにとっても、その頑張りが報われにくく、効率も非常に悪いということです。

もっと現実を見て、将来のことを考え、真剣に教育について話し合っていきませんか?
子どもたちのためにも、日本のためにも。

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