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大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

南海煉瓦暗渠の桜2024

2024年04月17日 | 

2024年4月11日 16:00 大阪狭山市池尻北一丁目5 狭山駅南

 

東側の染井吉野が全部枯れて切られました。クビアカツヤカミキリの食害です。

特に染井吉野の老樹に目立ちます。

 

2022年4月6日 たった2年前は桜であふれていたのに...残念。

 

1号暗渠(第40号拱渠(こうきょ)) 桜が枯れて切株だけになっています。

 

2021年3月29日 1号暗渠(第40号拱渠(こうきょ))

3年前はこうでした。

 

なんとか線路わきに残っている桜。

 

2021年3月29日 昔はもっと元気がありましたよ。

 

2号暗渠 少し離れたところに桜があります。枯れています。

 

3号暗渠(狭山里道暗渠)立ち枯れしたり、樹勢が衰えていたりで、以前の写真と見比べてください。

 

2018年3月30日 3号暗渠(狭山里道暗渠)

ここは多くの方が見に来られていましたね。

 

4号暗渠(第42号拱渠)全部立ち枯れ。

 

四号暗渠(第42号拱渠)は水路暗渠です。

 

2022年4月6日 2年前はまだ一部咲いています。

 

5号暗渠(狭山里道架道橋) 一番大きい暗渠です。ここも切株だけ。

明治31年当時地車が通れるように設計されたという言い伝えがあるように、高さが6.1mもあります。

積み方はイギリス積み。花崗岩の受け石を伴う欠円アーチを採用し高さを確保。アーチ端部の巻き煉瓦は5枚重ねと厚い!

 

5号暗渠に掲示されている案内板。

 

歴史的文化的価値が認められ「土木遺産」と認定されています。

 

高野鉄道(現南海電気鉄道)により、明治31年(1898)4月2日狭山~長野駅間開業に合わせて、当時の最新の技術で作られました。125年経った今も現役で補強なしに、ビクともしません。(すこしだけビクともするところはあります。)

 

イギリス積みの煉瓦構造。当時最強の構造物です。

大正期に鉄筋コンクリート構造が開発され、大正の終わりには煉瓦の建物はほとんど造られなくなりました。

 

2018年3月30日 両側に巨大な桜が咲いていました。

 

6号暗渠(第43拱渠) 手前の桜は枯れました。

 

 2019年4月2日 まだ元気だったころ。2、3年であっという間に枯れるんですね。

 

ここは狭山池の下手にあたり、もともと狭山池ができる前の川筋となっていて、周りより土地が低いのでこんなに土盛りがされています。

狭山駅や大阪狭山市駅は高い河岸段丘面に乗っかっていますが、駅間は低く線路が水没する可能性があるため土塁を築いて線路を通すことになりました。ただ、以前よりそこにあった里道や井路は分断されると困るので、地元の人たちは当時の高野鉄道に意見書を出し、トンネルという形で問題を解決することができました。120年前の出来事ですが、みごとな解決方法ですね。

 

2022年4月6日 2年前がもうちょっと勢いがありました。

 

2020年4月3日 そう言や、狭山駅にもホームに植えられていましたね。今は切株だけです。

 

2020年4月3日 こちらは大阪狭山市駅 ここにもありました。だいぶやられています。小さなカミキリがこんな大木を枯らすとは脅威です。

 

2020年4月3日 狭山駅 もうこんな風景は見れません。

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写真撮影:2024年4月6日

2024年4月17日 ( HN:アブラコウモリH )

 

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