遺体屋の仕事

日常生活では見ることも聞くこともない「遺体屋の仕事」とは・・・

先輩との雑談

2006-05-27 09:08:25 | 湯灌の儀式
・・・業務に向かう車中、「自分が死んだら湯灌をやってほしいか?」という話になった。

先輩は「私はやってほしくない」と即答。

私も「やってほしくないかな~・・・」と思った。

それは何故か?


私たちの仕事は、お通夜の前にすることが多く、ご家族以外に近所の方や喪主様の会社関係者など故人と面識のないかたまで湯灌に立ち会われることが多い。
お肌が見えないように湯灌・お着替えをさせていただいてるが、それでも恥ずかしさはある。
一番理想なのは、一緒に住んでいた方だけの立会いが望ましいかもしれない。

先輩との話では「自分はやってほしくないけど、家族にはやってあげたい」ということで決着しましたが、自分が死んだときに「湯灌をやってほしいな~」と思えるようにお仕事をしていきたいし、お亡くなりになるすべての人たちに受け入れられるサービスにしたいと思った。





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6 コメント

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Unknown (仙太郎)
2006-05-27 13:38:22
おはようございます。

先日のレスも含めて…仕事って、その仕事をしたいからやる、のと自分の生活の為、というのにどうしても分かれますよね。

純・不純はよくわかりませんが、最後はどこまでその仕事に誇りを持てるか、じゃないかな?って思います。



今日の内容について、僕も「家族にはしてあげたいが、自分はしてほしくない」ですね。

湯灌のお仕事って、家族を立派に送ってあげたいって気持ちがあるからこそ成り立つお仕事だと思います。

湯灌してもらった故人さんは、湯灌を通して家族との愛情を確かめられるんだと思いますよ。



なんか変な文章ですねf^_^;
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湯かんとは (こんにちわ。)
2006-05-27 15:32:47
湯かんが、何故立会いなのかというのは、亡くなった方が虐待や、疑わしい死に方をしてはいません。「きれいな体ですよ。」と見せしめという言い方は不適切かも知れませんが、湯かんは人前でやるのが本来です。そもそも遺体は

「汚い、穢れている」という日本人特有の考え方がおかしいです。清め塩・逆さ枕や友引に葬儀をしない等。

自分も仕事柄、葬儀屋さんと接する機会が多いです。

湯かんは特に気の張る儀式だと思います。

これからもがんばってください。
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Unknown (Unknown)
2006-05-31 02:17:10
ども。

祖父がなくなったとき、湯灌をしたのですが、

家族みんな泣いてしまい、啜り泣きが部屋に

満ちました。私も泣いてました。

残された祖母のちっさい肩をずっと抱いて、早く終わってくれ、と思っていたものです。

祖母が亡くなったとき、父は湯灌をしないといいました。

私はほっとしたものです。

客の立場としての意見ですが、湯灌をしてもらうときは少し、覚悟がいるかもしれません。

別に悲惨なわけでもないんですが、なぜか見ているのがつらいんです。

ただ、燃えて骨になる前に、一生懸命生きた体を清めてあげることは、良いことだとも思います。

ここは、個人の意見の違いになるんでしょうけど。

大切な仕事、がんばってください。

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Unknown (amigo)
2006-06-06 03:44:38
父が他界したとき、母と兄と私の家族3人だけが見守るなか

湯灌をしていただきました。



長患いで、亡くなる前の1週間は

身体を拭くこともままならない状態だったので

家族としては「お父さん良かったね」という気持ちで、

スタッフの方も、まるで生きている人間にエステでも施すように

優しく丁寧に身体を洗い、ひげを剃ってくださいました。

今でもあのときの様子──スタッフの方の

相当な緊張にもかかわらず、

そうとは気づかせない丁寧な仕事ぶりを思い出すと、

目頭が熱くなります。



湯灌の是非は人によってさまざまなようですが、

少なくとも私は、湯灌をしてくださった方々の仕事を

とても尊いものと感じました。

もしかすると「死の儀式」は

人生でもっとも重要な儀式かもしれませんね。



お仕事、がんばってください。
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はじめまして (K太郎)
2006-06-09 10:27:33
母が亡くなったとき、湯灌ではなく清拭?をしたのですが、

息を引き取るまで、子供の前で気丈に「元気になるから心配しないで」と言っていて、1度も介助の手を借りようとしなかった母の体を見たとき、

あまりに弱々しくやせ細った姿が、心に突き刺さりました。



生きるって、子供の親であるって、こんなに厳しく尊いものなのかと。



昔はお葬式も、家族が中心となって我が家の中で行っていた事だったのに、現在は葬儀社で行うのが普通になり、「死」が遠いところに行ってしまったようです。



死から学ぶことが沢山あるというのを、母が旅立つ姿を見て学びました。



そういう意味もこめて、体というのは故人のプライベートな部分ですが、生きてきて死んでいった、死ぬまでの時間が詰まったその体は、残された人々に、最後に大切な「教え」を授けてくれるような気がします。



そう思うと、死者と向き合う湯灌などは、大事な「学びの場」のような気がします。



私が死んだら湯灌してもらって、この体と向き合ってもらい、その場に臨んだ人々の心に、何か残せるものがあればいいな、と思います。



長文、失礼致しました。
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ありがとう (ひまわり)
2008-04-24 20:32:59
人生の旅立ち・・スタート地点の仕事ですよね。
私はきっと感情がこらえきれずできないと思いますが、家族の方たちには素敵な最後の瞬間ですよね。
ずっとずっと素敵なお別れをさせてあげてください・・・
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