
山本 弘:著
角川書店
定価(税込): 1995円
発売日:2006年 05月 31日
課題本は久しぶりのSF小説。参加者は、1年数ヶ月ぶりのHさんを含めた男性4名に、女性11名を加えた15名。推薦者の目黒さんが不参加だったのが残念でしたが、いい意味でも悪い意味でも、目黒さんの「ここまで読んだだけでもすごい小説と思うでしょうが、それだけではない。最後にドッカーンときます」という推薦の言葉が影響を与えた2月の例会でした。
目黒さんの推薦の弁に一番ストレートに反応した感想としては、
「目黒さんには今までも何回もだまされてきたが、まただまされた」
という言葉がすべてを語っているようです。ほかにも、
「「詩音が来た日」は面白かったが、目黒さん推薦のドッカーンと来るはずの「アイの物語」はよくわからなかった」
「テーマはすばらしいが、書き方がストレートでわかりやすすぎる。子供にとってはこれでいいのかもしれないが、大人にはちょっと」
などの感想がありました。それに対して、
「叙情的な文章は読みやすい」
「さまざまな雑誌で発表してきたばらばらな作品を、書き下ろしの2編で全体としてうまくまとめている」
「ひとつひとつが独立した短編なので逆に読みやすい」
「第一話はつらかったけれど、それを乗り越えたら面白く読めた」
「よくできた構成だと思う。主人公が機械に対して心を開いていき、反感をなくしていく過程がわかる」
「傑作だと思う。これはゲームクリエーターの発想だと思う」
「作品にあらわれるようなプログラマーは実際にいるので、そこにリアルさを感じた」
などの好意的な感想が多く聞かれました。興味深かったのは、
「生理的に受け付けない。おろかな人類、欠陥だらけの人類として、人間を否定してしまうところが許せない。これでは人間愛の欠如だと思う」
という感想があった事でした。ひとつの作品、一篇の小説から受ける感想が人それぞれかくも違うという事は、個々人の感受性の多様さはもちろん、文学のもつ奥行きの深さをあらわしているのでしょう。好意的であれ、批判的であれ、読者にこれだけの感動を与える事が出来る事は、まさに作者冥利につきるのではないでしょうか。
「SFはにがて」と前置きをされた講師のK先生からは、
「たぶんに予定調和的であり、全体の統一感がない分、最初から短編集にすればよかったのでは。また、最後のドッカーンの部分で感じたが、ここではセリフですべてを説明しようとしている。決めセリフは簡潔にした方が良い。夢をつむぐことで生きていけるのは人間だけだと思うので、これからもそこにすがって生きていきましょう」
とのまとめがありました。
ちなみに、代理推薦者のレポーターは、この小説は人類に対する希望を描いた小説だと思いました。種としての人類の限界を認識した上で、ゆるやかな滅亡への道をたどる彼らですが、最後に書かれているように、主人公のような何人かの語り部たちによってひょっとしたら人類はまたやり直せるのではないか(99.9%やり直せない事はわかっているのですが)という希望をもたせてくれているのではないでしょうか。パーツを取替え、記憶をコピーする事で半永久的に存在可能なAIたちと違う人類は、そうした行為によってのみもずからの「存在理由」をもてないのだと思います。それはあたかも、前回の課題本『されどわれらが日々』のラストにおいて、みずからの世代や時代から抜け出そうと安穏とした現実から歩みだした節子の行為にも似て、欠陥だらけの人類もすてたものじゃない、ただ自然の摂理のまま滅びていくだけじゃないよ、という作者のエール、メッセージに感じられました。
(天馬トビオ)
2月の「アイの物語」、SFというジャンルには馴染みがないのに、あるいは、ないからなのか、開始早々どうも既視感がぬぐえず、とうとう中途で挫折してしまったのですが、トビオさんのレポを拝読して、もう少し忍耐強くならねばと反省しました。
ところで不勉強な話を続けますと、内容・文体から、著者が若いときに書かれたものと思ったのは、私だけでしょうか。奥付を見て、作者の年齢(&出版年)にかなり驚きました。
初出誌が若い子向けの雑誌?のせい?でしょうか
そのあたりも含めて、大人が読むにはちょっと、と思った次第です。