昔の望遠鏡で見ています

マークX極軸体のこと

 ベースモデルとも呼ばれていた極軸体を、モータードライブと共に入手したのは昭和の時代だ。今でも電源を入れると、フォーンという音叉の音と伴に、パルスモーターのカリカリという音を聞くことができる。
 この極軸体は、写真三脚を使用できたことや、極軸望遠鏡内のスケールに北斗七星とカシオペアが利用されていてセッティングが容易なことから、10分も掛からずに撮影を開始できる優れものだった。マッチプレートに雲台を追加すると、一緒に行った友人のカメラを同時に載せることもできた。標準から広角レンズを使うことが多かったので、振動をあまり気にする必要は無かったのだが、レリーズの操作は息を合わせて行ったものだ。




 それまでの写真撮影は、手動ガイドが主体であり、撮影中は接眼鏡をずっと覗いて、十字線に星を重ねておく必要があった。広角レンズを使用する際には、少しは休んで良いのだが、せっかく暗い空の下に来たので失敗したくないと、こまめに微動ハンドルを動かした。

 その頃の星野写真は、銀塩フィルムを使って撮影するものだったので、当然ながら画像処理などは行わない。工夫するとすれば、現像液の種類や現像時間を変えるくらいだった。星野写真を始めてしばらくすると、美しい写真を撮るには、いかにして良い空に巡り合うかが大切だと、気付き始める。その結果、ある者は山に登り、ある者は人里離れた所に出かけたりした。




 このマークXを入手してから、最高の空に出会ったことがある。それは梅雨前に訪れた台風一過の夜だった。月は無く、見たこともない透明度だ。平日だったが、友人とかねてから目をつけていた山の尾根に、少しだけ行ってみることにした。時間が限られていたので、運搬が楽ですぐに撮影を開始できるマークXは役に立つ。坂を登って見晴らしの良い所に出ると、頭上にきらめく星々は遠くの山際までびっしりと続いていた。この晩に、マークXに載せたカメラのシャッターを、夢中で切ったことは今も忘れない。

 モータードライブが普及していなかった時代は、赤道儀の構造も異なっていた。T社の場合、従前には赤経微動部は極軸体上部に配置されていたのだが、モータードライブが普及する頃には下側に移され、駆動装置をコンパクトに取付できるよう工夫された。




 右がモータードライブが一般的でなかった時代のD型赤道儀(三脚取付部は90Sタイプに変更)で、左はその後開発されモータードライブが取り付けられた90S赤道儀である。


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