昔の望遠鏡で見ています

星野鏡について

 高校生の頃、天文台で会報の発送の手伝いをしたことがある。その作業後に、名前は憶えていないが彗星を見せてもらった。使用した望遠鏡は、西村の20cm反射経緯台だった。主鏡は、F8位の星野鏡。天文台の南側の広場にセットされ、順番に覗いた。私の番が来たのだが、彗星はよく判らなかった。今考えると、経緯台のため視野の中心から大きく外れていたのかもしれない。それでも、視野の中には美しい星が輝いており、銘鏡にふれた喜びを感じた。

 その鏡の作者である星野次郎が、日本経済新聞(1982年8月5日)の文化欄に「 星キラキラ凹面鏡磨き 半世紀、本業そこのけで600枚を世に 」という文章を書いている。その中に、星に興味を持ったきっかけや、鏡面製作についての思いのほか、赤道儀を自作するほどの工作技術を取得した経緯などが記されているので、紹介したい。

 ”・・・私が星に興味を持ち始めたのは母の影響だった。鉱山会社を経営していた父は、私が七歳の時亡くなり、私たち一家は福岡県添田町の親類の家に身を寄せていた。そんな私を元気づけようと、母はよく当時珍しかった双眼鏡を持って戸外に連れだし、オリオンやアンドロメダの話をしてくれた。「この子は、星さえ見ていれば機嫌が良かった」と、後でよく母が話していた。星への興味から、やがて望遠鏡づくりを思い立った。旧制中学二年の春のことである。星の姿が大きく見える高倍率の反射望遠鏡が欲しかったのだが、当時、口径十センチ、百倍程度のものでも、百二十円はした。うどん一杯五銭、小学校の先生の初任給が三十五円の時代である。心臓部の凹面鏡だけでも三十円という高値。家庭の置かれた状態を考えると、母に無理は言えなかった。そんな折、愛読していた「科学画報」に反射望遠鏡を自作する広告が載った。これなら十分の一以下の費用でできる。とりもちでヤマガラ、メジロを捕らえ餌付けをして売ったお金をためて材料一式を買った。厚板ガラスを凹面にするのに一か月、光が一か所で焦点を結ぶように調整するのに三か月かかった。自作の望遠鏡で始めて星を見た時の感激を、私は生涯忘れない。月のクレーターの細かな影も、土星の輪もくっきり見えた。「かあちゃん、起きて、起きて」私は母をたたき起こし、二人で飽きることなく星空を眺めた。・・・私はこれまで、反射望遠鏡づくりのノウハウを書いた本を三冊出版してきた。それでも、肝心なところは書き尽くせないでいる。最も大切なポイントは、百枚、二百枚と磨いて体得するしかない。禅家のいう「不立文字」、つまり、文字では表せないものかも知れない。私がこれまで磨いた約六百枚の凹面鏡は、いわば研磨方法研究の副産物と言える。天文ファン向けに市販の半値近い実費だけで、鏡を製作してきたが、こちらの気持ちでは、依頼者の費用でやりたい研究を続けさせてもらっているお礼のつもりだ。中学を卒業した後、私は旧制山口高、京大法学部と進んだ。本当は機械技師になりたかったのだが、高等学校の理科に入るには視力制限があり、私はパスしなかった。大学でも関心はもっぱら星と望遠鏡。京大を選んだのも、実は京都にあった西村製作所という光学機械会社に日参するのがねらいだった。同社の西村繁次郎会長とは中学時代、凹面鏡の製作方法を尋ねて以来、五十年の付き合いが続いている。就職は理化学研究所に決まった。秘書の仕事を放り出して、レンズ磨きと天体機器の製作に没頭した。理研には毛色の変わった人が多く、私のわがままが許される自由な雰囲気があった。戦争が激しさを増した昭和十七年、五十六連隊に入隊。ビルマ戦線に繰り出され、百五十人いた中隊の中で、生還したのは私を含め十一人という生死の境をさまよった。私を星の世界に誘った母の死を知ったのは、二十一年七月に復員してからだ。戦争で中断していた私のレンズ磨きは、生活が安定するにつれてまた始まった。私は福岡県庁で税務課長、総務部次長といった役人生活を送ってきたが、暇を見つけては、徹夜でレンズを磨き、仲間を集めては星空を見る会を開いた。このため、大事な県議会で居眠りをして、議員にしかられたこともある。同情した県衛生部長が、眠くならない薬を調合してくれた。服用量の三倍も飲んで、議会に臨んだが、やっぱり大イビキ。薬を飲んでいる、という安心感が、逆に睡魔を招いたのだろう。役人なんかにならずに、もっと自由な時間の取れる職業につけばよかった、とその時は心底思った。・・・この十月、福岡県で全国のアマチュア天文家の研究発表大会があるが、そのうちの何人かは、私の望遠鏡の愛用者である。「その後、鏡の具合はどうですか」 - 嫁にやったわが娘の消息を尋ねるように、皆さんに聞いてみたい。”


 友人で、星野鏡を持っている人が二人いるが、共に望遠鏡のみならず天文ドームまで自作している。自作マニアとしての鏡面の作者に通じる熱心さが、譲り受ける端緒になったのだろう。




 10cm反射鏡筒(T社MT100)である。今は製作されていないが、過去にはこのような小型のものもあった。
 ※この鏡筒の鏡面は、星野鏡ではありません。

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