俳句雑記帳

俳句についてのあれこれ。特に現代俳句の鑑賞。

二句一章(にくいっしょう)

2009年09月11日 | 俳句
 俳句をその構造で分けると一句一章と二句一章に分けられる。一句一章の句は、句の中に断切(休止、切れ)のないもの。言い換えれば同一空間(場面)の中の物や事柄を描写した句。たとえば、
    くろがねの秋の風鈴鳴りにけり  飯田蛇笏
はよく知られているが、実に簡明である。くろがねは鉄、その鉄の風鈴が鳴ったというだけのこと。秋も深まっている。鑑賞する人によって深さが違うだろう。
 二句一章の句は一個の断切(休止、切れ)を含んでいる。言い換えれば二つの違う空間(場面)にある物や事柄を詠んだもの。たとえば、
    降る雪や明治は遠くなりにけり  中村草田男
がある。「降る雪」は目の前の現象である。しかし「明治は遠く」は作者の心象であって、同一空間に存在するものではない。二句一章は「取り合せ」とも言われるが二つの場面が離れすぎると難解な句となって独りよがりになりやすいと言える。

    秋の鷹風の真中を過ぎゆけり  西村逸朗(にしむら・いつろう)

 一句一章の句である。作者は目の前を過ぎる鷹と風を見ている。ワシもタカもタカ目タカ科に属するが両者の区別は明確とは言えないようだ。一般的には中小型のものが鷹、大型のものが鷲と呼ばれている。鷹には冬に北方から飛来するもの、南方へ帰るものがあるが、大鷹は溜鳥である。鷹が冬の季語になっているのは、渡りの情景が壮観だからであろう。この句では秋風の中を行く鷹が描かれている。これは溜鳥であろう。ちょっとした山に登れば簡単に見つけられる。わざわざ「秋の鷹」と断っているのは溜鳥だからである。その鷹がゆったりと目の前を過ぎてゆくのだ。俺は鷹だぞ、と言わんばかりに風の真ん中を過ぎてゆくのだ。風には幅があり高さもあるが、そういう物理的なことではない。正しく真中なのである。(勢力海平)

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