陰暦十月は神無月と言われるように、全国の八百万(やおよろず)の神が出雲大社へ参集するために旅に出るという。どこの神社にも神はいなくなるが出雲地方には神があふれるから、出雲では神有月という。神の旅は陰暦十月一日頃に始まって月末には終り各地へ帰る。この間は出雲以外には神はいなくなるから神の留守である。「神の旅」から派生する季語は多い。それらをあげると、「神送り」「神渡し」「神立ち」「神迎へ」「神待ち」「神の留守」などがある。送り仮名は自由である。
蘆の葉も笛仕る神の旅 高浜虚子
「仕る(つかまつる)」の意味は「する」「行う」の謙譲語。葦笛というのは葦の葉を巻いて作った草笛である。この場合は葦も蘆も意味は同じ。誰かが蘆の草笛を吹いている。その音色は神の旅の無事を祈っているようにも聞こえるのである。蘆の葉が笛となって神を見送っているというのである。蘆の葉を擬人法で表現しているが、それは作者自身の気持でもあろう。草笛を吹いているのは作者だという解釈もできよう。
旅立ちて神はおはさぬ神馬かな 富安風生
この神馬は寂しそうである。主人である神が旅立ったことを知っているのである。「神の留守」というと、留守の間にいたずらをするとか、普段やらないことをすることが多いようだが、これは単なる神の留守ではない。ちょっとばかりニュアンスが違うのである。残されたという思いが神馬にもあるのであろう。
神の旅根をまとめてコスモスに
根は、√ で平方(広さ)の象徴、土地(広さ)を治める諸国の神(√)が、出雲(島根)に集い、
島(ヤマト)がコスモス(平穏)になる。