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俳句雑記帳

俳句についてのあれこれ。特に現代俳句の鑑賞。

子午線

2016年06月24日 | 俳句

 子午線と聞くと明石市を思い出す人が多いのではないだろうか。子午線とは地球の経線のことである。干支では子(ね)が北を、午(うま)が南を表す。簡単に言うと、地球の北極と南極を含む大円が子午線ということになる。したがって子午線は地球上に無数にあることになる。

東経135度を通る子午線を日本標準時子午線と言うが、これが明石天文台を通過しているので明石市が有名になった。経度135度では英国グリニッジ天文台を通るグリニッジ子午線(経度0度線)より9時間の時差があり、東経135度は9時間進んでいる。東経135度子午線は、京都府丹後市から明石海峡に面した兵庫県明石市淡路島の兵庫県淡路市を通り、和歌山市沖ノ島西端(友ヶ島灯近傍)をかすめて太平洋に至る。つまり、子午線は無数にあるわけで明石と言えば子午線とわかるというわけではないのである。

     子午線に糸絡めたる女郎蜘蛛  中村 遥(句集「海岳」より)

 見えない子午線を見えるもののように描写している発想は面白いと思うのだが、これは明らかに明石を通っている子午線を意識しての句であろう。子午線という言葉が明石と結びつくとは関西人だけの思い込みではなかろうか。ほかにも子午線を詠んだ句がいくつか見られるが、注意する必要があると思って取り上げた。


一夜酒(ひとよざけ)

2016年05月24日 | 俳句

 甘酒のことである。米の飯に麹を交えて発酵させるが、一夜のうちに熟するので一夜酒とも呼ばれる。甘酒よりは酒らしい響きだが、アルコール分は含まない。暑いときに熱い甘酒を吹きながら飲むのは、却って暑さを忘れさせるとして夏の風物として親しまれた。しかし、現在はむしろ冬によく飲まれるようだ。季語としては夏であるが。醴(あまざけ)。

        飛ぶ鳥の白を数へて一夜酒  中村 遥

 飛ぶ鳥の白と言えばまず鴎であろう。鴎の白を数えながら甘酒を飲んでいるというだけのことである。場面の想像はいろいろとできるであろう。鴎の数を数えるというのは、よほど暇なのであろうと思われるが、逆に大きな悩みがあって何も手につかないという心理状態とも考えられる。俳句は作者と鑑賞者の共同作業であるとも言われるところである。


春の暮

2016年04月29日 | 俳句

 暮という言葉には二つの意味がある。一日の暮という場合と、ある季節の終りという場合である。春の暮と言った場合、春の一日が暮れるという意味と、春が終るという意味とがある。しかし、このごろではそれらの混乱を避けるために季節の終りは「暮の春」と言うことになっている。他の季節でも同様である。

     言ひ返す相手の欲しき春の暮  徳田千鶴子

「馬醉木」5月号より。

 今日も春の一日が暮れていく。朝からのことをいろいろと思い返してみると、いろいろと仕事をしたはずなのにどうもすっきりしない。幾人かの人に会っても、はれやかな気分になれないのはなぜだろう。春愁ということでもない。なんとも孤独な寂しさである。そう言えば人に会っても相手の話を聞くばかりで、何も意見を言えなかったような気がする。

 こういう気持になるのは春という気候の特徴とも言えそうだが、もっと元気に言い返せるような人に会わないからだろうか。言い返したり言い返されたりして、会話が弾めばもっと楽しく過ごせるだろうに。ふと、そんなことを思う春の暮であったということだろうか。言い返したいのか、言い返して欲しいのか微妙な心理であろう。


寄居虫(やどかり)

2016年04月18日 | 俳句

  寄居虫は漢字でかくと難しいが、国語辞書的には「宿借り」である。つまり、自分の家を持たないで巻貝などの殻に住むのである。巻貝の殻がいつもあるとは限らないから、寄居虫は常に住宅難にさらされている。寄居虫はエビやカニと同じく十脚目に属する。タラバガニは蟹の名がついているがヤドカリである。

      寄居虫は殻を脱ぐとき見得を切る   中村 遥

句集『海岳』より。

  寄居虫は自分が成長すると体に合わせて殻を探さなければならない。殻は成長してくれないからである。殻の大きさは自分の持っている鋏脚で計るそうだ。体に合った殻を見つけるとそれに乗り移るわけである。このとき「殻を脱ぐ」ことになる。数少ない殻の中から自分の体に合う殻を見つけたのだから、寄居虫にとってこれ以上の喜びはないだろう。すべて水の中で行われる動作であるが、殻を脱ぐときは大きな鋏を上にして立ち上がるような仕草をするから、それが「見得を切る」ように見えたのである。寄居虫の喜びが伝わってくる即興句であるが描写が的確である。


ライオンの昼寝

2015年12月20日 | 俳句

 夏は暑くて疲れるので昼寝をする習慣が生まれた。「昼寝」という季語が生まれたのもそういう状況から来ている。昼寝の句も多い。ところで、猫や犬の昼寝はどうだろう。疲れるという事情から昼寝が季語になっているので、猫や犬は疲れとは関係なく寝ているから季語とはならないと教えられて来たと思う。ところが、次のような句が堂々と現れた。

      ライオンの昼寝の尻尾起きてをり  北川栄子

 
俳誌「ホトトギス」11月号誌上である。この句をどう評価するか、今後の大きな問題となるような気がする。作者はホトトギス同人であるから、選者もかなり勇気がいったに違いない。動物園に行くと昼間でもライオンは寝ていることがある。夏だからぐったりしているように見える。それを昼寝と捉えていいかどうかは大きな問題であるように思われる。
 しかし、考えてみれば季語はたくさんあるが使いにくい季語が多いことも事実である。日常的というか庶民的な季語は少ないように思われる。もっと使いやすい季語を増やすという意味ではライオンの昼寝などは認めても良いのではないだろうか。赤ん坊は働かないから昼寝の必要はないだろうか。


             ちらと笑む赤子の昼寝通り雨  
秋元不死男


 
赤子もちゃんと昼寝をするのである。ならばライオンの昼寝は認められて良いだろう。そうなると猫や犬の昼寝も認められることになるだろう。むしろ、選者の勇気を讃えたい。


旅の靴

2015年04月20日 | 俳句

 海外旅行などでは靴が気になる女性は多いようだ。

      買初めは赤道越ゆる旅の靴  池田琴線女

「うぐいす」3月号より。

 旅に出る靴を買初にするというのだから、この旅にはかなり気が入っているというか期待が大きいのだろう。赤道を越える旅とは南半球の旅だろうが、オーストラリアかニュージーランドあたりであろうか。「赤道越ゆる旅の靴」とは躍動感があっていいフレーズと思うが、一方で「赤道越る」で旅はわかっているのだから、どんな靴かを描写したほうがよいと思われる。

    買初めは赤道越ゆる金の靴

私の勝手な提案である。もちろん「青い靴」というような表現もあるだろう。


奈良の鹿

2015年04月06日 | 俳句

 ずいぶんごぶさたしてしまった。4ヶ月にもなるだろうか。白内障の手術は無事に終って目はよく見えるようになったのだが、どういうわけか何を書くべきか迷ってしまう時間が続いた。 実は去年の11月初めに、目がおかしくなって困ったので欠席した句会の句会報が今ごろ目に入った。奈良での句会である。

     鹿囲む英語日本語フランス語  多田羅初美

このごろは外人観光客が多いので、鹿も不思議がっているかもしれない。言葉も日本語だけではなく、英語や韓国語、中国語が多く聞かれるようになった。ときにはフランス語まで聞かれる。そういう時代の状況をうまく描写したおもしろい句になっている。ただ、「鹿囲む」では助詞が省略されているので、「鹿が囲む」のか「鹿を囲む」のかわからないところがある。助詞は句の中で重要な働きをすることがあるので気をつけたいところである。

    鹿を見る英語日本語フランス語

私の勝手な提案である。

 


入院の日決まる

2014年12月11日 | 俳句

 加齢黄斑変性症はアイリーアという注射によって二週間ほどでかなり改善された。なにしろ目玉に注射するなんて経験のないことだから、どうなることかと心配したが、痛くもなくて済んだ。

 白内障は手術することになった。両眼なので十日間ほどの入院となる。このごろは日帰り手術もあるらしいのだが、高齢者には向かないと思われる。国立病院の診断であるからそれを信じたい。

 18日に入院して26日には退院の予定である。それまではブログは休ませていただく。


白内障について

2014年11月20日 | 俳句

 

 11月の初め、急に目が見えづらくなった。句会の席でも清記が困難で他人に書いてもらうしまつであった。パソコンの文字が見づらいので、誤字が多くなる。困り果てて眼科へ行って検査をしてもらったら「白内障がかなり進んでいますね」と言われた。白内障とは眼球内の水晶体が白濁してくることで老人になれば必ずと言っていいほど発病するという。おまけに私の場合は加齢黄斑変性を併発していると言う。両方の治療にはかなりの時間がかかりそうだ。そういうわけでこのブログはしばらくお休みさせていただく。