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俳句雑記帳

俳句についてのあれこれ。特に現代俳句の鑑賞。

除夜の鐘

2014年01月01日 | 俳句
 大晦日の夜十二時になると、梵鐘を備えた寺院ではいっせいに鐘を撞き始める。これが除夜の鐘で百八回撞かれる。人間は百八の煩悩を持っていると言われるが、これを除去するための鐘である。除夜の鐘は撞き始めてから一時間ほどかかるが、煩悩を消して新しい年を清浄に迎える厳かな年中行事である。

     除夜の鐘その第一打撞きにけり  高浜年尾

 除夜の鐘は聞く側の人が圧倒的に多いが、撞く人もいるし、それを見る人もいる。この句は見る側の立場から詠まれたものであろう。有名な寺でなくても、深夜の十二時になれば除夜の鐘の第一打が撞かれる。時間が凝縮して行く中で、撞く人はもちろん見ている人も緊張の極限に達する。第一打の後に107回も鐘が撞かれるわけだが、とにかく第一打が重要なのだ。この第一打は108個の煩悩の集積なのだ。

     熱の子の覚めて聞きをり除夜の鐘  高橋悦男
 「熱の子」だけで意味がわかってしまうのだから日本語は便利である。熱を出して寝ている子、と言う必要がない。こういう日本語の特徴が俳句を生み出したのかもしれない。この句は平明でありながら、内容をきちんと伝えている。熱を出して寝ていた子がいつの間にか目覚めて除夜の鐘を数えていると言うのである。子供に煩悩はないだろうが、心配していた親の悩みも解決された。それを言わないのもまた俳句である。