暮という言葉には二つの意味がある。一日の暮という場合と、ある季節の終りという場合である。春の暮と言った場合、春の一日が暮れるという意味と、春が終るという意味とがある。しかし、このごろではそれらの混乱を避けるために季節の終りは「暮の春」と言うことになっている。他の季節でも同様である。
言ひ返す相手の欲しき春の暮 徳田千鶴子
「馬醉木」5月号より。
今日も春の一日が暮れていく。朝からのことをいろいろと思い返してみると、いろいろと仕事をしたはずなのにどうもすっきりしない。幾人かの人に会っても、はれやかな気分になれないのはなぜだろう。春愁ということでもない。なんとも孤独な寂しさである。そう言えば人に会っても相手の話を聞くばかりで、何も意見を言えなかったような気がする。
こういう気持になるのは春という気候の特徴とも言えそうだが、もっと元気に言い返せるような人に会わないからだろうか。言い返したり言い返されたりして、会話が弾めばもっと楽しく過ごせるだろうに。ふと、そんなことを思う春の暮であったということだろうか。言い返したいのか、言い返して欲しいのか微妙な心理であろう。
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