昔は農家では蓬の葉や松葉などを焚いて蚊を燻したようだが、この頃と言うか、かなり以前から蚊取線香が広く普及した。蚊遣の「遣る」は物や人を遠くへ追いやることであるが、最近は噴霧式の殺虫剤で蚊を殺すものもある。遣るは殺る(やる)になっている。
蚊遣火や闇に下り行く蚊一つ 高浜年尾
蚊遣の句はどうしても人事句となるようだが、この句は人間の匂いがしない。もちろん近くに人はいるのだが、蚊そのものを見ていることに注目したい。闇に落ち行くかと思ったが、そうではなく「下り行く」である。この闇は何なのだろう。部屋は明るいはずだ。そうすると外の闇ということになる。蚊が蚊遣火を嫌って部屋の外へ出た光景を捉えた。闇へ下り行く蚊と捉えたことで、蚊の哀れさが出ている句となった。
蚊遣して婆云ふ「うまく老いなされ」 秋元不死男
蚊取線香に火をつけながら、お婆さんが言ったのであろう「うまく老いなされ」と。見知らぬ婆さんであろう。作者よりもかなり年上の婆さんに違いない。私はこの程度だけれど、若いあなたはうまく老いなされと言うのである。この句がいつごろ作られた句か知らないが、現代にまさにぴったりの句である。高齢化社会と言われる時代だから、人々は老年になったらどうするかを考えなければならない。身につまされる話なのだ。老活という言葉もあるくらいである。俳句なのだから、もっとおかしみを持って読むべきであろうが、どうしても世の中を見てしまう。