立春以後、まだ残る寒さのことを言う。「はるざむ」と濁って読まないこと。歳時記によっては「はるざむ」と振り仮名をつけているものもあるが、間違いと言うよりは俗であると言いたい。余寒と似ている言葉だが、余寒のほうは寒さに重点があり、春寒のほうは春に重点があると言えよう。まだ寒くはあるが、春の気配はあちこちに感じられる。
春寒や箱ごと運ぶ置薬 若井菊生(わかい・きくせい)
句集『菊の武者』より。
置き薬は日本の訪問販売の原点のような存在である。昔は「富山の薬売り」として有名で、どこの家にも置き薬があったものである。半年に一回くらいの割合で販売員が回ってくる。現在は企業化されて置き薬は残っているが、買いに行かなくてもよいので特に田舎の家庭や会社では根強い人気があるようである。
さて、上の句であるが、置き薬は救急箱のような形で家庭に置いてある。春の風邪でも引いたのであろうか、その箱ごと運んできて薬を探しているというのである。春寒の頃なら風邪に限らず、ちょっとした病気がいろいろ出てくるだろう。「箱ごと」運ぶことによって、いろいろな病気に対応できるわけである。ごく普通のありふれた日常を描写して俳諧味のある句としてまとまっている。「春寒や」は「春寒の」でも良さそうな気がするが、切るか切らないかという問題は、個人の好みにかかわることである。(勢力海平)
春寒や箱ごと運ぶ置薬 若井菊生(わかい・きくせい)
句集『菊の武者』より。
置き薬は日本の訪問販売の原点のような存在である。昔は「富山の薬売り」として有名で、どこの家にも置き薬があったものである。半年に一回くらいの割合で販売員が回ってくる。現在は企業化されて置き薬は残っているが、買いに行かなくてもよいので特に田舎の家庭や会社では根強い人気があるようである。
さて、上の句であるが、置き薬は救急箱のような形で家庭に置いてある。春の風邪でも引いたのであろうか、その箱ごと運んできて薬を探しているというのである。春寒の頃なら風邪に限らず、ちょっとした病気がいろいろ出てくるだろう。「箱ごと」運ぶことによって、いろいろな病気に対応できるわけである。ごく普通のありふれた日常を描写して俳諧味のある句としてまとまっている。「春寒や」は「春寒の」でも良さそうな気がするが、切るか切らないかという問題は、個人の好みにかかわることである。(勢力海平)