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俳句雑記帳

俳句についてのあれこれ。特に現代俳句の鑑賞。

春寒(はるさむ)

2010年02月25日 | 俳句
 立春以後、まだ残る寒さのことを言う。「はるざむ」と濁って読まないこと。歳時記によっては「はるざむ」と振り仮名をつけているものもあるが、間違いと言うよりは俗であると言いたい。余寒と似ている言葉だが、余寒のほうは寒さに重点があり、春寒のほうは春に重点があると言えよう。まだ寒くはあるが、春の気配はあちこちに感じられる。

     春寒や箱ごと運ぶ置薬  若井菊生(わかい・きくせい)

 句集『菊の武者』より。
 置き薬は日本の訪問販売の原点のような存在である。昔は「富山の薬売り」として有名で、どこの家にも置き薬があったものである。半年に一回くらいの割合で販売員が回ってくる。現在は企業化されて置き薬は残っているが、買いに行かなくてもよいので特に田舎の家庭や会社では根強い人気があるようである。
 さて、上の句であるが、置き薬は救急箱のような形で家庭に置いてある。春の風邪でも引いたのであろうか、その箱ごと運んできて薬を探しているというのである。春寒の頃なら風邪に限らず、ちょっとした病気がいろいろ出てくるだろう。「箱ごと」運ぶことによって、いろいろな病気に対応できるわけである。ごく普通のありふれた日常を描写して俳諧味のある句としてまとまっている。「春寒や」は「春寒の」でも良さそうな気がするが、切るか切らないかという問題は、個人の好みにかかわることである。(勢力海平)

梅の花(続き)

2010年02月11日 | 俳句
 東大阪に枚岡神社という梅林で有名な社がある。2月7日に言ってみたが、少し早すぎたようだ。600本もあるという広大な丘陵に、咲いているのは一割にも満たなかった。あと一週間もすれば見ごろだろうと思えた。花は少しだが香りは豊かに辺りに流れる。ことに薄紅梅の咲きはじめのピンクはきれいであった。犬を連れた梅見の客もかなり多い。梅見ではなく犬の散歩に来ているのかもしれないと思えるほどであった。

     紅梅の紅(こう)の通へる幹ならん  高浜虚子(たかはま・きょし)

 これもよく知られている句である。紅色の梅の花を見ていると、誰もが感じることであろうから共感を呼ぶのだ。あの梅の木の幹には紅色の液体が流れているのではないか、と想像するのである。子供の頃、白いユリの花を赤インクにつけてみたことを思い出す。茎の中を赤インクが流れるだろうという発想である。このように誰でも思うことであるのに「幹ならん」と推量形にするのはどうか。ここでは断定して欲しかった。大先生に申し訳ないが断定するからこそ感動することがあると思う。ただ、この句には作者の情感がよく出ていると思う。「流れる」ではなくて「通へる」としたこともその一つである。「通へる」と言って、液体か何かが懸命に花を色づけようとしていることが伝わってくる。主語は紅(こう)なのである。これは普通なら紅(べに)と読むであろう。それでも構わないと思う。コウバイというからコウだというだけのことである。(勢力海平)

梅の花(うめのはな)

2010年02月06日 | 俳句
 別名に好文木(こうぶんぼく)、春告草(はるつげぐさ)、木の花(このはな)、初名草(はつなぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)、匂草(においぐさ)などがある。江戸時代以降、花見といえば桜ということになっている。しかし奈良時代以前に「花」といえば、むしろ梅を指すことの方が多かった。梅が次第に桜によって駆逐されはじめるのは、平安時代中頃からのことである。
 梅は桜と並ぶ春の花で、百花にさきがけて咲く花の兄である。花は五弁で丸く、一重咲きと八重咲きがある。色も白、薄紅、紅などいろいろである。香気が高く、気品ある清楚な花の感じは日本人に愛され、「万葉集」では花と言えば梅の花のことであった。梅の花の種類も多く、その名所も全国にまたがって多数ある。

    梅一輪一輪ほどの暖かさ   服部嵐雪(はっとり・らんせつ)

 梅の句というと、まずこの句を思い出すほどであるが、決して古くはない。嵐雪は芭蕉の高弟であるから江戸時代の句である。この句については二通りの解釈がある。梅の花が一輪また一輪と咲くにつれて、気候も少しずつ暖かくなっていく、と言う解釈が一つ。しかし、この解釈には無理があろう。この句は「梅一輪」を言っているので、梅が咲いているのは一輪だけである。一輪一輪と続けて読むからこのような解釈が生れるのだろう。梅が一輪咲いた。まだまだ寒い中だが、確かに一輪分ほどの暖かさが漂っている、と解釈すべきであろう。(勢力海平)

節分(せつぶん)

2010年02月03日 | 俳句
 今日は節分、明日は立春である。もともと節分とは季節の変わり目を言った言葉である。それぞれ立春、立夏、立秋、立冬の前日が節分であるが、昔は立春が新年に当ることもあって立春の前日が大晦日と同じように考えられたので、最も重要な節分となったのである。元日を「今朝の春」と言うのも、元日が立春と重なることがあったからである。節分に焼いた鰯や柊を戸口に置くのは、鰯の強烈な臭いや柊の棘で鬼を追い払おうとする風習である。鬼とは季節の変わり目に多い疫病や災難のことである。鬼を退治するために炒り豆を撒く風習はよく知られる。ところによっては落花生を撒くという。また、恵方巻きと言って太巻きの巻き寿司を食べるのも近年の風習になっている。恵方に向かって黙って太巻きの寿司を丸かぶりすると幸運が訪れるというものであるが、この発祥は明らかではない。関西の海苔協同組合が販売促進として宣伝したのが近年の流行の走りとなった。

     節分の夕日を弾く鬼瓦   八木岡宏子

 節分の鬼と鬼瓦が掛けられていることは明らかであるが、そのことには関わらず、景色として面白い。よく晴れた日なのであろう。夕日は暖かい色をしているが実際は冷たく、鬼瓦に反射している。この鬼瓦が鬼に変身するのかもしれない。.今夜はいかにも鬼が出そうな感じである。(勢力海平)