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俳句雑記帳

俳句についてのあれこれ。特に現代俳句の鑑賞。

春塵

2014年04月03日 | 俳句
 春になって雪解が進み地面が乾燥すると土埃が舞い上がるようになる。殊に関東ローム層のそれはものすごいと言われる。これを春塵とか春埃、黄塵という。馬車の通る道では、馬糞が雪の下に埋もれていて雪解とともに地表に現われ、乾燥して埃となる。これを馬糞埃(まぐそぼこり)という。このごろは道路が舗装されているから春塵は目立たないが、関西では室内に積もった埃を春塵と言うこともあるようだ。

     春塵の鏡はうつす人もなく  山口青邨

 この鏡の愛用者は、筆者の想像では作者のお嬢さんであろうと思う。そのお嬢さんが結婚したか何かで、鏡の愛用者が居なくなったのである。使う人の居なくなった鏡は春の埃をかぶったまま部屋に残っている。鏡は孤独なのだ。鏡の身になって表現しているが、同時に作者の喪失感も表現されている。

     春塵の街落第を告げに行く  大野林火

 本人も落第のことはわかっているのであろう。「告げに行く」は飲みに行こうや、という口実であると思われる。東大生といえども昔はのんびりしていたのであろう。切れのいい句である。

     合否知りたく春塵の街を行く  中嶋秀夫

 句集『結晶』より。
 上の句とは逆に、入試の合格発表の日である。子供の合否を知りたくて春塵の街を行くのである。ただ、合否の否は発表されるわけではないので「知りたく」という説明は気になるところであるが、親心がよく表れていて春塵が効果的と言える。

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