上の表はオーマイニュース(以下OMN)における5月までの市民記者賞受賞者の一覧です。(順不同・敬称略・特別賞受賞者を含む)
先日発表された元木昌彦編集長の就任挨拶の中に、計画段階とはいいながらも市民記者編集委員の設立が含まれ、有資格者を市民記者賞受賞者としていたので抜き出してみました。複数回受賞している市民記者もいますので、開設から9ヶ月での受賞者は39名。計画通りに話が進むとなると、定員は6名ですので一見何とかなりそうな人数に思えます。
とはいうものの結局は内容次第なわけですが、あとは硬い言い方をすれば業務内容と対価、市民メディア的に言えば「OMNのためにここまでならやれる」というやりがいが各市民記者の意識にどれだけマッチしたものになるかが焦点です。例えば、任期中に1度だけでも東京のOMN本社に日を決めて出向かなければならない会合があるようならば、地方や海外在住の市民記者にはハードルが高いものになりますし、専門性を求められたらこれだけの人数では人手が足りなくなる可能性も出てくるでしょう。これは、実際に韓国OMNの市民記者編集委員募集で起こっている事で、日本では参考にしていないと思われますが紹介(NAVER翻訳)しておきます。
そういえば、OMNの東京偏重傾向に触れたので思い出しましたが、地方行脚に積極的だったはずの元木元代理なのに、札幌カフェ以降その話がとんと聞かれなくなったのは残念です。全国47都道府県を月に1ヶ所回っても4年かかるペースの壮大な計画だったはずですが、いつの間にかなかった事になってしまっているのでしょうか?
話が逸れました。他に求められるものはOMN業務全般と変わりありませんが、透明性と公平性でしょう。前述の地域や専門性だけではなく、資格を持つ希望者全員が公平に手を上げられるような仕組みづくり。誰がどのような理由(自薦・他薦程度でもかまいません)で選ばれたかがはっきりわかるアナウンス体制。任命したからには、OMNにとって都合の悪い内容でも紙面批評を最小限の編集で掲載する勇気。多選に関する明確な規定の作成等がOMNには求められます。
あと、これだけはやってはいけない事を書いておきましょう。
市民記者編集委員を、市民記者と編集部双方の架け橋として利用する事です。
何が問題なのかと思われる方もいるでしょう。ですが、OMN編集部のアナウンス不足は発足当時からの課題で、今でも全く解消されていない問題です。好意的に見てようやくその兆しが出てきた段階だと思われます。風通しの悪さはOMNの問題で、殆どの場合市民記者の側に非はありません。
この時点で一部の選ばれた市民記者がアナウンス係を務めたとしても、ボランティア的なOMNに対する協力業務としては負荷が高すぎるように思えますし、現在経営陣や編集部に向いている非難の矛先が変わるだけで、該当市民記者がその的になる危険性は十分にあります。これは1週間も前にレナード氏がコメント欄で指摘している点と一部重複しますが、本来自由であるべき市民記者が、中立を求められる編集部の業務に関わるのは、大変微妙なバランス感覚を求められるのではないでしょうか。
本来なら、その際市民記者編集委員をサポートし、守るのはOMNの経営陣や編集部の仕事ですが、一般の市民記者を炎上の渦に巻き込んで後は放置する現状の編集部の姿勢は、市民記者の保護者としての成熟度が著しく欠けていると言わざるを得ません。
では、一体市民記者編集委員は何をやればいいのか。日々の紙面チェックや紙面批評とは別に、一般市民記者の声を吸い上げて編集部に届ければいいのではないかと考えます。双方向ではなく、市民記者から編集部への声を一方通行で伝える弁のような存在でいいのではないでしょうか。編集部から一般市民記者へのアナウンスは、編集部の仕事だという事です。
市民記者編集委員と編集部との間には既に一定の信頼関係が築かれているはずですから、編集部の耳に痛い意見をしても黙殺される事はないでしょう。自分も含めて人の耳というのは都合がいいもので、褒められたり賛同されたりする声は他の誰かから指摘されるまでもなく耳に入ってくるのに、叱られたり批判されたりする声はノイズ扱いしたりして、どうにか軽んじよう、無視しようという傾向があります。
大きなメガホンを持って、編集部のそばから意見する人
この程度の位置付けなら、応募する市民記者賞受賞者の人達にとってもプレッシャーを感じることなく「やってみようかな」という気にさせるのではないかと思います。