にいはんは周回遅れ

世間の流れとは違う時空に生きる

協力したらおしまいではない

2007-10-31 | オーマイニュース

昨日のエントリでは、自称勝手カフェとオーマイニュース(以下OMN)編集部の距離感について疑問を呈しました。主にその矛先は自称勝手カフェに向かいましたが、話はこれで終わりではありません。

今回のセミナーの企画意図が、主催したNPO法人のブログに出ています。おそらく、代表の池本修悟氏が書いたものでしょう。それによると、池本氏は元木昌彦編集長の手伝いをしたことから、吉岡忍氏や吉田司氏などと親しくなったようです。そして元木氏と仲良くなって一緒に飲みにいけるような学生の登場を望んでいます。

元木・吉岡・吉田の3氏は、OMN界隈では有名な主権在民!共同アピールの会のメンバーです。そういったつながりだったのかと思いながらブログを読み進めていくと、以下のような記述にぶち当たりました。(引用部分はイタリック体で表示、フォント変更・太字は筆者)

先日告知した闘う居酒屋(これも元木さんのご縁でお手伝いすることになったわけですが、、、)で、気になったこと2点。

池本氏は闘う居酒屋のサポートもしていました。ちなみに告知をしているのはこちら

どうやらNPO法人創造支援工房フェイス(以下フェイス)は、OMNとは直接関係はないものの、元木氏や主権在民!共同アピールの会とは相当つながりの深い団体だったようです。それを踏まえた上で改めて今回のセミナーを振り返ってみましょう。

このセミナーは、OMNの全面協力があって初めて成立する内容でした。主題はOMN、元木氏の講演、おそらく編集部の呼びかけに応じて集められた市民記者によるトークライブがあって、コーディネーターは平野日出木編集次長です。主催者や主催者側の参加者にしてみれば、これだけの協力は大変ありがたい話でしょう。おかげで、セミナーは無事終了しました。参加者の多くは、学生1000円・社会人2000円の参加費を高いとは考えなかったと思われます。

それでは、逆にOMN側から見ると今回のセミナーはどれだけのメリットをもたらしたでしょうか?

セミナー開催にあたって、OMNは自社の市民記者スペースを提供しました。自称勝手カフェを除けば、OMN主催イベント以外でこの場所が使われたという記述をOMNのサイト上で見た記憶はありません。今回のセミナーはOMN主催ではなく、しかも有料なので、いくばくかの会場使用料は支払われるのが普通だとは思いますが、もし無料で貸し出されていた場合には、金銭面以外でのリターンが必要となってくるところです。

次に、OMNは人を提供しています。少なくとも元木氏と平野次長という現場のトップ2名と、市民記者5名です。こちらに対してもギャラなり寸志なりという形で金銭のやり取りがあったならば話は別ですが、そうでなければ無償ボランティアといってもいいでしょう。

ただし、念の為に付け加えますとセミナー参加者は20名ほどという事ですので、OMNに金銭が支払われなかったとしても、主催者がこれで儲けたという話ではありません。個人的には、こういう場合は基本的に持ちつ持たれつで、先方のセミナー成功に匹敵するだけのメリットがOMN側にももたらされれば良しと考えます。

さしあたって考えられるのはPR効果でしょうか。20名ほどの参加者にはOMNの存在が認知されたものと思われます。また、主催者のサイトにアクセスしている人にも、セミナー告知と事後報告でOMNの存在をアピールできたでしょう。特にセミナー告知では、埃をかぶって久しい創刊宣言を引用してくれたり、OMNがプラットフォームになりつつあると持ち上げてくれたりと、多少現状との乖離を疑問に思わないでもありませんが、なかなかいい感じでOMNを紹介してくれています。

次に、新たな市民記者の獲得です。セミナー参加の申し込み画面には、OMNで書いてみたいテーマの記入欄がありました。告知の最後が「市民記者の入り口を是非体験してもらえれば幸いです」と締めくくられている事と合わせて考えると、もしかしたらOMNに関心を持った学生達が市民記者登録をして記事を書いてくれるかもしれません。6月に行ったユースリポーター養成講座参加者の活動が活発とは思えない現状では、彼(女)らは貴重な存在になる可能性もあります。

このようにOMNの認知度が向上し、市民記者が増えてくれれば、それはOMNにとって良い事のように思えます。主催者に協力した甲斐があったというものでしょう。ですが、参加者の偏りがどうにも気にかかります。セミナー告知等を見た限り、池本氏は、OMNというよりは元木氏個人に心酔しているような印象を受けます。その人の呼びかけで集まった参加者が市民記者となった時、OMNにどのような方向の記事が増えるのかが正直いって心配です。

もう一点気になるのは、このセミナーが一般の市民記者にどのようなメリットをもたらすかという点です。

昨日紹介した別冊 社内報さんは、他の市民記者のトークや参加した学生の意識の高さが印象に残ったようです。できれば、他のトークライブ参加者にも一言でもいいので感想を書いてもらえればと思います。中でどういう事が行われたか、何を感じたかを参加できなかった一般の市民記者や読者と共有して欲しいという事です。そうなれば、市民記者全体にも今回のセミナーが還元されます。これはメリットと考えていいでしょう。

長々と書いてきましたが、OMNにもたらされるメリットは、結局今後の動き次第で増大もすればゼロにもなるというごく当たり前の結論が出た気がします。主催者はセミナーの開催ですでにメリットを得ていますので、OMNも負けずにがんばりましょう。


【OMNと元木氏へのお願い】
今後OMNとフェイスのコラボレーション企画が出たり、OMNの業務やイベントをフェイスが協力あるいは代行する場合には、拙ブログは批判エントリをアップする事になるでしょう。特に市民記者を駆り出した場合には、その内容が厳しくなる事が予想されます。元木氏が2006年4月現在でフェイスの顧問だった(現在は不明)というのが、その理由です。フェイスとは適度な距離感を保ったおつきあいをされますよう、ここに要望いたします。


オマエちょっと焼きそばパン買ってこい

2007-10-29 | オーマイニュース

先週の土曜日、とあるセミナーがオーマイニュース(以下OMN)本社3階の市民記者スペースで行われました。このセミナー、OMNのサイト内でのアナウンスはなく、別冊 社内報さんの参加報告で開催された事を知りました。

その内容に興味を覚え、リンクを辿って主催者の告知ページへ飛ぶと、出てきたのは元木昌彦編集長の顔写真。プログラムによれば元木氏の講演に始まって市民記者のトークライブ、その後取材企画の作成・発表となかなか本格的な空気が漂っています。前述の参加報告によれば、参加者は20名ほど。市民記者スペースにしてはそれなりの人数が集まったようです。

あれ、ちょっと待って下さい。当日は同じ場所で自称勝手カフェが行われる予定だったはずなのに、そちらはどうなってしまったのでしょうか?

セミナーのトークライブと自称勝手カフェ、どちらも14時から開催されているはずなのですが、世話人を含む5名の参加者は何故トークライブに出ていたのでしょう?

10月の自称勝手カフェの告知記事が出たのは9月28日、主催者がセミナーの開催を告知したのは10月17日。順番からいえば、先に開催が決まっていた自称勝手カフェにセミナーが割り込んで来た事になります。もしかすると「市民記者の話が聞きたい」という主催者の要望を編集部が快諾して、日程を合わせたのかもしれません。市民記者に対しては、編集部が事情を話してトークライブに参加してもらったものと思われます。

だとすれば、自称勝手カフェはOMNの何なのでしょう?

設立時のうたい文句は「編集部の手を煩わせず、市民記者が勝手に開く」というものでした。また、二代目世話人の小宮山圭祐記者は、自らの記事のコメント欄で「勝手カフェは編集部とは一切関係ない」と明言しています。

その自称勝手カフェメンバーが、編集部の要望にこたえてOMNとは関係ないはずのNPO法人が主催する有料のセミナーに協力する。「27日に市民記者が集まるから手伝ってもらおう」と安易に考える編集部もどうかとは思いますが、編集部御用達の便利屋でいいのかという疑問を持つメンバーはいなかったのかという点の方が、個人的にはより気にかかります。

拙ブログでは、以前、OMNに場所を提供してもらいながら編集部と無関係というのはおかしいという趣旨の批判を自称勝手カフェに対して行いました。もしOMN本社以外の場所で自称勝手カフェが開かれていれば、今回のセミナーへの参加要請はなかったかもしれません。真に編集部と無関係な会合ならば、いつ、どこで開催しようが編集部に告知する必要はありませんが、場所を借りる以上そういうわけにはいきません。

したがってスケジュールを把握している編集部が「日頃から場所を無料で提供しているのだから、たまには協力してもらおう」と考えたとしても不思議ではありませんし、仮にそう考えなかったとしても自称勝手カフェ側に「編集部の心証を害したら今後場所を貸してもらえなくなるかも」という考えがないとは言い切れません。

編集部と自称勝手カフェの距離感と力関係は、一体どうなっているのでしょうか?


検定?編集?検閲?を考える(下)

2007-10-28 | オーマイニュース

検定?編集?検閲?を考える(中)からつづく

ここで、今回の記事に掲載された実際のメールのやり取りを見ていきます。(引用部分はイタリック体で表示、フォント変更・太字は筆者)

コメント欄に書けばいいのに

小見出しは平野次長から市民記者への最初のメールを読んでの感想です。平野次長は、このままでは載せたくないという書き出しに続き、感想という形でその理由を何点か述べています。内容は以下のような感じです。

個別の検定意見について賛否を問うことと、検定制度の是非は全く別モノです。

私は、教科書会社のオリジナルの表記では、ある政治的方向性を強調し過ぎであって、改変された表記の方がベターだと感じました。

調査官が自然エネルギー好きか嫌いかはあまり関係ないと思います。

結論の出ていない議論について、ひとつの側の意見を中学の教科書に記載するのはどうなのか。

これらの感想から、過去の教科書検定に関する議論を合わせて紹介して欲しいという市民記者への要望に話がつながっていくわけですが、編集部員と市民記者の記事掲載をめぐる個人的なやり取りで終わらせてしまうには勿体無い指摘が並んでいます。もしコメント欄に書かれれば、そこから議論が広がりそうな指摘です。

今回はそうはなりませんでしたが、仮に市民記者が指摘を受け入れて記事を書き換えていれば、読者はこういったやり取りがあった事を知らないまま平野次長が考える品質の高い記事を目にする事になっていました。一見いい事のようにも思えますが、果たしてそれを記事を書いた市民記者や一般の読者が求めているかどうかは一考の余地があるようにも思えます。

オーマイニュース(以下OMN)に掲載される記事に、編集部が一定レベルの品質を求めるのは当然でしょう。モノ書きの素人が集う市民メディアとはいっても商業メディアの一員には違いないのですから、OMNなりの最低ラインは設定されてしかるべきです。投稿記事をそのラインに引き上げる為の編集は必要な作業だとも思います。

しかし、個人的には完成度があまりに高い記事は議論の出発点のハードルも上がってしまうような気がします。せっかくコメント欄があるのですから、そこでの議論も含めてのOMNではないのでしょうか?

編集部員が投稿された元原稿をを読んで「ここをこうすればもっといい記事になるのに」と考える事もあるでしょう。そういった記事の品質を引き上げないまま掲載する事を勿体無いと考える気持ちが、編集部員の中にはあるのかもしれません。ですが、記事を読んでそのように思うのは編集部員だけではないはずです。現に、平野次長はメールの中でこのように書いています。

平野なり、××さん(筆者注:氏名は伏せました)なりが、ふと疑問に思うことぐらい、過去から現在に至る世の中の賢人の方たちはもうとっくに疑問を感じていて、何らかの動きを見せていて当然だ、ぐらいに想定する必要があります。

同じ事は個々の記事についてもいえるのではないでしょうか?

編集部員はプロですから、編集によって品質の高い記事を提供する事ができるでしょう。しかし、それをせずにコメント欄のやり取りに同様の効果を期待してもいいような気がします。だからといって、必ずしも編集部が考えるような方向に議論が進むとは限りません。今回の記事を例にとれば、家永裁判に言及したコメントに対して「最高裁判決は出ているが、だからといって議論が成立しないわけではない」旨の返答があり、過去の議論に踏み込んだ形にはなっていません。これは平野次長の望んだ形ではないと思われます。

しかし、コメント欄を見る限り、今回の記事は議論の場を提供する役割は果たしているように思います。未登録者のコメント欄が無いのが残念ではありますが、それでもコメント欄がある事によって記事を書いた市民記者の言いっぱなしにはなっていません。そう考えると、コメント欄でのやり取りによっても記事の品質は向上させられると言ってもいいでしょう。

記事の品質の向上を望んでいるのは決して編集部だけではありません。その面で、編集部は一般の市民記者や読者をもう少し信用してもいいような気がします。記事を書くだけではなく、コメントを付ける事もOMNに参加している事に違いはありません。議論の場を提供する事によって、一般の市民記者や読者がOMNに参加している実感が高まる一面もあります。編集段階から過度に完成度にこだわるのは、誰でも参加できるメディア作りに逆行するような気もします。

勿論、投稿される記事の中には編集を経なくても完成度が高い記事もあるでしょう。そういった記事をわざわざ排除したり、完成度を下げるような編集を行う必要がないのは言うまでも無い事です。

記事の品質向上は、一人でやるより大勢でやった方が効果的です。また、コメント欄でのやり取りは誰でも見る事ができますから、透明性も担保されます。編集部員がコメント欄で自分の意見を述べる事自体に反対する人はそれほど多くはないでしょう。トンデモ発言をすれば叩かれますが、それは編集部員に限った話ではありません。OMNの社員やそれに準ずる人には市民記者とは違う節度が求められるのは当然ですが、それを承知の上で、あまりコメント欄に顔を出さない編集部員にはもっと議論に首を突っ込んで欲しいと思います。

編集は検閲ではない

このままでは載せたくないと言って、元原稿に追記を求めた平野次長のメールに対し、OMNは検閲をしているのではないかと問うた市民記者に、平野次長は以下のように答えました。

昨今は「編集=検閲」と見られる方が多いので、ご批判は甘んじて受け入れましょう。

この部分を読んで、いくらなんでも過剰反応ではないかと思いました。平野次長自身が「編集=検閲」と考えているはずはありませんが、嫌味7割・筆の勢い2割としてもこの批判を受け入れてはいけません。ここはきっちり否定しておかないと「OMNは検閲を行っている」と誰かが主張した時に、それを否定できなくなります。

メールを見た限りでは、今回の追記要求は元原稿の文意が変わるものとは思えません。これは編集の範囲内でしょう。公開の可能性があるメールに売り言葉に買い言葉的な表現が入るのは平野次長らしいともいえますが「それを言っちゃあおしまいよ」というラインを超えてしまっては、生暖かい目で見てばかりもいられません。

例えば、文意を変更しなければ掲載しないと圧力をかける行為は検閲といってもいいでしょう。例えばこのような場合です。OMNでは編集によって文意が変わってしまうケースもあるようですが、これも市民記者に無断で、しかも悪意を持って行われていれば検閲にあたるかもしれません。

ですが、こういった行為はいわゆる「トンデモ編集」であって、編集行為ではありません。

確かに今回の記事やコメント欄を見ると「未編集掲載があってもいいのでは」「校正だけして掲載すればいい」という意見があります。しかし、何故そういった声が出てきたかといえば、OMNの編集スキルにも原因があるように思えます。4月に行われた札幌カフェで、元木昌彦編集長代理(当時)は、編集部員の編集能力に大きな差がある事を認め、それをOMNの一番の問題点だとしていました。それからまだ半年しか経っていません。中にはトンデモ編集をしてしまう人もいるのではないでしょうか?

ちょうど、今日掲載された記事に、トンデモ編集の可能性を臭わせるコメントが付きました。タイトルと本文が改変され、元原稿より挑発的な内容になってしまったようです。改変を知らない読者からの批判を受け、記事を書いた市民記者は説明の必要に迫られました。この責任は編集担当者にあるはずですが、今のところ編集部からのコメントはありません。

このような事があれば「自分が書いた記事をトンデモ編集されるくらいなら、余計な事はしないでくれ」と言われるのはある意味仕方がないことでしょう。しかし、トンデモではない編集作業を拒否する市民記者が多数いるとは思えません。こういった要求は、編集スキルが向上すれば自然と少なくなっていくものと思われます。

トンデモではない編集は検閲ではありません。OMNには編集部があります。記事の投稿から掲載までに編集があるのが当然でしょう。それが気に入らなければブログに書いていればいいというような、毅然とした対応を期待します。その上で、編集スキルの不足に起因する指摘には謙虚に答えて改善していけばいいのです。

たねがあるじゃない

今回、編集部はメールのやり取りの末、未編集である事を明記して記事を掲載しました。しかし、OMNにはニュースのたねという場所があります。本来なら、編集を拒否された記事はこちらに収容されるべきでしょう。ですが、今回の記事でわかるように、本来たね送りになるはずだった記事にも多くのコメントが付きます。

ですから、たね送りとなった記事にもコメント欄はあった方がいいでしょう。たねにはそのまま埋もれさせてしまうには勿体無い記事が多数あります。編集部が望む品質の記事ではないと判断したものを正式掲載するわけにはいかないでしょうが、だからといってコメントが付けられないのはいかにも勿体無い話です。

最後に編集部の皆さんに聞きます。

ニュースのたねへのコメント欄設置、そろそろ本気で考えてみてもいいのではありませんか?

(おわり)


検定?編集?検閲?を考える(中)

2007-10-27 | オーマイニュース

検定?編集?検閲?を考える(上)からつづく

見せ方にも気配りを

オーマイニュース(以下OMN)は、今回の記事で編集プロセスの具体例を一つ提示しました。提示方法はメールのやり取りの公開です。これまで様々な形で編集部のアナウンス不足を指摘してきた拙ブログとしては、掲載をめぐるこのようなトラブルは隠すよりも公開した方が望ましいと考えます。ただ、相手市民記者の同意を取り付けたとはいえ、メールをそのまま記事上に転載した事には疑問を感じます。

公開されたメールからは、平野次長と市民記者双方のマイナス方向の感情が窺える記述があります。メールといっても人と人とのコミュニケーションに違いはありませんから、そこに個人的な感情が入る事もあるでしょう。しかし、考えてみれば、日頃OMNに掲載されている記事の中にも不満を吐き出したり他者の批判が主とみられるものがあります。

他者に見られる事を前提に書かれている記事でさえそうなのですから、その前提がないメールには、もっとストレートに書いた人の感情が出るのが当たり前です。しかも今回の場合はメールが1通ではなく4通公開されていますので、計2往復の感情のやり取り(ぶつけ合いと言ってもいいかもしれません)が不特定多数の読者に晒された事になります。

メールの公開に関しては、当事者間の同意もありますし、今後両者が感情的にどうこうという事はないのでしょう。ですが、教科書検定云々のタイトルを見てやってきた読者が記事とは関係ないこのやり取りを読んでどう思うか、平野次長や編集部は掲載前にきちんと考えてもらいたかったと思います。

例えば、今回のメールのやり取りをそのまま掲載するのではなく、感情のやり取り部分は削除するなどの編集作業を行い、編集後の文章を相手市民記者の同意を取り付けて掲載していれば、編集部と市民記者がやり合っているという印象は薄められたかもしれません。編集部員にとっては未編集掲載よりも手間がかかる作業です。しかし、OMNが本当に記事の品質向上を目指しているのなら、それをめぐって市民記者とやり合っている所をノーカットで公開するよりも、編集された記事をきちんと掲載していく事が大切なのではないでしょうか?


(つづく)


検定?編集?検閲?を考える(上)

2007-10-26 | オーマイニュース

つい先日、オーマイニュース(以下OMN)に不思議な記事が掲載されました。主題とは全く関係ない、掲載をめぐるメールでのやり取りが本文の約6割【註】を占める記事です。OMNでは、市民記者編集委員による編集部批判を発端とする内輪ネタの応酬があったばかりです。いささか食傷気味ではありますが、そうは言ってもやはり気になる話題ですので、取り上げてみる事にしました。

これも編集ではないのか?

編集部注によれば、今回の記事は改行を施しただけで掲載されているとの事です。しかし、編集部追記として合計4通にわたるメールでのやり取りも掲載されています。その結果、記事には教科書検定の問題と編集部による編集についての議論が併記された形になりました。編集部追記によって、テーマが拡散してしまったわけです。

平野日出木編集次長は、メールを合わせて掲載する理由を次のように述べています。(引用部分はイタリック体で表示)

これは、編集部として、記事品質向上に努力しているという姿勢を、読者と市民記者の方に周知するためです。

姿勢はいいと思いますし、これまで記事の質向上を目指すというかけ声ばかりが聞こえていた状況を考えれば、実際の取り組みを周知する必要性も感じます。ですが、それを市民記者の投稿、しかも元々OMNとは関係ない投稿に乗っかって周知する必要があったのかは大いに疑問です。

今回の記事は、編集部追記によって投稿当初の文意が大幅に変わっています。最初から教科書検定にOMNの編集作業を絡めた内容ならともかく、投稿した市民記者にはそのような意図はなかったものと思われます。OMNの編集については、ほぼ全面容認に近いものからその反対のものまで、内外から多くの意見が出ていますが、編集作業によって文意が変わるいわゆる「トンデモ編集」については、批判的な意見が圧倒的に多く見られます。

その意味で、今回の記事はとても未編集掲載といえるシロモノではないでしょう。

今回の追記部分は編集過程の一端が窺えるもので、その点は興味を持って読みましたが、どうせならこの部分は元の投稿とは切り離し、単独で記事に仕上げるよう編集部に動いてもらいたかったところです。


(つづく)


【註】
筆者調べ・主に目視による


ここが変だよ、ランキング

2007-10-23 | オーマイニュース

オーマイニュース(以下OMN)では、サイト上段に人気キーワードを表示しています。これはOMN内の検索機能のランキングですが、最近は市民記者の苗字と名前が占める割合が増加していました。今日チェックした時点では、ランキング全てを独占しています。ここ数ヶ月上位で頑張っていたキーワード“小澤マリア”もランキングから消えました。

さて、これを見て気が付くのは、苗字がランク入りしている市民記者は、その名前も同様にランキングされている事、苗字と名前がほぼ同じポイントを獲得している事です。どこの物好きがこんな面倒な真似をしているのかと思いましたが、どうやらYahoo!ニュースに配信されている記事のリンクを辿ってOMNにやって来る読者の影響が大きいようです。

配信された記事の中には、同じ市民記者が書いた記事一覧へのリンクが張られているものがあります。リンクを踏むとOMNのサイト内検索結果が表示されますが、その際のキーワードの並び順が“苗字 スペース 名前”となっていました。間にスペースが入っているので、苗字と名前がそれぞれ別個のキーワードとしてカウントされているものと推測されます。

そうなると、現在の人気キーワードはほぼ「Yahoo!ニュースで読まれている市民記者ランキング」と一致する事になります。日本のネット界隈でYahoo! JAPANの影響力が大きい事はよく知られていますが、その影響がこんなところにまで及んでいるのです。

PV向上を願って久しいOMNとしては、Yahoo!ニュースへの記事配信効果が目に見える形で表れていて、それは喜ばしい事かもしれません。しかし、人気キーワードがあっさりYahoo!ニュース経由のアクセスによって独占されるのは、OMNのサイト内で検索機能を活用しているユーザーの比率がかなり低い事を証明している事にもなります。そして、Alexaのグラフを見る限りでは、PVの低落傾向は9月以降底を打った感はあるものの、目立った上昇をみせてはいないようです。

Yahoo!ニュースでは今日から掲載記事にコメントできるようになり、OMN発の記事もコメント欄を開放しましたが、アナウンス不足のせいか、今のところ反応は鈍いようです。Yahoo!ニュースへの記事配信は、あまり活用されていない人気キーワードランキングをかき回すだけに終わったと判断するのは早計に過ぎるでしょうか?


使用上のご注意

2007-10-22 | オーマイニュース

オーマイニュース(以下OMN)では署名記事制を採用しています。原則は実名による記事投稿ですが、市民記者本人が申し出て編集部が認めた場合にはペンネーム(以下PN)の使用も可能です。以前と比較してPN使用が許可されるケースは増加しているようですが、それに伴う弊害も出てきているように思えます。

そこで、今日は日頃実名で記事を書いている市民記者の皆さんを対象に「OMNが教えないPN使用時の留意点」講座を開設いたします。

1.自分の実名を連想させるPNは使用しない

日頃実名で記事を書いている市民記者の方がPNを使用する場合、何らかの事情で実名が表に出せない内容を書くケースが殆どだと思われます。それなのに実名の一部をもじったり、同音異句をあてたりするPNが時折見られます。特定の相手には気づいて欲しいという意図をにじませているのかもしれませんが、この行為は、それ以外の不特定多数の相手に対してもヒントを公開している事になります。OMNに公開された情報は、誰が何処で見ているかは基本的にわかりません。

2.投稿前にまずPNをググる

別にGoogleでなくてもいいのですが、自分のPNをキーワードにして検索をしてみましょう。もしかしたら、過去にそのPNで何か情報を発信していた事を思い出すかもしれません。そしてそこには実名に紐付けられる情報が出ていないとも限りません。

3.PN記事のコメント欄には自分で書き込まない

OMNに記事を書く場合は実名とPNという二つの名前を使用できますが、コメント欄で使える名前はハンドルネーム(以下HN)一つだけです。現在のOMNの仕様では、HNを変更するとそれ以前に付けたコメントのHNも全て変更されてしまいます。以前自分が実名で書いた記事にコメントを付けていた場合、どんなPNを使ってもそこから実名に紐付けられてしまいます。また、それまでコメント欄に書き込みをしていない方の場合も、その後実名で投稿した自分の記事にコメントが付けられないという制約が生じます。どうしてもコメント欄で言いたい事がある場合は、未登録者用のコメント欄を開放して、そこにPNで書き込みましょう。


1・2番については、掲載前にチェックするべきではないかと拙ブログで提案した事もあるのですが、慢性的な人手不足と多忙に悩む編集部には、そこまでチェックする余裕はなさそうです。自分の身は自分で守りましょう。

3番については、最初から自分で気をつけるしかありません。記事とは異なり、コメント欄の書き込みは投稿ボタンをクリックすると即座に反映されてしまいます。後から削除する事はできますが、それで一件落着とはならない場合もありますので気をつけましょう。

PNの使用につきましては、用法・用量をよくお守りの上、快適なOMNライフをお過ごし下さい。(ピンポン)


【関連リンク】
署名ポリシーについて