にいはんは周回遅れ

世間の流れとは違う時空に生きる

総括の季節

2008-04-21 | オーマイニュース

オーマイニュース(以下引用部分を除いてOMN)の引っ越しが、無事終了した模様です。

旧本社最後の日となった先週金曜日の編集部のレポートが、平野日出木編集長名義で掲載されていますが、その最後に引っ越し終了の報告がありました。そのレポートはこちらです。

さらば三興第1ビル(上)

さらば三興第1ビル(下)

サイト上でよく名前を見かける編集部員やOMN認定プロの他、普段は表に出てこない社員が旧本社での思い出を語っていたりして、楽しく読みました。ちなみに(上)は昨夜遅くにトップ掲載されました。これはどう見ても紙面の私物化です。しかし、内輪ネタとはいうものの、本社の引っ越しなど最初で最後かもしれませんし、OMN日本版発祥の地でもありますから、関係者には感慨深い出来事でしょう。掲載されたのがアクセスの少ない日曜夜でもありますから、その部分へのツッコミは入れずに多忙な中でネタ作りに励んだ関係者に敬意を表します。

ただ、今見ると、初出時にあった原稿料表示のトラブル詳細が削除されているようです。記憶によれば、ある市民記者の原稿料に600円の表示があったのがトラブルに気づいたきっかけだったとか。原稿料は300円・1000円・2000円の3種類なのに、600円という表示はおかしいという内容だったはず。「バグですね」という鵜飼亮次氏の発言も消えています。あれは幻だったのでしょうか?やっぱり魚拓をとっておくべきでした。

さて、OMNは新しいオフィスに引っ越し、それと同時に社名の変更を行いました。OMNとして、この機会に新たな飛躍を考えているようにもみえます。

ですが、その前にこれまでのOMNの歩みを振り返る事も必要なのではないでしょうか?

創刊宣言には以下のような一文がありました。(引用部分はイタリック体で表示、フォント変更・太字は筆者)

オーマイニュースは東京・虎ノ門にある古いビルからスタートしました。このビルは1年後には撤去され、ビル用地は再開発される予定です。このためオフィスの家賃は格安です。私たちはこの古いビルの4階に編集部を設け、同じ広さの3階には市民記者が討論し、記事を書ける空間を作りました。この空間にはオーマイニュースを自由な市民参加の「プラットフォーム」にしていきたいという私たちの想いが込められています。

1年後、このビルは撤去されます。その時、オーマイニュースもなくなるか、それとも成長してさらに広いオフィスに移転することができるのか、その答えは今、読者と市民記者の皆さんの手にかかっています。

新しい本社は築5年の新しいビルの中にあります。現在出ている他のフロアの賃貸情報を見た限り、家賃はそれなりにかかるようです。これまで格安な家賃の恩恵を受けてきたOMNには、この負担は軽くはないでしょう。とはいえ、オフィスの移転は三興第一ビルに本社を構えた時点から決まっていた事です。OMNがなくならない以上、どこかに移転しなくてはなりませんでした。

一部で懸念されていた“三興第一ビルが取り壊される前に廃刊”という事態にはならなかったものの、新しいオフィスのスペースはおよそ70坪。トイレや空調は快適になったかもしれませんが、広さという点ではこれまでと殆ど変わりません。特に編集体制を拡充するという情報もありませんし、エムプロの成果が営業面に表れるのはまだしばらく先の話になります。

これらの点を考慮すると、OMNが成長したから今の場所に移転した可能性は低いものと思われます。また、OMNには、多忙な中で悪戦苦闘を続けている最中にこれまでの歩みを総括する余裕はないかもしれません。

ですが、旧本社最後の日のレポートがそうであるように、これまでの総括もこの時期にやらなければ意味がないような気がします。

OMNのトップページから“市民みんなが記者だ”のフレーズが消えて久しく、創刊宣言が話題にのぼることもいつの間にかなくなりました。創刊当初のいわゆる実名原理主義はなし崩しとなり、市民記者とは縁のないエムプロの新企画が次々とプレスリリースされていきます。

このような動きからして、OMNでは創刊宣言そのものがなかった事になっている恐れは十分にありますが、引用箇所を読めばわかるように、三興第一ビルが撤去されたときにOMNがどうなっているかというのは、OMNにとって重要なポイントでした。

創刊時に掲げていた理想がどれだけ実現し、どれだけ挫折したのか。

虎ノ門の古いビルでOMNは何をやってきたのか。

創刊宣言の理想をどれだけ引き継いで新しいオフィスに移ったのか。

OMNは新しいオフィスで何をやるつもりなのか。

創刊宣言の顔を立てて、これくらいの総括をやって下さい。お願いします。