とあるスナックで
小林
著者は当然ですが、徹底的にしらべたようですね。 P-38
私は932人の日本の指導的な官僚および軍人の個人的記録の記されたカードを収めた8冊の厚手のルーズリーフ・フォルダと、ぎっしりと書き込んだ2千ページのノート、百部ほどのさまざまな日本の雑誌、60冊の日本人の日記、回想録、240時間分のインタヴューと感想の録音テープを持っていた。
私は、この大量の資料を、帰国途中にシンガポールに10日間、オーストラリアに5週間寄ることによって、さらにふやした。シンガポールで私は、日本の占領当局が発行していた英文の戦時紙、「ショーナン・タイムズ(昭南タイムズ)」の完全なファイルを読むことができた。オーストラリアのキャンベラでは、若干の第二次大戦中の民間情報報告に接する機会を親切にも与えられた。ダグラス・マッカサー将軍に戦後の日本管理について助言するために提出された極東委員会報告書と、1946年から1948年にかけて東京におけるA級戦犯裁判の11カ国連合法定の議長を務めたクィーンズランド州首席判事ウイリアム・ウエップ卿のメモと書簡にも接した。私は、キャンベラ図書館で、終戦に際し、オーストラリア、ニュージーランド、中国の将校たちが、天皇裕仁が日本の首領であり、あらゆる戦争責任者の名簿の筆頭に据えられるべきだということで一致しているのを発見して、ほっとした。彼らは、後になるとダグラス・マッカサーの、天皇を国際法のもとに犯罪者として裁判にかけるよりも日本の復興に利用するという決定ーーなかなか機転のきいた決定だと私も思うがーーに屈服したわけだが。
コネティカットの我が家への帰路、私は、海外から持ち帰った半分しか消化していない情報の吸収と整理を始めた。・・・・。
P-40
私の証拠から、伝記作者の公式人物像とはまるで写真のネガとポジのように異なった、裕仁の像が現れてきた。私の評価では、裕仁は、倦むことを知らぬ、一身を捧げた、細心で狡猾な、辛抱強く、忌むべき戦争指導者であった。彼は、彼の偉大な祖父[明治天皇]から、アジアを白人から奪い取るという使命を引き継いでいた。国民が抵抗し、尻ごみしていたので、彼は、戦争前20年にわたり、その課題の心理的および軍事的準備を国民にさせるべく、巧妙に彼らを操作したのである。この私の評価とは対照的に、公式の人物像はーー多くの点で魅力に欠けるものだがーー裕仁を、帝国の管理を将軍と元帥にまかせ、真菌植物と微生物のような海中生物を相手に渉猟することに没頭している、教養ある、引退した生物学者として表している。
巧妙な神話化がーーー私はその宮廷の新聞発表の多くの例を曝いたがーーーこうした虚像のイメージを印象づけたことを説明できるが、真実のイメージがいとも簡単にけされていたことには私もとまどった。私には、国民全体、それに外国人観察者が、終始一貫して大衆的盲目状態に陥っていたとは信じ難かった。天皇は、外国からの外交官を含むすべての者が彼のまとった衣装の質の良さと洗練を称賛している時に、実際は裸で歩きまわることができたのであろうか?あきらかに彼はできたのだ。なぜなら、私は1967年にその現象の信ずるにたる典拠をみたからである。
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コー
なるほどそうだろうな。天皇が何も知らなかったなんてことは、普通に考えても考えられないもんな。
天皇と彼を取り巻く一部の人間。そして天皇の親族。
たしかに日本を支配していた人間たちの重要な一部なんだろう。日本の支配層の核なのかもしれない。
日本人自身が、この構造を暴き知るべきなんだろうな。
そうとう難しいけど。我々の見えない牢獄、鎖 「債務貨幣制度」を暴くのとどっちが難しいんだろう。