「アウディ」
アウディAG(Audi AG)は、ドイツの自動車メーカー。バイエルン州インゴルシュタットに本社を置く。親会社であるフォルクスワーゲンAGの子会社として、世界9か所の生産拠点で自動車を生産している。ドイツプレミアムブランド御三家の1つ。
名称
創業者アウグスト・ホルヒ(de:August Horch)の姓「horch」は、「聞く」を意味するドイツ語「horchen」を連想させるものであった。これをラテン語に訳した言葉にちなむ。「horch」は「horchen」の親称二人称単数の命令形であり、そのラテン語が「audi (audī)」である。
ホルヒは「ホルヒ自動車製造株式会社」から追放されたのち、新会社「ホルヒ自動車製造有限会社」を設立したが、裁判所に訴えられ名称を使用することができなくなった。ホルヒが友人のフランツ・フィッケンチャーと相談した際、フランツの息子ハインリッヒが「聞く」という意味のラテン語「アウディ」はどうかと提案し、それが採用されることになった。
1985年にアウディNSUアウトウニオンAGからアウディAGへ社名変更したが、「アウディ」が選ばれた理由は「世界のだれもが発音しやすい名前」だからという。
*Wikipedia より
「アウディ」の歴史は、アウグスト・ホルヒ博士から始まります。
ホルヒ博士は1868年にドイツのモーゼル地方に生まれ、アウディ社の起源となるホルヒ社の創始者であり「アウディの父」とも呼ばれています。
自動車創世記に、ドイツを代表する自動車エンジニアになったホルヒ博士は、3年間のベンツ社での経験をもとに、1899年にホルヒ社を設立。
1909年に、利益を重視する経営陣との確執からホルヒ社を退任し「アウグスト・ホルヒ・アウトモービルヴェルケ有限会社」を興します。
しかし、「ホルヒ」の名前が先のホルヒ社と似ていることから使用を差し止められ、ドイツ語のホルヒェン(「聴く」という意味)と同義のラテン語「アウディ」を新社名とする会社を設立し「アウディ」の名が誕生しました。
「Auto Union アウトウニオン」へ
1929年に勃発した世界恐慌では、ドイツの産業界も大打撃を受けました。
この経済危機を乗り切るために、1932年に発足されたのが「Auto Union(アウトウニオン)」です。
「Auto Union」は、当時のドイツを代表する自動車メーカーの「アウディ」「DKW」「ホルヒ」「ヴァンダラー」の4社が結成した企業連合体で、それぞれの得意分野に専念することで自動車メーカーとしての総合力を高めることに成功しました。
小型大衆車 → DKW(デーカーヴェー)
中級モデル → WANDERER(ヴァンダラー)
大型モデル → Audi(アウディ)
プレステージカー → HORCH(ホルヒ)
4社それぞれのメーカーの個性を尊重した協力関係が構築され、アウトウニオンはドイツを代表するフルラインナップの自動車メーカーとして基盤を確立。
アウディのシンボルマーク「フォーシルバーリングス」はこの4社を意味しています。
*https://yanase-audi.com/column/knowledge/audi-history-logo.html より
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