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<経産大臣指定伝統的工芸品> 富山 井波彫刻

2021-04-02 07:23:31 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「井波彫刻」

 Description / 特徴・産地

 井波彫刻とは?
 井波彫刻(いなみちょうこく)は、富山県の南砺市で製作されている木彫刻・木工品です。主に、クスノキ・キリ・ケヤキなどの国産木材を使用し、花鳥風月、人物、動物などを題材に欄間(らんま)や置物、衝立などの製品が作られています。
 井波彫刻の特徴は、立体的で躍動感のある高度な木工技術です。ノミや彫刻刀を200本以上を駆使して、両面から施す「透かし深彫り(うかしふかぼり)」は職人の精巧な技術の高さを象徴しています。
 例えば、欄間彫刻では部屋に納めた時の斜め下から眺める人間の目線を考慮し、幾重にも重なって深い奥行を感じられるよう計算されています。また、立体的で巧緻な彫りの技術により影が作られることで、一つ一つ彫刻が表情豊かになり、今にも動き出しそうな迫力ある作品となります。
 近年では、ギターやベースに龍や獅子の井波彫刻を組み合わせて作成する井波彫刻家が数多く輩出されており、新たな可能性に挑戦し続ける伝統工芸品としても知られています。
 1991年(平成3年)からは世界12カ国の彫刻家を招いた国内最大規模の木彫刻イベントとして「南砺市いなみ国際木彫刻キャンプ」が開催されており、井波彫刻を通した地域の国際交流も盛んとなっています。

 History / 歴史
 井波彫刻 - 歴史

 井波彫刻の始まりは、18世紀・江戸時代中期頃と言われています。「井波」とは、現富山県南砺市の地名であり、元々技術水準の高い大工が存在していました。当時、井波に建立された瑞泉寺の本堂再建に当たり、京都本願寺の御用彫刻師である前川三四郎が派遣され、これに地元大工である番匠屋九代七左衛門ら参加し前川三四郎に彫刻の技法を習ったことが始まりとされています。
1792年(寛政四年)、浮き彫りの技法で作成された瑞泉寺勅使門「菊の門扉」と門の両脇の「獅子の子落とし」は、番匠屋九代七左衛門の代表作であり日本彫刻史上の傑作と称されています。
 江戸時代の頃には大工が彫刻師を兼任しており仕事の多くを寺院彫刻で生業を立てていましたが、明治時代にはその技術の高さと芸術性から多くが彫刻が専業となりました。仕事の内容も、寺院の装飾彫刻から住宅の欄間などにも拡大され、一般の人々にも広く好まれるようになりました。
 大正時代に入ると、1915年(大正3年)、初代・大島五雲の作品「書院欄間」がサンフランシスコ万国博覧会に出品され名誉金賞受賞ししました。この頃には井波彫刻師が多くの門弟を養成することとなり、従事者は大幅に増加していきました。1947年(昭和22年)には訓練校が作られ、現代まで技術が伝承されています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/inamichokoku/ より

 100年後も残る木彫 井波彫刻
 わずかの厚みしかない一枚の板に、無限の奥行きを持った世界を表現する欄間の彫刻技術は、日本だけでなく世界に誇れる技術だ。その技術を受け継ぐ職人に、井波彫刻のとの出会いから話してもらった。

 
 野村芳生さんは生まれも育ちも井波の町。父親は地蔵や墓などを作る職人だった。近所には彫刻屋が多くあり、小さい頃から木彫の仕事を間近で見て育ったという。「いつの間にか自然に大工するか彫刻するかと思っていた」と語る野村さんは中学を卒業してすぐに彫刻の世界に入り、以来52年間、毎日木を彫り続けている。「ものを作る技術は5年で身に付くけど、一人前になるには10年はかかるな」野村さんは親方の元で30年ほど働き、独立したのは47歳の時。欄間や木彫パネル、天神様、獅子頭など、注文に応じて何でも彫る。「自分の仕事に自信が持てるようになったのは54~55歳の頃かな」この言葉に井波彫刻の奥深さが垣間見えた。
 「昔の道具は格好がいい」
 野村さんの道具はどれも年季の入ったものばかり。なかでも自分で初めて買ったノミは「これでもか」と言わんばかりに短くなっている。一度の研ぎで減る刃物の長さは微々たるもの。それを考えるといかに使い込んでいるかが分かる。砥石は天然のものを使っており、そちらも使い込んでかなり薄くなっている。「昔の道具の方が格好良くていい。全体にスッとしていてこの曲線が綺麗なんだ」といいながらさまざまな道具を見せてくれた。次から次に出てくるノミの数には驚くばかりである。ノミだけでも200本は下らないという。小さいカンナもほとんど自作である。あらゆる形を彫り出すには、あらゆる種類のノミやカンナが必要なのだ。「自分で買ったものより親方からもらった道具を大切にするね」井波彫刻の職人魂は道具を通して受け継がれていくものかも知れない。
  100年の木は100年持つ
 彫刻に使う材料はケヤキとクスがほとんどだ。「ケヤキは目の詰まったもの(木目が細かいもの)が彫刻に向く。一番彫りやすいのはクスだ。でもクスはおごる(ねじれる)から気を付けんといかん」「台湾クスは柔らかいけど、日本のクスのような匂いはしない」材料のことを尋ねると次から次に言葉が返ってくる。木の癖を読みとることも大切な仕事。何十年と続けてきた野村さんの言葉には自信と誇りがあるように感じられる。「100年の木は100年持つ。昔からそう言われている」野村さんの仕事はみな、間違いなく100年後でも誇れるものなのだ。その作品は100年後の子孫へ受け渡すつもりで手元にひとつ持ちたくなる。
  今も勉強
 欄間彫刻は、欄間を建物に納めたときの人間の視線、つまり斜め下から見たときに最も奥行きを感じられるように彫られている。幾重にも重なっているように表現するその技術は、まさに神業とも言える。その技術は欄間以外のパネルや彫像にも応用されている。パネルには竜や花鳥風月などが彫られるが、微妙な陰影が出るように彫られているために表情が豊かに現れる。彫像では獅子頭や天神様や仏像を彫ることが多い。野村さんもこの日は仏像を彫っていた。「ものは作れても、その後上手くなるか、ならないかは本人次第だな」その野村さんの脇には仏像の研究資料が広がっていた。67歳になった今でも学ぶ姿勢を忘れないでいる。こういう作り手だからこそ作品は命を吹き込まれたかのように生き生きとするのだろう。
 
 職人プロフィール

 野村芳生 (のむらよしお)

 昭和8年生まれ。 井波木彫刻工芸高等職業訓練校の講師も務めた伝統工芸士。好きなお酒は「立山」。


 こぼれ話

 井波彫刻に使われる木について

 井波彫刻で使われる木はケヤキとクスがほとんどです。特にケヤキについては目の詰まった(木目の細かい)ものが彫刻に向くと言われています。この目の詰まったケヤキというのは、ほとんどの場合が年を重ねた老木、それも樹齢200年から300年、あるいはそれ以上のものになります。一般的に木は年を取るにつれて年輪の間隔が密になるからです。 さらにその中でも彫刻用としてふさわしいのは節がないもの。このような条件を満たすケヤキは非常に貴重です。当然のことながら材料費は高くなります。そのことを職人達は十二分なほどに分かっているので、ノミの一打ち一打ちに魂を込めて彫り込むのです。この作品が100年後まで使われ続けることを願いながら。

*https://kougeihin.jp/craft/0615/ より


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