今全女のナベこと渡辺智子が窮地に立たされている。97年頃からタッグを組んでWWWA世界タッグ王者にも輝いた同志の前川久美子がここに来て裏切り。10年目にしてはじめてともいえる前川の自己主張に全女は揺らいでいる。もちろん裏切られた渡辺はいちばんキツイ立場に立たされた。ことが起こったのは今年のタッグリーグザベストの開幕戦。今年も渡辺と前川は揃ってチームを組んで出場、優勝を充分狙えるはずだったが前川はそれを拒否してまで自分を変えたかった。渡辺は前川と引退を掛けて対戦することを承諾した。平成元年、3年入門という異色なタッグながら97年1月のWWWA世界タッグ奪取は87年の宇野久子、堀田祐美子組の新人ペアが勝った時と同じそれ以上の新時代の到来の高鳴りはは記憶と歴史に残るはずだ。全女倒産の低迷期を支えた話題のひとつがラスカチョと全女正規軍の闘争だった。同じ事の繰り返しの中彼女達はもがいた。
前川久美子は全女に平成3年に入門。一度退団して平成5年に再デビュー足掛け10年のキャリアとなる。今の全女には欠かせない中堅の選手。普通10年もやっていればベテランといわれてもおかしくない。前川の場合1年近くブランクがあること、それと上に堀田、豊田、平成元年組の伊藤、渡辺と更にキャリアを重ねた選手が今もなおトップを張るだけの強さ実力を持っているので立場的には微妙な位置ではあった。そのような理由でくすぶっている、本当の力をまだ充分に出しきっていない。得意の蹴りを生かせという声もファンの中にも上がってきている。そして前川とは金網やWWWAタッグで闘争してきたラスカチョの下田美馬がそれを実は一番わかっていて気になってしょうがなかったという。下田自身、自分が変われずにいたラスカチョを組む前に似ている同じにおいを感じたらしい。それが水面下で前川にも伝わったのだろう。下田の発破を前川が受け入れた。物事特にプロレスは何が起こるか分からないから見続ける人が多い。今まで自分の記憶の限りではジャガーとデビルが組んだり北斗と神取が組んだり引退エキジビションだが千種とダンプが手を組んだり。そういった意味で下田は北斗イズムを受け継いでいるかも知れない。
2000年7月お台場WWWA世界タッグ決定トーナメントを企画したのは渡辺だった。このトーナメントの敗北から前川は渡辺とは違うことを考えるというよりも渡辺を敵として捉え、オールパシフィックも狙いたいと思いはじめ照準をあわせはじめていったのは確かだろう。思えば2人とも新人の頃はブル中野に師事していた。前川も獄門党の一員だったことは今や忘れさられているがこの2人は千葉県出身という共通点もあった。渡辺は前川のことを親しくクミと呼んでいた。クミという優しい呼びかけに今はワタナベコノヤローとしか返ってこない。今年3月に渡辺・前川VSラスカチョの金網マッチが行われた。渡辺があの時金網最上段から命がけのムーンサルトプレスを敢行した。しかし失敗してしまった。ナベらしかったが志生野さんや勝俣さんらのコメントは「選手生命を掛けたものでした」まさに皆カンドーした。今度はちがう意味で選手生命を掛けることになった。
(2000年 12・11)
前川久美子は全女に平成3年に入門。一度退団して平成5年に再デビュー足掛け10年のキャリアとなる。今の全女には欠かせない中堅の選手。普通10年もやっていればベテランといわれてもおかしくない。前川の場合1年近くブランクがあること、それと上に堀田、豊田、平成元年組の伊藤、渡辺と更にキャリアを重ねた選手が今もなおトップを張るだけの強さ実力を持っているので立場的には微妙な位置ではあった。そのような理由でくすぶっている、本当の力をまだ充分に出しきっていない。得意の蹴りを生かせという声もファンの中にも上がってきている。そして前川とは金網やWWWAタッグで闘争してきたラスカチョの下田美馬がそれを実は一番わかっていて気になってしょうがなかったという。下田自身、自分が変われずにいたラスカチョを組む前に似ている同じにおいを感じたらしい。それが水面下で前川にも伝わったのだろう。下田の発破を前川が受け入れた。物事特にプロレスは何が起こるか分からないから見続ける人が多い。今まで自分の記憶の限りではジャガーとデビルが組んだり北斗と神取が組んだり引退エキジビションだが千種とダンプが手を組んだり。そういった意味で下田は北斗イズムを受け継いでいるかも知れない。
2000年7月お台場WWWA世界タッグ決定トーナメントを企画したのは渡辺だった。このトーナメントの敗北から前川は渡辺とは違うことを考えるというよりも渡辺を敵として捉え、オールパシフィックも狙いたいと思いはじめ照準をあわせはじめていったのは確かだろう。思えば2人とも新人の頃はブル中野に師事していた。前川も獄門党の一員だったことは今や忘れさられているがこの2人は千葉県出身という共通点もあった。渡辺は前川のことを親しくクミと呼んでいた。クミという優しい呼びかけに今はワタナベコノヤローとしか返ってこない。今年3月に渡辺・前川VSラスカチョの金網マッチが行われた。渡辺があの時金網最上段から命がけのムーンサルトプレスを敢行した。しかし失敗してしまった。ナベらしかったが志生野さんや勝俣さんらのコメントは「選手生命を掛けたものでした」まさに皆カンドーした。今度はちがう意味で選手生命を掛けることになった。
(2000年 12・11)
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