山田敏代は頸椎を損傷して1990年の1年間レフェリーとしながら巡業についていった。12月の後楽園最終戦で復帰した。翌年北斗晶のオールパシフィック選手権に挑戦した時、同じように首に怪我をして休場した経験のある彼女に「今日はわざと山田の首を狙いました」と復活を認めさせた。北斗の場合より重症な負傷だった。デビューから2年目の87年大阪でのWWWA世界タッグ選手権小倉由美・永堀一恵一恵組との対戦中のアクシデントだった。首の骨を折って試合後病院に運ばれたがあと一歩救急車が遅かったら助からなかったといわれている。現在テレビなどで活躍しているがかなりの波乱な人生を送ってきている。高校を辞めた時、くせ毛なのにパーマを掛けていると言われ、バケツの水をぶっかけられて本当かどうか確かめられたとういう逸話がある。現役の頃の北斗を会場で近くに何度かみたことがあるが、とても気さくで純粋なんじゃないかなと思った。一途というか後輩の面倒見もいいし、どうしても落ちこぼれが松永会長にいわれて回ってきたようだ。
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