ギタリスト岡本博文 生徒諸君!

プロギタリストのリアルな経験談、本音を語って行きたいと思います。

高校生に会いに行ってきた

2019-11-15 12:11:33 | Weblog
先日、滋賀県の近江高校に行ってきました。
滋賀県の軽音育成の一環です。

大津清稜高校の村田さん、リッツ楽器の西川さん、エグズの松崎さん、元草津東高校の安田さん、
など。滋賀県立産業文化交流会館の辻本さんも。

滋賀県の軽音育成への協力が始まったのは、元大津高校、現在大津清稜高校の村田さん繋がりから。
彼は、大津高校時代から軽音の立場の確立に全力を捧げてきた人で、
とうとう転勤という時に、同僚の登山部の坂田先生が
「これだけ実績があるのに、部として認められないのは、明らかな差別です」と
楽器もされないのに顧問として手を上げてくださったんだそうです。
そのエピソードは、ドラマにしたくなるぐらい感動的で、
それから僕も根性を決めました。今年は大津高校は、全国大会2位になるバンドを育て上げました。

さて、問題に上がっているのは、コンテスト常勝校以外の指導が行き届かないこと。
特に滋賀県の県北は手薄だと各方面から指摘があります。

その中で、滋賀県の軽音育成プロジェクトの告知にいち早く手を上げてくださったのが、
近江高校の岡先生です。丁寧な事前アンケートもとってくださった。
僕を引率してくださったのは、滋賀県立産業文化交流会館の辻本さん。
長年、滋賀県の文化事業を牽引してきた実直な方です。
「まずは、指導というより現状視察です。白紙でまいりましょう」とのこと。
それが大変良かった。2回の訪問は、かなり有効だったようです。
今日は、岡先生の丁寧な生徒の感想文のまとめがワードで何ページも送られてきました。

生徒たちの勘違いもありそうなので、箇条書きで返信した中、
最後に文章を付け加えました。

「この中でプロになりたい人」と言ったら、一人だけ手をあげてくれました。
それに対しての文章。
「みんな手を挙げると思った」そうです。で、他は省略し、
岡先生へのメールの返信のそこだけコピペさせていただきます。
******

勇気を持ってプロになると言った彼を褒めて上げてください。
みんなによろしければ、以下の文章をお伝えください。

近江高校の皆さまへ。
 
音楽を始めた時「あわやくば、出来ればプロになりたいな」というのは、誰でも思うことです。
恥ずかしがる必要はありません。
恥ずかしがるのはしょうがないけど、なんの得にもならない。
恥知らずにならない範囲で、キッパリ辞めましょう。
 
僕は、高校生の頃、本当に何もわかってない、ただの人一倍生意気なガキでした。
同級生に正真正銘の4人プロギタリストがいて、アレンジャーのChokkaku。
高橋真梨子バンドの藤井 晴稔、Language の掛川陽介、そして僕です。検索して見てください。
同じ高校出身です。
 
正直、近江高校のみんなと同じレベルでした。
みんな、サッカーの方が上手かった。僕は、サッカーすら出来なかった。
高校の時、一番上手かったのは、四元くんという同級生でした。
4人ではない。
不思議なのは、僕らの代の前後にはプロはいないのです。
だから、何かしら刺激しあったんでしょう。彼らや他の同級生のお陰だと言い切れます。
 
夢は、最初は単なる思い付きですから、何日かしたら忘れてしまいます。
夢の一番の敵は「ただ忘れること」です。
「挫折」は一番心に残りますから「夢」を持ち続けるための一番必要な出来事かもしれない。
「卒業」は出来ても「挫折」は、人間は基本的に出来ないものだと思います。
誰も負けたままの人生は嫌ですから。
 
だから、「夢」は、毎日思い出し続けることが一番大事です。
できる出来ないの問題ではない。
仲間に向かって、言葉にすることが大事です。
言ったからには後には引けない、という人間の性質を利用するんです。
 
みんなが、プロになれるとは言わないけど、
確実に近づきます。近づき続きます。上手くなって近づけば、十分いい人生じゃありませんか。
なれなくとも。
誰かが泣いたり、踊ったりしてくれたら、自分のやってきたことの正しさに感謝する日が来ます。
小さいコンサートでも帰り道に号泣するかもしれません。
 
みんなの美しい笑顔が素敵でした。皆様によろしく。
岡先生、ありがとうございました!!また、会いましょう!
 
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