青梅ライナーが廃止される。今まで、朝の上り1本、夜の下り3本の全部が突然に廃止されてしまう。代りに、朝と夜に「特急」「おうめ」が各1本が新設されて運転されるとのこと。
この特急、今までの「青梅ライナー」と比べると、例えば、東京21時30分の最終の青梅ライナーでは青梅まで1時間13分である。ライナー券は510円である。
ところが、新たに走る「特急」は1本だけである。その所要時間は、東京22時30分発で青梅着は、23時47分である。特急になったら、所要時間は1時間17分。ライナーより、4分も遅い。そして、特急料金の計算は56kmであり、その料金は100キロメートルまでとなり、特急券の購入形態によって、1260円、1000円、900円である。
所要時間が増えて料金は倍増、それ以上である。
ところで、現在のライナーの利用者数を、筆者の乗った車両で数えてみた。数えたのは東京駅21時30分の最終の青梅ライナーで、金曜日のことである。一つの例であるが、大凡の傾向はこんなものであろう。
東京駅を出て、新宿駅で満席である。筆者が乗った車両は16列×4席=64人であった。立川で39人が降りた。何と、6割が降りてしまった。残りの人数は25人である。次の停車駅・拝島では14人が降りた。残りは11人である。次の停車駅・河辺では6人が降りた。青梅まで行く人は5人である。因みに、このとき隣の車両を見てみたが、3人しか乗っていなかったように見えた。
このように人数が少ないのは、青梅線のダイヤにも原因があると考える。すなわち、ライナーの停まらない途中駅の利用者にとっては、立川または拝島、河辺でライナーを降りて、後続の各駅停車に乗らなければならない。ところが、その各駅停車とライナーとは接続していないように感じる。すなわち、10分、15分と待たなければならない。これでは、途中駅を利用している人にとっては、全く便利ではない。そのため、利用されないのであろう。
言いかえれば、ライナーの停車駅で降りる人しか便利ではない。その結果、利用者が少ないとも考えられる。青梅線ダイヤの工夫をしないままに、「利用者が少ない」として、廃止され、代わりに1本の「特急」である。
結果として、青梅は「交通の便が悪い僻地である」として、ライナーの停車駅でさえ住人が減少する。そして、ますます「過疎化が進む」。このような「負のスパイラル」に陥って地域が衰退していくのであろう。青梅市の人口はここ数年で随分と減少し、青梅駅近辺では食料品の入手さえ簡単ではなくなっている。まさに過疎である。
現在、青梅線の電車は、青梅-立川間18.5kmを32~33分かかっている。これは、大昔から変わっていない。昔の茶色の鉄骨・木造のボロ電車から、現在の高性能電車の時代になっても、変わらない。他の線と比べてみると、そのユックリさは際だっている。簡単には、中央線から青梅線に入ったとたんに、電車が発する「音」が変る。いかにもユックリな音になる。
東京駅から東側にある千葉県では、交通が便利なって地域が発展したとのことである。昔、東西線か通ってから、それまでの田園風景は一変したとのことである。しかし、西側の多摩地域、特に、青梅のある西多摩地域では、交通が便利にならなかった。
当時の国鉄は、通勤5方面作戦と称して、通勤混雑区間の改良をした。しかし、中央線は、三鷹までしか実現されなかった。他の線区では全て実現されているのにである。
中央線の複々線は三鷹までで工事が止まってしまった。おまけに、中野-三鷹間では、快速線と緩行線が同じように各駅に停っている。折角、複々線にしても、緩行線が2組あるだけである。この片方を「快速線」と称して、通勤電車と長距離特急などを通している。スピードが異なる種別の列車を同一の線路上に置いている。その結果、少しの時間遅れが発生すれば、ダイヤは乱れてしまう。所要時間は早くできない。中央線「快速」は「快速もどき」である。そして、中央線は、既に増発が出来ない程の過密ダイヤの路線である。
ところで、せっかく複々線にしたのに、両方が緩行線という不思議な現象には、複雑な「歴史問題」がある。
当時は国鉄の時代である。1960年代に中央線複々線化工事を行った。計画では、当然に快速線と緩行線とを分けて、快速線は、途中駅を通過させる予定であった。ところが、通過駅である杉並区内にある3駅、すなわち、高円寺・阿佐ヶ谷・西荻窪の通過は、杉並区の住民に反対されてしまった。その結果、当時の国鉄は、杉並3駅を「通過させない」との覚書を出して工事をせざるを得なくなった。それから現在まで60余年、杉並区という「地域のエゴ」で、西荻窪より以西の利用者は、毎日の利用に多大な迷惑を甘受している。言いかえれば、杉並区は西多摩地域にとって、発展を阻んでいる「憎むべき存在」とも言える。
こうして、多摩の格差は拡大している。困ったものである。
「多摩格差の解消」といえば、都知事選挙のとき、現在の小池都知事は、青梅市・河辺の駅前で聴衆を前に、「多摩格差をなくします!」と演説していた。しかし、現在まで「格差解消をした」とか、「その努力をしているとか」のことは聞いていない。公約は忘れたのであろう。都会議員も、小池氏が率いる「都民ファースト」の公認が当選したが、選挙以来、その姿も見かけていない。これも何もしていないのであろう。座っているだけで、高額の議員報酬を受取っているのである。税金を払うのがアホらしくなる。
もっとも、以前の石原都知事は、多摩の振興とは逆なことをしてくれた。しかし、地元からは、非難の声さえあがらなかった。
すなわち、
以前、「青梅マラソン」は全国的な知名度があった。青梅の片田舎で、唯一? とも言える行事であった。当時の石原都知事も来て、スタートの合図をしていたこともあった。
ところがである。青梅マラソンの活況を「これは良い」とでも思ったのか、これにヒントを得たのであろう。それから後に、「東京マラソン」の開催をしたのである。青梅マラソンの1カ月程の後の開催である。当然に、それまでの青梅マラソンの参加者は、東京マラソンに移ってしまう。かくして、青梅マラソンは、全国的な有名の位置から、転落した。
都知事が地域の振興を奪ってしまったのである。選挙のときにだけ「多摩格差をなくします」と、言っても、端からそんな気はないのである。
かくして、青梅はますます、衰退していく。そして、「過疎地のカス」などと揶揄されているのである。
この特急、今までの「青梅ライナー」と比べると、例えば、東京21時30分の最終の青梅ライナーでは青梅まで1時間13分である。ライナー券は510円である。
ところが、新たに走る「特急」は1本だけである。その所要時間は、東京22時30分発で青梅着は、23時47分である。特急になったら、所要時間は1時間17分。ライナーより、4分も遅い。そして、特急料金の計算は56kmであり、その料金は100キロメートルまでとなり、特急券の購入形態によって、1260円、1000円、900円である。
所要時間が増えて料金は倍増、それ以上である。
ところで、現在のライナーの利用者数を、筆者の乗った車両で数えてみた。数えたのは東京駅21時30分の最終の青梅ライナーで、金曜日のことである。一つの例であるが、大凡の傾向はこんなものであろう。
東京駅を出て、新宿駅で満席である。筆者が乗った車両は16列×4席=64人であった。立川で39人が降りた。何と、6割が降りてしまった。残りの人数は25人である。次の停車駅・拝島では14人が降りた。残りは11人である。次の停車駅・河辺では6人が降りた。青梅まで行く人は5人である。因みに、このとき隣の車両を見てみたが、3人しか乗っていなかったように見えた。
このように人数が少ないのは、青梅線のダイヤにも原因があると考える。すなわち、ライナーの停まらない途中駅の利用者にとっては、立川または拝島、河辺でライナーを降りて、後続の各駅停車に乗らなければならない。ところが、その各駅停車とライナーとは接続していないように感じる。すなわち、10分、15分と待たなければならない。これでは、途中駅を利用している人にとっては、全く便利ではない。そのため、利用されないのであろう。
言いかえれば、ライナーの停車駅で降りる人しか便利ではない。その結果、利用者が少ないとも考えられる。青梅線ダイヤの工夫をしないままに、「利用者が少ない」として、廃止され、代わりに1本の「特急」である。
結果として、青梅は「交通の便が悪い僻地である」として、ライナーの停車駅でさえ住人が減少する。そして、ますます「過疎化が進む」。このような「負のスパイラル」に陥って地域が衰退していくのであろう。青梅市の人口はここ数年で随分と減少し、青梅駅近辺では食料品の入手さえ簡単ではなくなっている。まさに過疎である。
現在、青梅線の電車は、青梅-立川間18.5kmを32~33分かかっている。これは、大昔から変わっていない。昔の茶色の鉄骨・木造のボロ電車から、現在の高性能電車の時代になっても、変わらない。他の線と比べてみると、そのユックリさは際だっている。簡単には、中央線から青梅線に入ったとたんに、電車が発する「音」が変る。いかにもユックリな音になる。
東京駅から東側にある千葉県では、交通が便利なって地域が発展したとのことである。昔、東西線か通ってから、それまでの田園風景は一変したとのことである。しかし、西側の多摩地域、特に、青梅のある西多摩地域では、交通が便利にならなかった。
当時の国鉄は、通勤5方面作戦と称して、通勤混雑区間の改良をした。しかし、中央線は、三鷹までしか実現されなかった。他の線区では全て実現されているのにである。
中央線の複々線は三鷹までで工事が止まってしまった。おまけに、中野-三鷹間では、快速線と緩行線が同じように各駅に停っている。折角、複々線にしても、緩行線が2組あるだけである。この片方を「快速線」と称して、通勤電車と長距離特急などを通している。スピードが異なる種別の列車を同一の線路上に置いている。その結果、少しの時間遅れが発生すれば、ダイヤは乱れてしまう。所要時間は早くできない。中央線「快速」は「快速もどき」である。そして、中央線は、既に増発が出来ない程の過密ダイヤの路線である。
ところで、せっかく複々線にしたのに、両方が緩行線という不思議な現象には、複雑な「歴史問題」がある。
当時は国鉄の時代である。1960年代に中央線複々線化工事を行った。計画では、当然に快速線と緩行線とを分けて、快速線は、途中駅を通過させる予定であった。ところが、通過駅である杉並区内にある3駅、すなわち、高円寺・阿佐ヶ谷・西荻窪の通過は、杉並区の住民に反対されてしまった。その結果、当時の国鉄は、杉並3駅を「通過させない」との覚書を出して工事をせざるを得なくなった。それから現在まで60余年、杉並区という「地域のエゴ」で、西荻窪より以西の利用者は、毎日の利用に多大な迷惑を甘受している。言いかえれば、杉並区は西多摩地域にとって、発展を阻んでいる「憎むべき存在」とも言える。
こうして、多摩の格差は拡大している。困ったものである。
「多摩格差の解消」といえば、都知事選挙のとき、現在の小池都知事は、青梅市・河辺の駅前で聴衆を前に、「多摩格差をなくします!」と演説していた。しかし、現在まで「格差解消をした」とか、「その努力をしているとか」のことは聞いていない。公約は忘れたのであろう。都会議員も、小池氏が率いる「都民ファースト」の公認が当選したが、選挙以来、その姿も見かけていない。これも何もしていないのであろう。座っているだけで、高額の議員報酬を受取っているのである。税金を払うのがアホらしくなる。
もっとも、以前の石原都知事は、多摩の振興とは逆なことをしてくれた。しかし、地元からは、非難の声さえあがらなかった。
すなわち、
以前、「青梅マラソン」は全国的な知名度があった。青梅の片田舎で、唯一? とも言える行事であった。当時の石原都知事も来て、スタートの合図をしていたこともあった。
ところがである。青梅マラソンの活況を「これは良い」とでも思ったのか、これにヒントを得たのであろう。それから後に、「東京マラソン」の開催をしたのである。青梅マラソンの1カ月程の後の開催である。当然に、それまでの青梅マラソンの参加者は、東京マラソンに移ってしまう。かくして、青梅マラソンは、全国的な有名の位置から、転落した。
都知事が地域の振興を奪ってしまったのである。選挙のときにだけ「多摩格差をなくします」と、言っても、端からそんな気はないのである。
かくして、青梅はますます、衰退していく。そして、「過疎地のカス」などと揶揄されているのである。
青梅⇔東青梅間の複線化どころか、
東青梅駅までの複線までもが、グリーン車導入の12両化のために、「ホーム用地がない」との理由で、単線にされてしまいます。このこと、市議会議員さんに話したところ、「JRと話した」とのことで、私にその結果を説明をしてくれましたが、結論としては、何の解決策も示されませんでした。
ライナーの廃止のあと、特急になり、1年後?だったか、1本増えて夜2本となりましたが、ライナーのときよりも、本数は1本減です。しかし、料金だけが倍増以上です。
特急停車駅での普通電車との接続は、ダイヤの組み方で、今よりも改善は可能だと考えますが・・・、退避用のホームを増設しないと無理ですか?