JR青梅線・青梅駅の北側にある丘陵は「青梅丘陵」と呼ばれている。この丘陵の東の端には青梅鉄道公園がある。そして、この辺りは「永山公園」とも呼ばれている。さて、ここから、ほぼ西へ、丘陵の尾根を伝って、所々青梅の市街地を望みながら、青梅線の軍畑(いくさばた)駅の近くまで林間の散策路が続いている。そして、初心者には、途中で下山できる路がある。
今回、平成31年4月15日は、永山公園から散策を開始して、宮ノ平(みやのひら)駅に至る経路を歩いた。
同行者は「あざみ」や「スミレ」が大好きとのことである。そこで「あざみ」を探したが、この散策路には全く生えていなかった。また、「スミレ」は、紫色の花の咲く一種類だけで、色違いの白の花のものは全く見られなかった。この丘陵は、植生の多様性が少ないのであろうか? それでも、やはり山である。ふと見るとウラシマ草が生えていた。この草は珍しいが余り気味の良いものではない。
この散策路は、少し前よりも随分と拡幅されていた。なにやら、市街地の公園にある散策路の如しである。そして、所々に「熊、鹿の出没注意」の立札が立っている。「注意」と言われても、どう注意したら良いのかは判らない。そのため、立て看板の注意は、取りあえずは「我がこと」という認識はない。それが普通であろうと思っていた。
そして、この散策路と、その昔に切り通しで作られたと思われる峠道が交差するところに「むらさめばし」という、コンクリート橋が架かっている。この橋を渡った所の藪に、持参していた「カラスウリ」のタネをばら撒いた。このカラスウリは、私宅の庭にいつの頃からか、生えていたものである。昨秋に取っておいたタネを、ここで元気に育ってくれることを願いつつ山に戻した次第である。
さて、そこから更に進むと、「ミイラ」のある場所がある。昔、筆者が子供の頃には、今にも崩れそうな建物があり、その中には「ミイラ」があると、誰からか聞かされていた。そのため、「怖い」と走って通り過ぎたものである。ここを数年前に通った時は、宗教施設と思われる、それらしい建物があり、それなりに整備されていた。説明では「即身仏」が安置されているようである。
今回、その施設は少し荒れているように感じた。ここを通り過ぎて、暫く行くと、軍畑へ至る道と、宮ノ平に下る道とに分かれる。軍畑まで行きたいとの気持ちもあったが、時間と体力を考えて宮ノ平に下る道とした。この道は通る人も少ないのであろう。随分と荒れている。暗いヒノキの林を下っていると、いきなりの「ギャッ!!」である・・・同行者と鹿とが数メートルの距離で遭遇した。「鹿と眼があった」とのこと、筆者は、鹿が逃げる音に吃驚して気が付いた。しかし、随分と大きな鹿であり、色は殆ど黒であった。そして、逃げて行ったものだと思っていたら、斜面の上の方から、筆者と同行者とを覗っているのである。万一のために道に落ちていた棒切れを持ち、警戒しつつ通った。そして、立て看板を「我がこと」と実感した次第である。
道を下るにつれて、明るくなってきた。それまでは、余り手入れされていない、杉やヒノキの植林帯であった。この植林帯を出て明るい陽の光を見た時はホッとしたものである。植林帯を出ると明るくなり野生の山吹が咲いていた。随分と綺麗である。しかし、その右手の長い距離はトタンの波板で囲われている。「何なのであろうか?」と、少しの切れ目から覘くと「萱(かや)」が沢山生えている。もしかしたら? 萱の生産をしているであろうか?
そして、更に下ると、人家が見えてきた。しかし、筆者の子供の頃の記憶では、この辺りは、石灰石の採掘跡で、その穴には青緑色の水が溜まっていた。しかし、それから何十年? 今は採掘跡の面影は全くなく、住宅が立ち並んでいる。そのため「ここはどこ?」という感じである。そのまま進むと「宮ノ平駅⇒」の立札があり、そのまま宮ノ平駅の跨線橋に繋がっている。この入り口の脇には、見事なタンポポの群落があった。
ところで、この跨線橋が随分と華奢な感じであり、凡そJRの施設とは思えない構築物である。筆者としては「落ちやしないか?」と少々怖かったものである。この跨線橋から改札口もなく、そのままホームに行けてしまった。ホーム上にはSuicaをタッチする機械があった。しかしSuicaを持っていなかったので、そのまま青梅駅まで電車に乗って行くしかない。当然に、宮ノ平駅から乗車したという証明は何もない。そして、改札口で「宮ノ平から乗って来たんですが・・」と言うと、駅員は、「はい140円」とのこと。しごく当然という対応であり、少しばかり不思議な光景であった。過疎地であることは知っていたが、ここは「東京都」である。尤も、線路は単線で、電車は4両編成、1時間に1本ないし2本しか運転されていないところであり、殆どは無人駅である。
今回の散策では、鹿と遭遇し、また、丘陵の植生は杉やヒノキの植林が多く、単純であり、余り豊かな森林・自然ではないということを感じたところである。