東京の田舎から

日々の雑感や思いを書いています。

山里の春・・・南澤あじさい山

2019-04-21 17:28:47 | 旅行
 「南澤あじさい山」は「あきる野市」にある。あきる野市は、秋川市と五日市町とが合併したもので、その面積は広い。秋川地区は平野部であり、五日市地区は山間部である。なお、JR五日市線の終点武蔵五日市駅はこの地名からきている。

 今回訪問した「南澤あじさい山」は、武蔵五日市駅のすぐ脇にある郵便局の横から入っていく。細い道を、凡そ2.5km程入る。なお、道案内には独特の、「赤帽子のポール」が建てられているので、これに沿って行けば到着できる。


    案内のポール (昨年行った時の写真)


 この「南澤あじさい山」は、この山の所有者である南澤忠一氏が、今から40年余前に、「お墓参りに行くのに花の中を通って行けたらいいな」との思いから、2株のあじさいを植えたのが始まりとのことである。それから、挿し木やあじさいの愛好家からの寄付、購入するなどして増やし、今では、1万株を超える「あじさい」が咲く名所となっている、個人で作り上げた「あじさい山」である。昨年の季節には、このあじさいを見ようと約1万人もが訪れたとのことである。

 今回訪問したのは、平成31年4月17日のことである。未だあじさいの季節には早い。しかし、この山には、「あじさい」ばかりでなく「1年中花を咲かせる山を作りたい」との南澤氏の思いから、「花桃・菊桃、山桜」なども植えられている。これらの花が満開とのことで、拝見しに行った次第である。

 当日訪れたのは、筆者らだけであったようである。花桃・菊桃、山桜の山は「少し遠い」ので、南澤忠一氏が車で「連れて行ってくれる」とのことで、有り難くお世話になった。
林道を凡そ2km進むと、「それはあった」。いや見事な花桃・菊桃、山桜の連続である。
なお、桜もいろいろあり、未だ枯れ枝の如くのものもある。これは、他の桜が散った後に咲くとのことである。













 余談であるが、花桃・菊桃、山桜などは、さくらんぼが実るとのことでことである。ところが、このサクランボは自然に落下したものは、芽を出すが、これを畑に蒔いても「間違えて発芽」程度にしか芽を出さないとのこと。自然とは微妙なものである。

 ここで、菊桃・花桃、桜の山の上に登り、これらを見下ろしたのであるが、ヒノキの植林の間には水仙も植えられていて、奇麗である。樹間の水仙には、何かしら随分と清楚な趣がある。

 ここで、また余談であるが、植林のことを少しばかり教えて頂いた。
 写真にあるように、樹の幹にペンキで書かれているのは、所有者の印で、関係者は「どこの誰」と判るのだそうである。また、次の写真にあるように幹に紐が結ばれているのを見たことがある人もいるかと思うが・・・。
 この紐は、単に結んであるのではなく、紐の結び目のある方が、樹の所有者側との意味があるとのこと。また、雑知識としては面白い。







 花桃・菊桃、山桜を見た後に、山を下り、「あじさい山」を通り越して、隣の沢筋にある「真光寺」へ案内してくれた。
 この真光寺は、入り口の石碑によれば、「東照山真光禅寺」が正式名称のようである。この石碑は明治12年建立とあった。見た感じはもっと古いものと思ったが、石でも僅か100年余でこのようになってしまう。



 この寺は、然程大きな寺ということではないが、一つだけ「非常に珍しいものがある」とのこと。
 
 この写真にあるように、普通の垂木は、平行に並べられているが、ここの垂木は、放射状に並べられている。南澤氏によれば、「真光寺を見て、この垂木を見なければ見たことにはならない」というような趣旨のことであった。



 その後、「五日市憲法」の原案が発見されたという「深沢邸跡」を見学させてくれた。(注、明治期における多摩の自由民権運動の過程で憲法草案が起草された)深沢邸の母屋は既になく、土蔵と少しばかりの付属建物がある。なお、ここは、映画「五日市物語」の舞台となった場所でもある。






 咲き誇る花はどれも素晴らしかった。次は、5月20日頃には「やどりぎ」(寄生木)の花が咲くとのこと。「やどりぎ」自体が珍しいところ、その花を見られるとのことである。

 さて、素晴らしい花を見て、帰りには、丹精のスミレなどを、お土産に頂いた。

 そして、帰りの道路である。これらも素晴らしい花・花・花である。南澤氏は、道路の脇にも沢山の花を植えている。このように、この山里は花に囲まれていて、まさに「山里の春」・「春爛漫」の景色を堪能した一日であった。









 帰りの景色も素晴らしく、春爛漫の中、「いや~綺麗だった・・・」との思いで帰ってきた次第である。                                               了



あしがくぼの氷柱

2019-03-17 15:56:30 | 旅行
2月17日に埼玉県横瀬町芦ヶ久保の氷柱を見に行った。
道の駅「あしがくぼ果樹公園」から徒歩で数分のところにある。
西武鉄道の線路のすぐ脇にある、谷川の斜面に谷川の水を吹きかけて作ったものである。
人工的に水を吹き付けて作った氷柱というか、氷の斜面に照明をあてて、観光資源としている。少々、照明の変化が少なく、若干の工夫が必要であろうが、それでも、この日、このシーズンの累計来場者数10万人とのことである。入場料は300円である。

氷柱のあるところでは、R大学の学生がアンケートを集めていたが、筆者は未だ見ていないところのアンケートである。無難な回答をしておいたが・・・。

氷柱の良く見えるところは、鈴なりの人・人である。場所取りで動くことができない。
暫く見ていると、照明が単調であるためか? 寒くなり、上に上がると、たき火が焚かれていた。ここで暫し暖をとり、帰り道に行くが、まだまだ沢山の人が登って来る。

駐車場に行く前に、小腹がすいたので、道の駅で何か食べようとしたが、「営業は終わりました」とのこと。仕方がないので、売店で饅頭を買って、食べた次第である。
この氷柱は、初めて3年目とかであったが、まだまだ、観光客の扱いに工夫が必要であるのでは? と思いながら帰ってきた次第である。

何れにしても、それなりに感動を与えてくれるものであった。


日暮れ前の氷柱というか、氷の塊


緑色の照明

以下、いろいろな照明










入場券の売店


あしがくぼ果樹公園の看板





足利フラワーパークのイルミネーション

2019-03-17 15:10:58 | 旅行
2月3日に足利フラワーパークのイルミネーションを見に行った。殆ど高速道路で、青梅から1時間半である。当日は、この時期にしては暖かく、絶好の見物日和である。
足利フラワーパークに着いて、暫くは明るいので、牡丹などの植え込みを見ていた。
暗くなって、いよいよイルミネーションが輝く。
いや~素晴らしい。日本三大イルミネーションの一つとのことであるが、その通りの美しさである。


フラワーパークの入り口にある牡丹


入ってすぐのイルミネーション


空に浮かぶ地球と水面に映る地球


フラワーパークの「売り物」の大藤のイルミネーション


水面に映る大藤


子ども向けの機関車…煙突から蒸気が出る


藤のイルミネーション


5月のイルミネーション・・四季に応じて音楽と共に変わる


こちらも四季に応じて変化するイルミネーション


銀河鉄道? 機関車のライトが点滅して昼夜を表している


水面に映るイルミネーション


おとぎの国? 建物の上に上がることができる

御嶽山・奥ノ院を登ってきた

2018-12-28 16:18:13 | 旅行
11月28日、青梅市・御嶽山の奥ノ院へ行った。御嶽山まではケーブルカーで登り、そこから奥ノ院に登るコースである。
多くの神社では「奥ノ院」は、普通にお参りする本殿からさほど離れていない場所にある。しかし、御嶽山の奥ノ院は“別の山”である。そして、御嶽山から奥ノ院までは、険しい山道が続き、一寸した登山である。このためか、本殿までのお参りに来た人が「ついで」に行くのは難しい。そして余り行く人はいない。このためであろう、本殿の脇、奥ノ院のある山を望む場所には、奥ノ院の遥拝所がある。その遥拝所から、ほぼ三角形の山が聳えている。ここから奥ノ院を遥拝するのである。










御嶽山本殿の前でお参りして、多くの人はそのまま降りてしまう。しかし、本殿の裏には、旧本殿、その他の小さな祠がたくさんある。そして、美しく色づいた紅葉がある。山の上は空気が違うのであろう。紅葉は美しい。



 奥ノ院までの道は、ここから、一度、少し下り、そして、だらだらと山道を歩き、それから急な山道を登る。途中には岩場もあり、鎖場もある。途中に出会った人は数人であった。

 そして、頂上の少し手前に奥ノ院の社殿がある。本殿と比べると随分と小さい。しかも、本物の社殿は、一回り大きな建物の中に保護されて建っている。



そこから少し登ると、頂上である。ここで、昼食にした。この頂上にも、石造りの小さな祠がある。お賽銭が剥き出しで供えられている。この山は、全体が神聖なる場所なのである。



 そして、下りは鍋割山を経由して帰ることにした。歩こうとして・・ふと見ると・・先ほどの祠の脇に、何と! 人間の、それも大人の物と思われる、大きなしっかりとした落し物がある。ティッシュペーパーもあるので、ここで用を足したようである。神聖なる霊山の頂上で、しかも、祠のすぐ脇で、このように罰当たりをする輩がいるとは・・・信じられないことである。折角の良い気分が台無しである。因みに、御嶽山周辺の登山道には、トイレはあちこちに設置されている。
 先ほどの遥拝所から、多くの人が拝んでいる神聖なる山にこのようなものがあるとは・・・。遥拝所では、このようなものが有るとは露知らず、拝んでいるのである。御嶽山へ参拝をしに来た人を冒涜している。
 過去には、韓国人が靖国神社で爆発を起したり、放火をしたりした。また、最近では、新聞紙を燃やした中国人がいた。おまけに、新聞紙を燃やしているところの映像を撮り「英雄になろうとしていた」という。さらに、全国の寺社に油を掛けた韓国系の輩もいた。これらの事件と、今回の“落し物”との連想をどうしてもしてしまう。もちろん、今回のことが、日本人も含めて、誰の仕業であるかは不明である。しかし、誰であろうと、怪しからんことである。これは、御嶽山への参拝者だけでなく、日本人に対する冒涜である。このような神域・寺域での、怪しからん行為は、テロとして特別に厳罰に処すべきであろう。

 さて、下りの鍋割山へ続く道も岩が多くある。やっとのことで下った。


そして、岩だらけの道を下りると平坦な道である。これが、御嶽山へ続く道か? と「ホッ!」としたが、違っていた。更に小さな登りと下りを繰り返して、御嶽山へ続く記憶にある通に合流できた。
 これで、帰りの道は安心である。前回の大岳山の登山のところで書いた、芥場峠の道標を見て、ここからは下りである。そして、岩石園の上流に位置する場所の橋を渡り、上り下りを繰り返して、御嶽山の領域に入る。ここで少しばかり心に余裕が出てきた。前回は、ここら辺を歩いているときに、足が痛くで、亀の如くの歩みであったが、今回は余裕である。しかし、油断大敵である。転がっていた石に乗ってしまい、これが転がり尻もちをついてしまった。

ところで、今回は前回の大岳山に懲りて、随分と早く出発した。しかし、御嶽山のケーブルカー駅に辿りついたときには、やはり暗くなってしまった。山の日暮れは本当に早い。


  御嶽山の御師(≒神主)集落の灯


着いてすぐにケーブルカーの発車である。しかし、往復で買っていた切符が出て来ない。駅の人に聞くと「あと、40秒ですヨ!」とのこと。やっと探して、改札を入ると、「急いで・急いで」と。やっと間に合った。ケーブルカー釣瓶になっているので、発車は山頂と下と同時発車であるためであろう、時間厳守のようである。
 
 今回の登山での反省は、もっと早く出発しないとダメであることを悟った。若い頃、御嶽山は、庭の如く、サンダル履きで、ヒョイヒョイと登っていた。所要時間は、案内の6~7掛けで大丈夫であったとの記憶である。それが、今回は登山靴を履き、所要時間は、案内にある時間の1.5倍~2倍である。やはり「トシ」である。
ところで、ケーブルカー駅の手前の山道からは、山の下まで続く山道が見える。随分と昔、この山道は、木の根が飛び出していたり段差や岩があった。その当時、「ジープで登った外国人がいた」などと聞いたことがあったが、相当な覚悟でないと車では登れないであろう道であった。しかし、凡そ50年余の今では、その便利さの良し悪しは別として、自動車がスイスイと通っている。時代の流れを実感した次第である。


大雄山最乗寺の紅葉

2018-11-17 13:15:25 | 旅行
清々しい晴天である。11月16日に神奈川県にある大雄山最乗寺の紅葉を見に行った。このお寺の紅葉は、過日、テレビ神奈川の放送で見事な紅葉を放送していたのを見て行く気になっていたものである。
 カーナビによれば、ほぼ高速道路だけで行けて、筆者の家からの所要時間は1時間半との案内である。まあ気軽な距離である。実際には、超の付く安全運転であったためか、約2時間弱を要したが・・・。
 最乗寺に続く道路の脇には旅館が何軒もあり、そして、進に連れて道路には太い杉並木が現れ、それが延々と続き、幽玄さを醸し出している。入り口からして、大きな寺であることが予想された。なお、最乗寺は建立から600年とのことであるから、建立当時からの植栽であれば、樹齢は600年以上であろう。それだけの風格を保っている立派な並木である。

最乗寺に着いて、いや~驚いた。随分と大きなお寺である。境内は宏大である。入り口付近には「茶店」や土産物店もあり、観光地然としている。それにもかかわらず、拝観料、駐車料金は無料であった。これは驚きである。京都の寺社では、一寸した拝観でも数百円は必ず徴収される。








 そして、平日であったためか、比較的空いている。ゆっくりと紅葉を見て、石段を上がっていくと大きな下駄が奉納されている。天狗の下駄である。天狗伝説は次のように書かれている。








最乗寺を建立した、
****** 寺の案内に書いてあることを以下に示す *****
了庵慧明禅師の弟子だった道了尊者は、師匠の了庵慧明禅師が最乗寺を建立することを聞いて、近江の三井寺から天狗の姿になって飛んできて、神通力を使って谷を埋めたり、岩を持ち上げて砕いたりして寺の建設を手伝いました。そして了庵慧明禅師が75歳でこの世を去ると、寺を永久に護るために天狗の姿に化身して舞い上がり、山中深くに飛び去ったといわれ、以来、寺の守護神として祀られています。
*****

 とあり、天狗の神通力も加わって建立したとのことである。この天狗は、境内の処々に像が建てられていた。但し、蛇があちこちに絡まり、詳しく見ると余り気味の良いものではない。



 奥の院までの参道は石段である。300段との説明である。途中まで上ったが、降りることを考えて中止してしまった。後に、茶店で聞いた話では、帰り道は、平坦な道路があるとのこと。惜しいことをしてしまった。
 
 肝心な紅葉であるが、寺の建物と紅葉のコントラストは見事である。但し、時期が早すぎたのか、その見事な風景は、少々、限定的ではあったが・・・。



    


   


 帰りに茶店に寄り、遅い昼食をいただいた。
 店の人が、いろいろと話してくれた。その主人は「寺の役員をしている」とのこと。そして、僧侶の数は「今は少なくて30人程度」とか・・・私の感想では「随分と多い」と感じたのではあるが、主人によれば、毎年、本が出されていて、「ここのところ、随分と少なくなっている」とのこと。
寺の規模を考えると、少ないのであろう。その話の中で、「どこから来たのですか?」、「青梅です」と答えると、「あ~、チューリップを見に行ったことがある」「あの近所かな?」とのこと。「チューリップは、羽村市ですよ」と言うと、「そうそう羽村だ」と。「青梅市は隣でして」と。そして、その主人が言うに「通ったことがあるような?」と。
青梅市は、自然が豊と自称しているが、「自然」すなわち、山と多摩川しかない。観光資源のようなものは特にない。ただの田舎である。隣の羽村市は、元々は何もないところである。しかし、休耕田を使って、春には見事なチューリップ畑を作り、努力して観光地としている。青梅市は何も努力していない。これが、知名度の差となってきているのであろう。

ところで、カーナビは便利である。余りに便利であるため、行先を確認しないで来てしまった。「最乗寺」と入れたら案内してくれたのである。そのため、今、自分のいる場所がよく判らない。茶店で観光地図を戴き、確認していたら、先ほどの主人が来て、観光地案内、帰り道の案内などと、寺の行事などを話してくれた。いや、何とも親切な人である。これは、天狗のパワーのご利益と思い、雑談も楽しめた。

 帰りの圏央道のパーキングでも面白い出来事があった。これも天狗のパワーの為せるところであろうか?
 トイレ休憩して戻って来ると、「この車はダンナのか?」と、「はいそうですが、何か?」と、内心では「何か不都合でもあったか??」と。すると「いやーいいですねぇー」という「・・・???」である。聞けば、筆者の乗ってきた骨董品の車を褒めてくれるために、戻って来るのを待っていたようである。
 その方は、元、白バイの警察官をしていたとのこと。曰く、冗談ではあろうが、「自分が白バイで走っていたら、この車は捕まえないよ・・アハッハ!!」と豪快な笑いである。筆者にしてみれば、余りに骨董品で余り自慢のできるものではないと、多少なりとも恥ずかしさがあったのであるが・・・。この方は、広島から柏へ戻る途中とのこと。そして、温厚そうな方でもあるので、いろいろな雑談をしてきたのであるが・・・面白い一日であった。そして、杉並木の素晴らしさ、寺の建物と紅葉の見事なコントラストを楽しめた一日であった。