3.11の高知市での集会で祐子さんがおこなった、脱原発四万十行動を代表してのあいさつ全文をアップします。
四万十市ではじまった運動が、山あり谷ありを乗りこえて歩んできた歴史をコンパクトにまとめています。
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こんにちは。
私たちは高知の西の端、四万十川流域からやってきました。脱原発四万十行動です。
昨年3月11日、大震災、大津波、そしてそれにつづく原発の大災害を目の前にして、ことの重大さに立ちすくみ、身動きのとれない状態でした。
それでも何とかせなあかんと、いてもたってもいられない人たちが集まってできたのが、脱原発四万十行動です。
さっそく五月の第二土曜日、四万十市で初めての脱原発市民デモを行いました。なんと50人もの人が集まり、閉鎖的な四万十市始まって以来と言われ、つい調子に乗って、以後毎月、第二土曜日にはやることになりました。
6月、7月は雨に降られ半数になり、8月9月は猛暑のなか、そのまた半数、10月にはとうとう7人まで減り、孤独をかみしめるデモでした。がしかし、ここでへこまないのが高知の西の端に住む私たちのエエところ。落ち込んでも立ち直りが早い。
11月、12月にはどこからかまた人が集まり、乳母車や車イスも戻ってきてくれ、元気な子どものシュプレヒコールにも励まされました。
昨年5月から12月まで、いろんな人たちが入れ替わり、立ち替わり参加してくれましたが、そんなデモの中で、東北や関東からの避難母子を四万十市で支援している「なごみネットワーク」ともつながることができ、以後、協力し合っています。
今年になって1月には「映画チェルノブイリハートと講演の集い」を「脱原発四万十行動」と「なごみネット」の共催で実現させました。
当日は350人あまりの観客を集め、遠くは愛媛県やこの高知市からも来ていただきました。本当にたくさんの方々の協力、ありがとうございました。
おかげできょうのバスも四万十市から出すことができました。
そして2月、今年は大変寒く、しばしの冬眠を決め込みました。
しかし、1月の「集い」の成功で、またまた調子に乗って冬眠中にもかかわらず「サロン日曜日」を立ち上げました。「サロン金曜日」とは違います。
日曜日の午後、お茶とおしゃべりの会です。
原発、放射能にかぎらず、孤立しがちな人たちともつながれる地道な活動にしていきたいと考えています。
「サロン日曜日」は開かれた場所です。もし第4日曜日の午後、四万十市を訪れることがあれば、どなたでもいっぱいのお茶とおしゃべりを楽しみにお立ち寄りください。
いよいよ3月、きょう私たちは冬眠から目覚めました。
こうして高知市でみなさんとのつながりを実感でき、勇気百倍です。
先月、グリーンピースが伊方原発の近くから200個の風船を飛ばしました。なんと四万十市で3時間後にその1個が確認されています。
風向き次第では九州や本州も他人事ではありません。とにかく津波津波と宣伝されていますが、伊方原発は中央構造線上にあり、地面が動けば津波を待つまでもありません。
先日も新しい燃料棒が3号機に搬入されました。あくまでも再稼働ありきです。
しかし、私たちは再稼働を認めず廃炉を求めます。
25年前、チェルノブイリ原発事故のあと、この伊方原発で出力調整実験が行われました。その反対集会のときに甘藷(かんしょ)さんという人の書いた「まだ、まにあうのなら」という本がベストセラーとなりました。
それで言うと、いま現在「もう、間に合いませんでした」というほかありません。あのとき、私たちにとってもこの過酷な福島原発の事故は想定外だったのです。そんな自分たちの甘さを悔やんでもくやみきれません。
私たちお母ちゃん、おばあちゃんは、お父ちゃん、おじいちゃんはこの原発を子どもや孫に、次の世代に残してはいけません。
この国では黙っていれば、すべて賛成にポイントが入ります。
「イヤなものはイヤ」「いらないものはいらない」と言いましょう。わたしらメチャメチャ怒っていると言いましょう。どんな小さな場所からも、どんなに小さくても声を出しましょう。
「一寸の虫にも五分の魂」。あの人たちからみたら、虫けらのような私たちでしょうが、間違いなく五分の魂があり、集まればものすごく大きな魂になります。
お金や権力の圧倒的な力には私たちはつながることでしか対抗できません。
「一寸の虫はすごいで、五分の魂は恐いで」と市民の力を見せつけましょう。
さて、4月から四万十市ではまた第二土曜日恒例の脱原発デモを再開します。どうかみなさん五分の魂を持ち寄ってください。
それでは脱原発四万十デモ、メインテーマソングをワンフレーズ歌って結びとします。
ぜひみなさんも声をだしてご一緒に。
♪メルトダウンパクリブルース♪
どうもありがとう。
このつづきはデモのときにまたご一緒に。