ついに脱原発四万十行動は、念願の伊方原発包囲行動に参加しました。
そもそも八幡浜市などで伊方原発が出来る前から反対行動をつづけていた斉間淳子さんたちが、3.11以後、毎月11日に伊方原発ゲート前で行っていた抗議行動はずっと気になっていました。
私たちも毎月、定例デモをつづけていて継続することの困難さは身にしみていたし、しかもある意味で「四面楚歌」的な伊方原発ゲート前で抗議行動をつづけている斉間さんたちを激励したかったからです。
でも、11日は必ずしも休日ではない。切歯扼腕していたときに11月11日が日曜日ということを知り、紆余曲折はありましたがバスツアーを計画しました。これも苦労はありましたが、呼びかけに応え22人が参加してくれました。
JR大正駅前を午前5時に出発、ルート56号経由で5時間かけて伊方原発に向かいました。
雨のなか一路、伊方原発へ。しかし、運転手さんもふくめて参加者全員、伊方原発の正面ゲートへの道順を誰も知らない(^^;。
ビジターセンターの近くにある「きらら」で、原発さよなら四国ネットワークの方に「道がわからん。教えて」と電話。
救援を要請して10時過ぎに、無事に伊方原発ゲートに到着しました。
なんと川ちゃんたちは独自の横断幕をかまえていました。
さっそく、みんなで「♪メルトダウンだぜえ~」 をやりました。このうたもポピュラーになっていてみんなも唄ってくれました。
若い人もいました。
毎月、11日に抗議行動をつづけている闘士たち。
抗議行動風景(後ろから)
抗議行動風景(ゲート真横から)
抗議行動風景(ゲート側から)
雨に煙る伊方原発
四国電力担当者への抗議文の手交。
海上から抗議行動していたグループの抗議文。
それに対する担当者の「受け取った文書はきちんと社長宛は社長、所長宛は所長に届けている」との説明。
このとき「これまでも手渡しているが返事は一度も来ない。本当に渡しているのか?」との声に「届けている」との一点張りで押し問答がつづきました。
それを見かねた森澤さんが「届けているというなら、いつ返事をもらえるのかあなたの責任でここでみんなに約束したらどうですか?」と問いかけましたが、「自分の立場ではそれは出来ない」、「だったから抗議文に対する回答は出すように社長に伝えてください」との要請には「回答はださない」。
これには参加者も唖然。
自分の都合の悪いことには「立場」で逃げ、社長に回答を求めるよう伝えることには「拒否」。「これでは事故が起きたとききちんとした対応が出来るのか」と一斉に批判の声があがりました。
緊迫した状況のもとでなかには「バカ野郎」との罵声をあげる人もいましたが、おなじ仲間から「バカ野郎はいらない」との指摘があり「言い過ぎた」と謝る場面もありましたが、四国電力の不誠実な対応には参加者一同、憤りを感じました。
で、一方的に対話を打ち切ってゲート内へ、警備のガードマンに何か指示を出している課長さん。
正面ゲートにかかげられたプラスター 。
これやってみたかったんだ(^○^)
その後、参加者一同で人間の鎖をつくり、伊方原発に抗議行動。
寄せ書きの黄色い布。
正午過ぎ、これで伊方原発ゲート前での行動を終わり、八幡浜市へ向かいました。
会場の松蔭公民館。
会場風景。
立っている人が「窪川原発をとめた男」「台地のヤクザ」「国際反原発活動家」の異名をもつ島岡幹夫さん。ゲート前では挨拶しましたが、ここでは沈黙。
そのかわりここではわたしと川ちゃん、祐子さんが脱原発四万十行動などのやっていることを紹介しました。
原発さよなら四国ネットワークの大野さんが司会で始まりました。
集会では病気のために出てこれない斉間淳子さんからの「わたしたちがこれまでやってきたことだけではなく、どうやったら伊方を廃炉にさせることが出来るのか、希望を話し合ってほしい」とのメッセージが紹介され、わたしたちの発言もふくめて、大分、大阪や四国各地から発言がありました。
また、病気で出席できなかった近藤さんの奥さんの伊方原発とのたたかいの話も興味深かったです。
伊方集会は4時に終わり、バスで帰路へ。
バスのなかではみなが感想をのべあうなかで、ゲート前での抗議の仕方について思い思いの意見が出されて、それぞれの意見を深めあうことが出来ました。
その詳細は省きますが、いろいろな立場のひと、生き方の違う人が一定時間をおなじバスという空間のなかで交流しあうことは、互いを知り合い、知っている人同士はさらに深めあうことができるバスツアーは、とっていもいいと思いました。
やや、雑ぱくな報告となりましたが、ニュース性を重視してアップします(大西)