脱原発四万十行動

脱原発四万十行動のブログです。

3・11メモリアル高知・四万十集会の呼びかけ

2015-01-25 00:49:21 | Weblog

今年も3.11が近付いてきました。

私たち「脱原発四万十行動」は、毎月、地元の四万十市で、月例デモを4年間続けてきました。講演会、映画会も年間3~5回主催しています。

そして、毎年、「3.11メモリアル」には福島、全国とつながりたいとの思いで、高知市に集まりましたし、松山市での全国集会にも駆けつけました。前年の11月24日には「高知集会&マルシェ」とデモに参加しました。

当然、今年の3.11も高知市で「集会&デモ」があるものと思っていましたが、先日、「ない」と分かりました。松山市でも「ない」ことが分かりました。

「それなら」と私たちは考えました。高知市ができないのなら、この幡多で開催しても良いのではないかと。

私たち「脱原発四万十行動」は組織ではありません。

金ナシ、組織ナシ、貧乏暇ナシ、の三重苦を抱えながら、それぞれの立場で自分のできる事を、できる時に行動を共にする為、名付けた名称そのものです。私たちの実態は「脱原発四万十行動」の名称通り、行動する事にあります。

そこで、皆さんへ訴えます。

地元で小さなデモに取り組んでいる私たちですが、「3.11メモリアル」は特別です。

福島の現状を思い、つながること、これには「3.11」は絶対に外せません。

高知ができないなら幡多がその旗をひろって掲げよう、行動しよう、ちっぽけな力かもしれないが発信しよう。「一寸の虫にも五分の魂」、どんなに小さい私たちでも、もれなく付いてくる五分の魂がある。たかだか五分の魂だけど、集まれば集まるほどに大きく膨れ上がる――それがこの集会を呼びかけた趣旨です。

ぜひ「3・11メモリアル高知・四万十集会」にお集まりください。

そして福島に思いをはせ、自らの足元を見つめ声をあげ続けましょう。

自分たちの未来のために、子どもたちの未来のために…。

2015年1月24日 脱原発四万十行動

行動提起

 

○3月8日

10時~映画「日本と原発」(四万十市社会福祉センター、入場料1000円)


12時15分~食事休憩
   (お弁当550円で会場で予約販売します。予約してください)


13時~四万十川赤鉄橋「お祭りひろば」集合・出発集会

13時30分~デモスタート
   デモ行進、四国電力中村支店前でパフォーマンス行動

14時30分~集会(四万十市社会福祉センター)~17時終了予定

◆集会プログラム◆
一部:基調報告(50音順)
 ○木村俊雄(元・東京電力社員、原子炉技術者)
 ○島岡幹夫(元・窪川町原発反対町民会議代表)
 ○山崎秀一(高知県平和運動センター議長)
 ○山下正寿(太平洋核被災者支援センター事務局長)
二部:集会宣言などの提案と採択
三部:フリートーク(会場からのスピーチ)

※社会福祉センターから「お祭りひろば」までは「街バス」を利用する。

※基本的には参加形態は自由だが、集会の趣旨に合致するプラカード、ゼッケン、鳴り物などを持参してほしい。団体旗のみでの参加は遠慮してほしい。

○3月11日

 四国電力中村支店にいって、集会宣言と四国電力への申し入れ書を手渡す。

 13時に現地集合、13時30分に面談、申し入れ。


「松井英介さん講演会」会計

2015-01-21 16:50:07 | Weblog

「松井英介さん講演会」、皆さん、お疲れ様でした。

年末年始の民族大移動(我が家にも押しかけました。約7名)に端を発し、置き土産のインフルエンザに倒れ、皆さんには多大な迷惑を掛けてしまいました。しかし、皆さんのおかげで何とか無事に済み、赤字も出さずにすみました。

さて、会計です。

収入:44600円(前売りチケット37枚X800円、予約5枚X800円、当日券11枚X1000円)

カンパ:4930円(会場2430円、川ちゃん2000円、チケットおつり500円)

支出:28500円(謝礼20000円、松井ご夫妻交流費6000円、DVDと本代2000円、切手代500円)

★松井ご夫妻の昼食代はグリーン市民の吉屋さんがカンパしてくれました。(2480円でした)

★宿泊&交通費、印刷物代など、本来は四万十市側が持つべき経費を免除されました。(これは3.11へのカンパと言う事です)

★会場費、3300円、コピー代310円、封筒代216円は前払いですので、脱原発四万十行動の会計から出しています。

只今、講演会収入16100円とカンパ4930円の合計21030円が手元にあります。これは、3.11メモリアルの集会&デモの準備金として使うことを承認してください。

山本祐子


3.11幡多集会&デモ

2015-01-17 15:11:06 | Weblog
皆さんへ告ぐ!
 
先日、分かった事ですが、2011年以来開催されていた「3.11高知集会」が、今年は開催されない事になりました。
これは私にはかなりショックです。松山集会も、夜に規模縮小して、なにかするそうですが...
毎年、脱原発四万十行動は3月の月例デモを此の集会の為にあけておいたのですが、今年はナシという事で納得する事はできません。今、此の状況(汚染水の垂れ流しや改善されない被災者への対応、再稼動を急ぐ政府、など)で、「メモリアル3.11」を何もしないで手をこまねいている気持ちには為れません。
高知も松山もやらないのなら、此の四万十市で「3.11集会&デモ」をやろうと思います。
幡多には元東電社員の木村さん、ビキニの山下さん、幡多自然エネルギーの平井さん、窪川原発の島岡さんなど活躍している人達が居ます。その人達にも協力を仰ぎ、そして何よりも日々地元で頑張っている皆さんたちの協力を頂いて「3.11幡多集会&デモ」を開催したいと思います。もう、あまり準備時間がありません。どうか皆さんの賛同を得て、準備に入りたいと思います。
此のメールにご意見、などお寄せ下さい。
準備委員会の設置も急いでやりたいと思いますので、是非連絡宜しくお願いします。
 
    脱原発四万十行動    山本祐子

美味しんぼと鼻血の真実

2015-01-12 15:10:17 | Weblog

2015年1月11日に四万十市社会福祉センターで開かれた、講演会「美味しんぼと鼻血の真実」の動画をアップします。

はじめの5分くらいはカメラのトラブルで写っていませんが、主に講師の松井英介さんと高知、四万十の関係についてお話した部分ですので、全体の講演内容はほぼカバーしていると思います。

当日参加できなかった方もぜひお聞きください。 

また、質疑応答動画もアップしていますので、そちらもあわせてご覧くだされば幸いです。



あけましておめでとうございます

2015-01-09 12:30:30 | Weblog

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞ宜しくお願いします

新年早々、帰省していた孫のインフルエンザを貰ってしまい、寝込んでいます。

まじかに迫った「松井英介さん講演会」(1月11日)焦っていますが、身動きがつかず、皆さんの励みにお任せするばかりです。

前回の「崎山比早子さん講演会」では、やはり皆さんのお世話になり、旧年もお世話になりっぱなし、今年もその線で行くことになりそうです。

どうか宜しくお願いします。

崎山さんとの交流会では、大いに盛り上がり「高木学校通信」の原稿依頼を受けてしまいました。

私の酔った勢いでしゃべった馬鹿話が、崎山さんをよほど楽しませたらしく「山本さん、そのまま原稿にしてください」との事。

1200字にまとめるのには苦労しましたが、無事投稿。

「高木学校通信」届きました。以下に転載します。


 

メルトダウンブルースデモ隊が行く         山本祐子             

今日は11月8日第2土曜日、脱原発四万十行動月例デモの日だ。四万十川にかかる赤鉄橋下に集まり、「メルトダウンブルース」を歌いながら町を一周。四電中村支店前では、思い思いのスピーチをして、全行程約1時間。ユーチューブで「メルトダウンブルース」は全国区になったが、デモ隊の人数は今も変わらず10余人。それでも、デモ隊の約半数は1時間半掛けてやってくる。少数精鋭だ。私は四電中村支店には、毎月お手紙を持参して料金を払いに来る。「私係り」の課長がいつも応対。応接室でお手紙を読み上げ、約30分の雑談。「東電はガスコンバインドサイクルで黒字なのを知っていますか?」とか「ハンナ、アーレントはもうご覧になりましたか?」など話題は和やかだ。帰る時には来月の約束までしてくれる様になった。「山本さん、来月も着ていただけますか?」「はい、もちろんです。」こんな事やデモをやって何になるのかと思う時もある。しかし、28年前のチェルノブイリ原発事故の時、反原発は大いに盛り上がったが、時間と共に生活の忙しさにまぎれて、忘れられた様に静かになった。そして、福島の事故が起こったのだ。私はどんな小さな事でも続けようと思う。私自身が忘れない様に。28年前には、私達家族も一生の大転換を迎えた。小出裕章さんの一言「放射能で汚染された食品を豊かな日本の人達は拒否してはいけない。何故ならば、拒否された食品は第3世界の貧しい子供達の口に入るからだ。」これが私の胸に刺さった。私の大好きな4人の娘達に、どんな欠片でも放射能を食べさせるなんてできない。しかし…安全な食品を選ぶ毎に心が痛む。京都の生まれ育ちで、土も触った事がない私だったが決心した。「もう、自分で作るしかない。自給自足だ!」夫は会社を後輩に譲り、移住地を探しに出かけた。その一年後、高知県西部の山間で、私達一家は自給自足の生活を始めた。約7年間の山暮らしから、今は四万十市に引っ越して20年になるが、米、野菜、卵、果実など食料自給率は85%を維持している。4人の娘達もそれぞれ独立したが、3.11の時、2人が東京に住んでいた。3.11の3日後、14日夜7時のNHKニュースで「2号機に水が無い」とアナウンスされた。「それって?メルトダウン!」すぐに「今すぐ!!西へ!」と指令を出したが生きた心地がしない。「大阪行き最終の新幹線に乗った。」と聞いてどうにか安心。私はこのニュースで東京は大パニックになると思ったのだが….何故かならなかった。なんと翌日15日には、静岡の地震で新幹線はストップ。後で分かったが、15日は東京に放射能が降った日だった。こんな危ない思いを私たちは何時までするのか、福島の子供達をどうするのか、答えは分かっているはずだ。さあ、デモに出かけよう、この町の人達に福島を忘れさせない為に。