「運慶とは何者か」というテレビ番組を偶然見まして、
初めて、「運慶」のことを詳しく知りたいと思いました。
実は志度寺の仁王門にある仏像
「運慶作」と伝わっています。そうだと思っていました。
でも、この番組によると、運慶作だと言われているものは、
わずか31体で、その中に志度寺の仁王像は残念ながらありません。
こちらの番組も似た内容です。
東大寺南大門の金剛力士像
志度寺のは?
志度寺の金剛力士像は昭和49年に解体修理が行われ、
解体中に吽形の首筋の後ろから見つかった、
縦18cm横9cmほどの木札に
「作者、運慶。修理、国主左近衛少将源頼重公。云々
寛文11年(1671)」
とあったそうです。
左近衛少将源頼重公というのは、初代高松藩主松平頼重公のことですね。
江戸時代の修理が雑だったため、像の傷みが激しく、「運慶作」のお墨付きが
得られないらしいのですが、本当の所はどうなんでしょうね。
奈良仏師の運慶がなぜ志度寺に? とも思いますが、
志度寺は藤原北家の祖、藤原房前に深い縁があるお寺で、運慶たちは
藤原氏の氏寺である興福寺を活動の拠点にしていたそうですから、
全く縁がないというわけではありません。
「運慶とは何者か」というテレビ番組みたいに、この像にCTスキャンを
かけて、真相を突き止めたいですね。