グラの気ままに徒然日記

日々の菜園アクティビティ、旅先での思い出コレクッションetc.

バチカン市国

2020年05月20日 21時57分06秒 | 旅行

世界最小国家 バチカン市国

皇居の半分ぐらいの広さらしいです。イタリアの首都ローマの中にあって、自由に出入りできます。

人気の訳は、「サン・ピエトロ大聖堂」や隣接する「システィーナ礼拝堂」を訪れることです。

キリスト教会の建築としては世界最大級ということですが、

既にアチコチで大聖堂(ドゥ―オモ)を訪れたので完全にマヒしてしまってました!

そのため大聖堂からいつ礼拝堂へ移ったのかさえ気づきませんでした

 

正面からの構図

円形広場を取り囲むように石造建築が立ち並んでました。

接近して・・・

右の回廊からエントランスへ・・・

・・・聖人の出迎えてくれます・・・

 

本物の衛兵たちも

( ^ω^)・・・

 

 

入るとガラーン!? 大伽藍、大聖堂でした

大勢の人がいるのに広さのせいか静かでした。

周囲は見渡す限りの壁画や彫像で、

目移りして訳も分からず乱写した中から好きな画像をアトランダムに張っておきます。

 

 

ミケランジェロ

 

以上、バチカン市国でした。

 

ただこのようになるのが嫌なので、フィレンチェのウフィツィ美術館では、作品の作者名と記憶の手がかりを手帳にメモしてきたのですが、撮った写真とのすり合わせはいまだにやっていません(笑)

 

 

ルネッサンス絵画はいいですね。

 

           ☝ ミロノビィーナスもかわいそうですね。

 

一度メモと写真の照合もやらんとあかんな~

 

 

 

 


ピサ

2020年05月18日 17時38分23秒 | 旅行

 

まず、どの空港か忘れましたが、多分ドバイ?

トランジットの暇はスケッチのチャンス!

 

 

ピサ

イタリア旅行も後半に入った午後

ピサの大聖堂

 

 

イタリア各所で教会やドゥオーモで見た大壁画や各種美術工芸にはどれも目をみはるばかりでした☆

奈良の東大寺と同じぐらいの空間でしょうか!?

 

 

 

正面の祭壇上の天蓋

ドゥオーモも聖堂もすべて天井はドーム型の天蓋を備えていますが、

その本の名は忘却したが、信長か家康が城づくりのために派遣した日本人主人(主人公)が

腕を磨き、後に棟梁となって当地の大建築を次々と請け負い、

最後に天蓋を仕上げる栄誉を得るという成功物語なんだが、

ある日、現地のライバル職人に、天蓋に異教を印したと

あらぬ噂を立てられ逃亡せざるを得なくなったのだった。

 

 

アラブの男

安旅行だと空港で一夜を明かすことも一夜覚悟しなければならない。

私の前に座ったアラブの男も頬杖ついて眠りを待っている。

私は、ザックでスケッチブックを隠れるようにして描く。

 

 

ショップの明かりで新聞や読書で暇をつぶす人も多い。

 

 

妻はトランジットを好まない。特にテロが盛んになってからは海外旅行の機会が激減した。

私は明かりが少なくなっていく空港内が好きだ。

この時代、テルアビブ空港での乱射事件なんて起こるはずがないし・・・古いねえ

もう日本赤軍岡本公三(違ったか?)は出ない。

 

イタリア最後はバチカンで。

 

 

 

 


ローマ&ナポリ近郊

2020年05月17日 09時26分15秒 | 旅行

 永遠の都 ローマ

 Colosseo

 

トレビの泉

願いを込めてコインをポイッ

 

 

スペイン広場

ー 映画『ローマの休日』 ー

王女オードリー・ヘップバーンと記者グレゴリー・ペック、若かったね。

しかしここで描いた渾身のスケッチが行方不明? 

確か、余りにも人が多いので4,5人に減らし、だからスケッチって便利で楽しいと思ったことを覚えている。

 

 

Pompei遺跡

前方の丘の上が遺跡です。

エントランスわきのベンチに腰を下ろして

 

 

背後の山がビェスビオス火山

一夜にして火砕流と火山灰で一都市を消滅をさせてしまったのです。

 

溶岩でなくて火山灰だったから残った壁画

馬車などが通っても大丈夫な当時最初の舗装道路?

以下、アトランダムに。

早朝ウォーキングというよりも、ホテルで寛げる朝夕がスケッチ時なので(笑)

 

これは前回忘れたフィレンチェのDuomo

 

次回はバチカンを予定

 

 

 

 

 


ドゥ―オモ

2020年05月16日 17時27分10秒 | 旅行

Milano 

Duomo (ミラノ大聖堂)

 

とても描き切れないので感じだけこめて( ^ω^)・・・

こんなところでスケッチを始めるものはたった一人(笑)

 

 

 

 

Venezia

 

 

ドゥカーレ宮殿

サンマルコ広場の水辺に腰を下ろして

 

 

 

Basilica dl San Marco

潮位が上がると広場一体は水浸しになる

 

 

 

フィレンチェ

・・・空の形がとてもいいなあ・・・

 

 

 

次回はローマとナポリの予定。


アマルフィー

2020年05月15日 10時36分00秒 | 旅行

イタリア旅 7日目の午後

カプリ島からソレント

 

 

前の島とはまるで風情が異なる自然の要塞といった感じがした。

中世の戦闘の歴史は人々をこのような懸崖の地へと追いやったのだろうか!?

 

 

アマルフィーへの道

 

 

 

 

 

 

 

 

 親愛なるサエコへ

 

 君がこの手紙を読むとき、おそらく私はもう娘と妻に(天国で)あっていると思う。

 中略 


我々は今回の計画に、アマルフィと言う名を付けた。君ならば、あのアマルフィと言う町の謂れについても知っていると思う。伝説の勇者ヘラクレスは、愛する妖精を世界で最も美しい地に埋葬した。

今を生きる私たちの目にも、あの町は本当に美しいと思える。

 なぜなら、あの町には今もってイスラム世界の影響が深く溶け込んでいるからだ。

キリスト教徒の聖なる祈りの場であるドゥオモさえも、アラブ風の工芸模様を持つファサードを備えている。裏手には、イスラム建築に特有の、尖塔をずらしたアーチで飾られた「天国の回廊」が造られている。  

 中略  
 アマルフィは、イタリア最古の海洋都市国家である。

ピサやヴェネチア、ジェノバといった名高い都市国家よりも実は古い歴史を持ち、十、十一世紀には共和制国家として繁栄を極めた。地中海の要衝であるため、アラブ諸国との交易は多かった。

しかし、商売のために仕方なくイスラム文化を取り入れた街を築きあげたのでは決してない。彼らは文化の一つとして、イスラムを受け入れていたのである。 

 

 

・・・真保祐一 「アマルフィー」(扶桑社)P356抜粋・・・

 

 

 

 

再びナポリの宿へ戻る。

 

タイムアウト!

 

次回は、ピサやベネチア?